生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ
10、セリウスとユノ
カスケイオスが神官長に呼び出されたのと同時に、セリウスも部屋を出た。
神殿兵に食事をと言われたのを断り、かの娘のもとへ案内させる。
神殿兵について歩く間、セリウスの思考は物別れで終わってしまったカスケイオスとの会話で占められていた。
さっきは言葉がみつからなかったから口をつぐんだが、やはり納得がいかない。
一貴族の専横を阻止するために、禁止されたはずの人の生贄を差し出すよう神託が下ったと偽るなんて。
ラティナを守るためなら守護神たる女神エゲリアも許してくださるというようなことをカスケイオスは言っていたけれど、それがラティナのためになるのなら女神が真に神託くださるはずではないのか。神託を捏造などしてただで済むはずがない。
一方で、皇帝補佐アントニウス・アレリウスの策略に歯噛みする思いだった。西の果てに飛ばしておきながら皇帝陛下の御名で急に呼び出して、どんな重大な用件かと思えば人間の娘を生贄に選べと言う。動揺し人間の生贄は古に廃れたはずだと意見すれば、神殿に下った神託だからとにべもない。
かつてセリウスも帰属した神殿のことだから、セリウスが生贄を選べば間違いない──ともっともらしいことを言われた。が、人間の生贄が選定されるところを見たことのないセリウスに、選定基準がわかるはずもない。首都にも立派な神殿があり、セリウスのような元神官見習などという半端な者でなく本物の神官がいるのだから、そういった方に任せたほうがいいはずなのにと疑問を禁じえなかった。それを口に出せなかったのは、一軍を任される指揮官(トリブヌス)とはいえ、貴族に仲間入りしたばかりの若造に皇帝代理の命令を拒否することなどできないからだ。
一任すると言われたのに、生贄の移送には同行者をつけられた。セリウスの任務なのに同行者は当たり前のように生贄を値踏みし、支度を施した。セリウスより高位であったため、文句もろくに言うことができなかった。
エリゲラ・ラティーノ神殿に着いたら着いたで、カスケイオスに神殿側の策略を邪魔したと責められる。ならばどうすればよかったというのか。皇帝の命令だと言われれば、セリウスに拒否権など一切ないのに。
前を歩いていた神殿兵が、立ち止まって振り返った。
「ここです」
声をかけられてセリウスは我に返った。
ここは神殿内の宿泊所だった。遠方から訪れた貴族たちはここに宿泊して、数日に渡り神に祈りを捧げる。
案内してきた神殿兵は部屋の前に立っていた神殿兵に話し掛け、そろってセリウスに礼をとると立ち去ってしまう。本当に忙しいのかもしれない。
神殿兵たちが行ってしまって一人きりになってしまった。従者のイケイルスもいつからか姿が見えない。
監視といってもどのようにしたらいいのか。
腕を組み思案していると、部屋の中でがたんと音がした。
セリウスはとっさに部屋に飛び込んだ。カスケイオスの言葉が頭をよぎる。
──殺されるかもしれないというのにおとなしくしている奴はいないだろう。逃げ出したり、恐怖に耐えかねて自害するかもしれん。
しかし飛び込んだ部屋の中で目にしたのは、馬鹿みたいにくるくる動き回る娘だった。
「……何をしている?」
声をかけると、娘ははっと動きを止めセリウスを凝視した。
「踊っているのです」
思わぬ返答にセリウスはどう反応したらいいかわからなくなった。とりあえず不審を問う。
「さっきの大きな物音は?」
「物音? ……そういえば、さっきテーブルにぶつかって……」
逃亡か自害かと逆立っていた気持ちが抜けて脱力する。肩を落として額に手を当てた。この娘は何を考えているのだろうか。生贄にされるかもしれないのに能天気すぎやしないか。
セリウスがうなだれている間に娘はまた踊り出していた。顔を上げて呆れながらその様子を眺める。腕を振り上げ腰をくねらせくるりと回る。
何故踊っているのか理解しかねた。しかも娘は楽しそうだった。
そんな様子を見ていると、娘が何故ここにいるのか忘れてしまう。あまりにも幸せそうで。
