生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ
首都、そして皇帝の御前へ
20、ただ気にかけてもらえるだけで
首都からの使者が訪れた翌日、ユノを連れた一行は早朝エゲリア・ラティーヌ神殿を出発し、途中の宿場村で一泊して、翌日の夕方に首都へ到着した。
一行はユノと、同行の神官二人と警護にあたる神殿兵十人、そしてユノの監視についているセリウスとイケイルスも含めた大所帯だった。
首都からラティナに向かった際には半日しかかからなかったのに、馬をゆっくり走らせ無理ない行程で行くと二日になると知って、ユノは驚きを通り越してあきれてしまった。よくあの短時間で走破したものだ。無事にたどり着けたことに今更ながらほっとする。
前回はろくに見ることのできなかった景色を、今回はゆっくりと眺めることができた。
延々と続く青々とした田園に、牛や羊が草食む牧草地。
ひしめき合う集合住宅(インスラ)の合間で暮らしていたユノにとって、果てしなく続く大地や阻むものなく広がる空は恐ろしくさえあった。
不意に身震いがして、ユノは思わず馬のたてがみを強く握りしめる。ユノを前に乗せているセリウスは、手綱を片手にまとめて持ちもう一方の腕をユノの腰に回した。落ちそうになって怯えたと思っているのだろう。その腕はしっかりとユノの体を支える。ユノはその腕の強さに安堵を覚えた。
先日つい調子に乗って話しすぎ、セリウスの気分を害して避けられてしまった。せっかく声をかけることを許してもらったのに、失礼で返してしまって恥ずかしいばかりだ。もう親しくしていただけないだろうと落ち込んでいたら、セリウスは自分の馬にユノを乗せてくれた。
けれどセリウスに話し掛けていい雰囲気はなく、長く側に居る分余計気まずさが増す。ユノを乗せてくれたのは、監視役としての役目なのかもしれない。
だからこそさり気なく見せてくれる気遣いが、ユノの心をあったかくした。
首都に到着するとヌマ・ルクソーヌ神殿まで歩き、そこでユノは風呂に入れられ豪華なストラを着せられた。肩を止める留金(フィブラ)は大きくて金に宝石がちりばめられており、腰には黄色や青など高価な色で染め上げられた飾り紐を巻かれる。髪は結い上げられ髪留めなどで飾り立てられた。腕には金銀でできた太い腕飾りをはめられ、焼印を隠す。
支度が済むと神官たちに囲まれて神殿を出た。ユノたちの一行を通り過ぎる人々は物珍しそうにじろじろ見て、隣同士ささやきあう。内容が聞こえないから殊更に居たたまれない気分にさせられる。たくさんの人に囲まれていてもユノは自分が一人きりだと感じ心細く思った。
セリウスは神殿前で従者のイケイルスに何かを言われ、彼を伴ってどこかに行ってしまったきりだ。神殿兵の中にはカスケイオスがいたが、任務に徹するカスケイオスはユノに目もくれようとはしない。
公共広場(フォルム)の一角にある建物に入り、小さい部屋に通される。ここで待つようにと言われて一つしかない出入り口を閉められた。神官たちは別の部屋に案内されて、ユノは本当にたった一人になってしまう。
部屋の真ん中にただ一つ置かれた椅子にユノは腰掛けた。緊張が這い登ってくる。これから皇帝陛下の前で踊るのだと思うと体が震えてくる。こんなときは踊って気分を紛らせてしまえばいいと思うのだけど、強張った体が思うように動かなかった。震える指が鈴を弾いてしまう。
「あっ……」
鈴は磨かれた石の床を滑って遠くにいってしまった。拾いに行こうと思ったけれど、足に力が入らずに椅子から立つこともできない。
──こんなであたし、本当に踊れるの?
