生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ
19、皇帝のお召し
月が日に日に細くなっていく。
セリウスが娘をエゲリア・ラティーナ神殿に連れてきてから、そろそろ半月が経とうとしていた。
この半月はあっという間に過ぎたような気がするのに、単調なつもりで臨んだ日々は妙に目まぐるしく、実に様々なことが思い起こされた。
自らの死を潔く受け入れる娘との出会い。
踊りを人々に見せたいと望む娘に舞台を用意した。
カスケイオスは娘を救う手立としてセリウスに反逆をほのめかし、セリウスが承諾しないと何の意図を持ってか娘に近付いた。
せめてもの牽制と思ってできるだけ昼日中に監視を務めていたセリウスだったが、娘が自分を褒め称える話をした日から、接する時間の少ない夜に就くことにした。以前のように部屋に入ったりもしない。
娘は夜も寝る間際まで踊っているようだが、以前のように部屋から顔を出して見てくださいと頼むことはなかった。
セリウスが避けるようになったことに感づいて遠慮しているのかもしれないし、昼間大勢に見せているからそれで満足しているのかもしれない。
見物人は日を追うごとに増えていった。踊りを観るために多くの人がようと神殿を訪れる。
セリウスは不思議でならなかった。踊り子──娼婦の男を誘う踊りを老若男女問わずにこぞって見物しようと集ってくるなんて。
二日ばかり昼に出会うことを避けていたセリウスが、娘が神殿の前で踊るところに通りかかったとき、二日前の倍はいると思われる人出にぎょっとした。
おかしいと思って近付いてみると、人々の雑談に思ってもみなかった言葉を聞く。
「これが、女神が欲した巫女様の踊りか。ありがたいことだ」
セリウスは思わずそれを口にした男の肩をつかんでいた。
「何の話だ? 」
男はうるさげに振り返ったものの、セリウスの緋色のマントに驚いて恐縮し、重ねて問われてかしこまって説明する。
「おれも噂で聞いただけなんでございます。今度の祈願祭(スプリカティオ)で生贄になる娘さんは、女神エゲリアにその踊りを愛でられて女神が特別に所望された特別な巫女様なんだそうで。その踊りを一目でも見ることができれば女神のご加護が賜れるっていうんで、何とか仕事の合間をぬってこうして訪れたってわけでございます」
セリウスは短く礼を言うとすぐにその場を離れた。この人出のために配置されたらしい神殿兵にカスケイオスの所在を問い、神官長に呼び出されたと聞いて神殿の裏手へ回った。
神官長の居室に向かう途中、建物から出てきたカスケイオスと出くわす。
軽く手を上げたカスケイオスの腕をつかんで、セリウスは石柱の影に引っ張った。
「何が目的だ?」
「何の話だ?」
「とぼけるな。あの娘のありもしない噂を流したのはお前だろう」
カスケイオスはにやっと笑う。
セリウスは胸倉をつかんで石柱にカスケイオスを押し付けた。
「言え。何の目的があってそんなことをした?」
「目的? お前はその噂にどんな意図を感じるんだ?」
「わからないから聞いている」
カスケイオスは首をすくめた。
「根拠がないのに俺は責められてるのか? 参ったな」
「茶化すな!」
胸倉を吊り上げようとするセリウスの手を、カスケイオスはつかんだ。
「今ポネロ様から話を伺ったが、首都から使者が訪れて、あの娘を皇帝陛下がお召しになりたいと言ってきた。ポネロ様は明後日までに娘を首都に届けると返事したぞ」
「な……んだって?」
セリウスは蒼白になる。皇帝が娘をお召しになると言ったら。
「念のために言うが、女神に愛でられるほどの巫女の踊りを一度見てみたいというだけの話だぞ?」
一瞬呆けたセリウスは、次の瞬間かっと頬を赤らめカスケイオスの手を振り払った。
「わ、私は別に、何も……」
口ごもるセリウスを面白そうに眺めながら、カスケイオスはセリウスを翻弄するように次の言葉を口にする。
「命令の内容はそうだったが、実際それだけで済むかどうかはわからん。好色の皇帝が気の迷いを起こさないとも限らんぞ?」
「お前それが目的だったのか!」
再び胸倉に伸びた手を、カスケイオスは直前で受け止めた。
セリウスとカスケイオスの力の差は歴然としていた。身長体格差はもちろんのこと、身のこなし、相手の動きを読む勘の良さ、加えて十という年齢差は埋められない経験という差まで生じさせる。
赤子同然にあしらわれて悔しさに顔を歪めながら、セリウスは問い詰めた。
「娘を陛下の寝所に送り込んで何をさせるつもりだ!?」
「いいや、何も」
拍子抜けするくらいあっさりとした返答をする。
「小娘一人に頼んだところで、畏れ多い皇帝陛下の前にしては緊張して何もできやしないだろ。心配ならお前が付き添ってやればいい」
「言われなくともついていくに決まっている。私はあの娘の監視役なのだからな!」
頭に血がのぼったセリウスからは、肝心なこと──カスケイオスが何を企んでいるか──をはっきりさせることを忘れ、肩を怒らせその場から立ち去る。