けれど小さな明り取りの窓から差し込む青白い光に照らし出された姿は、楽しそうにしていてもどこか悲しく見えた。牢獄につながれた虜囚が差し込む光に外の世界を夢見るように。
そうだ、この娘はここでしか踊れない。陰謀に翻弄され、偽りの神託に沿って生贄になるしかないだろう哀れな虜囚。
「怖くはないのか?」
口をついて出た。罪もないのに死を待つしかない娘に、なんという残酷な問いを投げかけたのか。
それに気付いたのは、娘が踊るのをやめ、セリウスにうつろな目を向けたときだった。
セリウスはしまったと思った。だが、一度口にしてしまったものをなかったことにはできない。
質問を取り消そうとしたそのとき、娘から質問された。
「お聞きしてもよろしいですか?」
「何を……?」
「あたしはこれからどうなるのですか?」
そうだった。この娘には何も説明していない。
だが、セリウスは返答をためらった。そんな自分にセリウスは呆れた。生贄にするために連れてきた奴隷に、何をためらっているのか。
間が空くと、娘は再び口を開いた。
「生贄、とどなたかが仰っていたのを耳にしました。あと、偽りの生贄などいらないと。あたしは生贄になるのですか? それとも偽りの生贄は邪魔だから殺されるのですか?」
妙に冷静なことを言う娘だ。
だが、おかげでセリウスは気が楽になった。
「まだはっきりとは決まっていない。だが、おそらくはそのどちらかだと……」
「どのみち死を免れないののならば、残されたわずかな時間を楽しみたいです。もしかして、あたしには余命を惜しむ自由も与えられないのでしょうか?」
静かに自らの死について語る娘に、セリウスはうろたえた。
「そんなことは……」
娘はぱっと表情を輝かせた。
「じゃあ踊ってもよろしいですか?」
「あ、ああ……」
セリウスがはうろたえながら返事すと、娘はさっそく踊りを再開した。
が、すぐにぺたんと座り込んでしまう。腹を押えてうずくまった娘を見て、セリウスは何事かと焦った。
「どうした!?」
「おなかが空きすぎて……」
「協議が終わったぞ」
ノックもせず入ってきたのはカスケイオスだった。先を話そうとするカスケイオスをセリウスはさえぎる。
「それよりも食事をくれ」
「やっぱり腹が減ったんじゃないか? 怒ってやせ我慢なんかするから」
「私ではない!」
神殿兵に食事をと言われたのを断り、かの娘のもとへ案内させる。
神殿兵について歩く間、セリウスの思考は物別れで終わってしまったカスケイオスとの会話で占められていた。
さっきは言葉がみつからなかったから口をつぐんだが、やはり納得がいかない。
一貴族の専横を阻止するために、禁止されたはずの人の生贄を差し出すよう神託が下ったと偽るなんて。
ラティナを守るためなら守護神たる女神エゲリアも許してくださるというようなことをカスケイオスは言っていたけれど、それがラティナのためになるのなら女神が真に神託くださるはずではないのか。神託を捏造などしてただで済むはずがない。
一方で、皇帝補佐アントニウス・アレリウスの策略に歯噛みする思いだった。西の果てに飛ばしておきながら皇帝陛下の御名で急に呼び出して、どんな重大な用件かと思えば人間の娘を生贄に選べと言う。動揺し人間の生贄は古に廃れたはずだと意見すれば、神殿に下った神託だからとにべもない。
かつてセリウスも帰属した神殿のことだから、セリウスが生贄を選べば間違いない──ともっともらしいことを言われた。が、人間の生贄が選定されるところを見たことのないセリウスに、選定基準がわかるはずもない。首都にも立派な神殿があり、セリウスのような元神官見習などという半端な者でなく本物の神官がいるのだから、そういった方に任せたほうがいいはずなのにと疑問を禁じえなかった。それを口に出せなかったのは、一軍を任される指揮官(トリブヌス)とはいえ、貴族に仲間入りしたばかりの若造に皇帝代理の命令を拒否することなどできないからだ。
一任すると言われたのに、生贄の移送には同行者をつけられた。セリウスの任務なのに同行者は当たり前のように生贄を値踏みし、支度を施した。セリウスより高位であったため、文句もろくに言うことができなかった。
エリゲラ・ラティーノ神殿に着いたら着いたで、カスケイオスに神殿側の策略を邪魔したと責められる。ならばどうすればよかったというのか。皇帝の命令だと言われれば、セリウスに拒否権など一切ないのに。