不安に押し潰されそうになる。
そのときだった。
「どうした?」
一人きりのはずの部屋に、声が響いた。
ユノははっとして顔を上げる。
声の主は扉を閉め、床に落ちている鈴に目を止めると拾い上げユノに差し出した。
セリウスだった。チュニカの上に緋色のトーガをまとっていた。巻き毛がいつもより丁寧に整えられている。ユノはセリウスの見慣れない装いをぽかんと見上げた。
「ほら」
促されてユノは我に返り、かしこまって受け取る。
「ひどく緊張していたようだが、カスケイオスから何か命じられているのか?」
「は?」
ユノは間抜けた声を上げてしまい、慌てて口を押える。
心配してもらったことが嬉しくて、ユノの顔は自然と笑顔になった。
「その……皇帝陛下の御前で踊るなんて畏れ多くて、ちょっと怖くなっただけです」
セリウスは、痛ましそうに眉根を寄せる。それがなんだかおかしくて、ユノは笑い声を上げてしまいそうになる。それをこらえて微笑みかけた。
「死ぬことより皇帝陛下にお会いすることの方が怖いなんておかしいですよね」
不思議だ。セリウスにただ気にかけてもらっただけだというのに、それまでの緊張がきれいさっぱり消えうせている。
しかしセリウスは、ユノの言葉が信じられなかったようだった。
「カスケイオスに何を言われたか知らないが、無駄に命を縮めたくなかったら皇帝陛下の仰る通りにしていることだ」
何をそんなに懸念しているのかさっぱりわからない。カスケイオスと今日のことで交わした話といえば、頑張れと励まされたことくらいだ。
けれどやけに思いつめたような様子に、ユノは頷くしかなかった。
一行はユノと、同行の神官二人と警護にあたる神殿兵十人、そしてユノの監視についているセリウスとイケイルスも含めた大所帯だった。
首都からラティナに向かった際には半日しかかからなかったのに、馬をゆっくり走らせ無理ない行程で行くと二日になると知って、ユノは驚きを通り越してあきれてしまった。よくあの短時間で走破したものだ。無事にたどり着けたことに今更ながらほっとする。
前回はろくに見ることのできなかった景色を、今回はゆっくりと眺めることができた。
延々と続く青々とした田園に、牛や羊が草食む牧草地。
ひしめき合う集合住宅(インスラ)の合間で暮らしていたユノにとって、果てしなく続く大地や阻むものなく広がる空は恐ろしくさえあった。
不意に身震いがして、ユノは思わず馬のたてがみを強く握りしめる。ユノを前に乗せているセリウスは、手綱を片手にまとめて持ちもう一方の腕をユノの腰に回した。落ちそうになって怯えたと思っているのだろう。その腕はしっかりとユノの体を支える。ユノはその腕の強さに安堵を覚えた。
先日つい調子に乗って話しすぎ、セリウスの気分を害して避けられてしまった。せっかく声をかけることを許してもらったのに、失礼で返してしまって恥ずかしいばかりだ。もう親しくしていただけないだろうと落ち込んでいたら、セリウスは自分の馬にユノを乗せてくれた。
けれどセリウスに話し掛けていい雰囲気はなく、長く側に居る分余計気まずさが増す。ユノを乗せてくれたのは、監視役としての役目なのかもしれない。
だからこそさり気なく見せてくれる気遣いが、ユノの心をあったかくした。
首都に到着するとヌマ・ルクソーヌ神殿まで歩き、そこでユノは風呂に入れられ豪華なストラを着せられた。肩を止める留金(フィブラ)は大きくて金に宝石がちりばめられており、腰には黄色や青など高価な色で染め上げられた飾り紐を巻かれる。髪は結い上げられ髪留めなどで飾り立てられた。腕には金銀でできた太い腕飾りをはめられ、焼印を隠す。
支度が済むと神官たちに囲まれて神殿を出た。ユノたちの一行を通り過ぎる人々は物珍しそうにじろじろ見て、隣同士ささやきあう。内容が聞こえないから殊更に居たたまれない気分にさせられる。たくさんの人に囲まれていてもユノは自分が一人きりだと感じ心細く思った。
セリウスは神殿前で従者のイケイルスに何かを言われ、彼を伴ってどこかに行ってしまったきりだ。神殿兵の中にはカスケイオスがいたが、任務に徹するカスケイオスはユノに目もくれようとはしない。
公共広場(フォルム)の一角にある建物に入り、小さい部屋に通される。ここで待つようにと言われて一つしかない出入り口を閉められた。神官たちは別の部屋に案内されて、ユノは本当にたった一人になってしまう。
部屋の真ん中にただ一つ置かれた椅子にユノは腰掛けた。緊張が這い登ってくる。これから皇帝陛下の前で踊るのだと思うと体が震えてくる。こんなときは踊って気分を紛らせてしまえばいいと思うのだけど、強張った体が思うように動かなかった。震える指が鈴を弾いてしまう。
「あっ……」
鈴は磨かれた石の床を滑って遠くにいってしまった。拾いに行こうと思ったけれど、足に力が入らずに椅子から立つこともできない。
──こんなであたし、本当に踊れるの?
不安に押し潰されそうになる。
そのときだった。
「どうした?」
一人きりのはずの部屋に、声が響いた。
ユノははっとして顔を上げる。
声の主は扉を閉め、床に落ちている鈴に目を止めると拾い上げユノに差し出した。
セリウスだった。チュニカの上に緋色のトーガをまとっていた。巻き毛がいつもより丁寧に整えられている。ユノはセリウスの見慣れない装いをぽかんと見上げた。
「ほら」
促されてユノは我に返り、かしこまって受け取る。
「ひどく緊張していたようだが、カスケイオスから何か命じられているのか?」
「は?」
ユノは間抜けた声を上げてしまい、慌てて口を押える。
心配してもらったことが嬉しくて、ユノの顔は自然と笑顔になった。
「その……皇帝陛下の御前で踊るなんて畏れ多くて、ちょっと怖くなっただけです」
セリウスは、痛ましそうに眉根を寄せる。それがなんだかおかしくて、ユノは笑い声を上げてしまいそうになる。それをこらえて微笑みかけた。
「死ぬことより皇帝陛下にお会いすることの方が怖いなんておかしいですよね」
不思議だ。セリウスにただ気にかけてもらっただけだというのに、それまでの緊張がきれいさっぱり消えうせている。
しかしセリウスは、ユノの言葉が信じられなかったようだった。
「カスケイオスに何を言われたか知らないが、無駄に命を縮めたくなかったら皇帝陛下の仰る通りにしていることだ」
何をそんなに懸念しているのかさっぱりわからない。カスケイオスと今日のことで交わした話といえば、頑張れと励まされたことくらいだ。
けれどやけに思いつめたような様子に、ユノは頷くしかなかった。