カスケイオスはしわになったチュニカの胸元をぱたぱたとはたき、セリウスの背中を見送りながら苦笑いした。
セリウスが娘をエゲリア・ラティーナ神殿に連れてきてから、そろそろ半月が経とうとしていた。
この半月はあっという間に過ぎたような気がするのに、単調なつもりで臨んだ日々は妙に目まぐるしく、実に様々なことが思い起こされた。
自らの死を潔く受け入れる娘との出会い。
踊りを人々に見せたいと望む娘に舞台を用意した。
カスケイオスは娘を救う手立としてセリウスに反逆をほのめかし、セリウスが承諾しないと何の意図を持ってか娘に近付いた。
せめてもの牽制と思ってできるだけ昼日中に監視を務めていたセリウスだったが、娘が自分を褒め称える話をした日から、接する時間の少ない夜に就くことにした。以前のように部屋に入ったりもしない。
娘は夜も寝る間際まで踊っているようだが、以前のように部屋から顔を出して見てくださいと頼むことはなかった。
セリウスが避けるようになったことに感づいて遠慮しているのかもしれないし、昼間大勢に見せているからそれで満足しているのかもしれない。
見物人は日を追うごとに増えていった。踊りを観るために多くの人がようと神殿を訪れる。
セリウスは不思議でならなかった。踊り子──娼婦の男を誘う踊りを老若男女問わずにこぞって見物しようと集ってくるなんて。
二日ばかり昼に出会うことを避けていたセリウスが、娘が神殿の前で踊るところに通りかかったとき、二日前の倍はいると思われる人出にぎょっとした。
おかしいと思って近付いてみると、人々の雑談に思ってもみなかった言葉を聞く。
「これが、女神が欲した巫女様の踊りか。ありがたいことだ」
セリウスは思わずそれを口にした男の肩をつかんでいた。
「何の話だ? 」
男はうるさげに振り返ったものの、セリウスの緋色のマントに驚いて恐縮し、重ねて問われてかしこまって説明する。
「おれも噂で聞いただけなんでございます。今度の祈願祭(スプリカティオ)で生贄になる娘さんは、女神エゲリアにその踊りを愛でられて女神が特別に所望された特別な巫女様なんだそうで。その踊りを一目でも見ることができれば女神のご加護が賜れるっていうんで、何とか仕事の合間をぬってこうして訪れたってわけでございます」
セリウスは短く礼を言うとすぐにその場を離れた。この人出のために配置されたらしい神殿兵にカスケイオスの所在を問い、神官長に呼び出されたと聞いて神殿の裏手へ回った。
神官長の居室に向かう途中、建物から出てきたカスケイオスと出くわす。
軽く手を上げたカスケイオスの腕をつかんで、セリウスは石柱の影に引っ張った。
「何が目的だ?」
「何の話だ?」
「とぼけるな。あの娘のありもしない噂を流したのはお前だろう」
カスケイオスはにやっと笑う。
セリウスは胸倉をつかんで石柱にカスケイオスを押し付けた。
「言え。何の目的があってそんなことをした?」
「目的? お前はその噂にどんな意図を感じるんだ?」
「わからないから聞いている」
カスケイオスは首をすくめた。
「根拠がないのに俺は責められてるのか? 参ったな」
「茶化すな!」
胸倉を吊り上げようとするセリウスの手を、カスケイオスはつかんだ。
「今ポネロ様から話を伺ったが、首都から使者が訪れて、あの娘を皇帝陛下がお召しになりたいと言ってきた。ポネロ様は明後日までに娘を首都に届けると返事したぞ」
「な……んだって?」
セリウスは蒼白になる。皇帝が娘をお召しになると言ったら。
「念のために言うが、女神に愛でられるほどの巫女の踊りを一度見てみたいというだけの話だぞ?」
一瞬呆けたセリウスは、次の瞬間かっと頬を赤らめカスケイオスの手を振り払った。
「わ、私は別に、何も……」
口ごもるセリウスを面白そうに眺めながら、カスケイオスはセリウスを翻弄するように次の言葉を口にする。
「命令の内容はそうだったが、実際それだけで済むかどうかはわからん。好色の皇帝が気の迷いを起こさないとも限らんぞ?」
「お前それが目的だったのか!」
再び胸倉に伸びた手を、カスケイオスは直前で受け止めた。
セリウスとカスケイオスの力の差は歴然としていた。身長体格差はもちろんのこと、身のこなし、相手の動きを読む勘の良さ、加えて十という年齢差は埋められない経験という差まで生じさせる。
赤子同然にあしらわれて悔しさに顔を歪めながら、セリウスは問い詰めた。
「娘を陛下の寝所に送り込んで何をさせるつもりだ!?」
「いいや、何も」
拍子抜けするくらいあっさりとした返答をする。
「小娘一人に頼んだところで、畏れ多い皇帝陛下の前にしては緊張して何もできやしないだろ。心配ならお前が付き添ってやればいい」
「言われなくともついていくに決まっている。私はあの娘の監視役なのだからな!」
頭に血がのぼったセリウスからは、肝心なこと──カスケイオスが何を企んでいるか──をはっきりさせることを忘れ、肩を怒らせその場から立ち去る。
カスケイオスはしわになったチュニカの胸元をぱたぱたとはたき、セリウスの背中を見送りながら苦笑いした。