前を歩いていた神殿兵が、立ち止まって振り返った。
「ここです」
声をかけられてセリウスは我に返った。
ここは神殿内の宿泊所だった。遠方から訪れた貴族たちはここに宿泊して、数日に渡り神に祈りを捧げる。
案内してきた神殿兵は部屋の前に立っていた神殿兵に話し掛け、そろってセリウスに礼をとると立ち去ってしまう。本当に忙しいのかもしれない。
神殿兵たちが行ってしまって一人きりになってしまった。従者のイケイルスもいつからか姿が見えない。
監視といってもどのようにしたらいいのか。
腕を組み思案していると、部屋の中でがたんと音がした。
セリウスはとっさに部屋に飛び込んだ。カスケイオスの言葉が頭をよぎる。
──殺されるかもしれないというのにおとなしくしている奴はいないだろう。逃げ出したり、恐怖に耐えかねて自害するかもしれん。
しかし飛び込んだ部屋の中で目にしたのは、馬鹿みたいにくるくる動き回る娘だった。
「……何をしている?」
声をかけると、娘ははっと動きを止めセリウスを凝視した。
「踊っているのです」
思わぬ返答にセリウスはどう反応したらいいかわからなくなった。とりあえず不審を問う。
「さっきの大きな物音は?」
「物音? ……そういえば、さっきテーブルにぶつかって……」
逃亡か自害かと逆立っていた気持ちが抜けて脱力する。肩を落として額に手を当てた。この娘は何を考えているのだろうか。生贄にされるかもしれないのに能天気すぎやしないか。
セリウスがうなだれている間に娘はまた踊り出していた。顔を上げて呆れながらその様子を眺める。腕を振り上げ腰をくねらせくるりと回る。
何故踊っているのか理解しかねた。しかも娘は楽しそうだった。
そんな様子を見ていると、娘が何故ここにいるのか忘れてしまう。あまりにも幸せそうで。
けれど小さな明り取りの窓から差し込む青白い光に照らし出された姿は、楽しそうにしていてもどこか悲しく見えた。牢獄につながれた虜囚が差し込む光に外の世界を夢見るように。
そうだ、この娘はここでしか踊れない。陰謀に翻弄され、偽りの神託に沿って生贄になるしかないだろう哀れな虜囚。
「怖くはないのか?」
口をついて出た。罪もないのに死を待つしかない娘に、なんという残酷な問いを投げかけたのか。
それに気付いたのは、娘が踊るのをやめ、セリウスにうつろな目を向けたときだった。
セリウスはしまったと思った。だが、一度口にしてしまったものをなかったことにはできない。
質問を取り消そうとしたそのとき、娘から質問された。
「お聞きしてもよろしいですか?」
「何を……?」
「あたしはこれからどうなるのですか?」
そうだった。この娘には何も説明していない。
だが、セリウスは返答をためらった。そんな自分にセリウスは呆れた。生贄にするために連れてきた奴隷に、何をためらっているのか。
間が空くと、娘は再び口を開いた。
「生贄、とどなたかが仰っていたのを耳にしました。あと、偽りの生贄などいらないと。あたしは生贄になるのですか? それとも偽りの生贄は邪魔だから殺されるのですか?」
妙に冷静なことを言う娘だ。
だが、おかげでセリウスは気が楽になった。
「まだはっきりとは決まっていない。だが、おそらくはそのどちらかだと……」
「どのみち死を免れないののならば、残されたわずかな時間を楽しみたいです。もしかして、あたしには余命を惜しむ自由も与えられないのでしょうか?」
静かに自らの死について語る娘に、セリウスはうろたえた。
「そんなことは……」
娘はぱっと表情を輝かせた。
「じゃあ踊ってもよろしいですか?」
「あ、ああ……」
セリウスがはうろたえながら返事すと、娘はさっそく踊りを再開した。
が、すぐにぺたんと座り込んでしまう。腹を押えてうずくまった娘を見て、セリウスは何事かと焦った。
「どうした!?」
「おなかが空きすぎて……」
「協議が終わったぞ」
ノックもせず入ってきたのはカスケイオスだった。先を話そうとするカスケイオスをセリウスはさえぎる。
「それよりも食事をくれ」
「やっぱり腹が減ったんじゃないか? 怒ってやせ我慢なんかするから」
「私ではない!」