生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

23、離れてしまったセリウスの手

 頭を抱えていた腕を、不意につかまれた。
 そのまま引きあげられ立たされたユノは、その手に抱え込まれて歩かされる。ユノはかばってくれながらこの場を抜けようとしている人をほんの少し見上げた。

 セリウス様……。

 この場でユノを守ってくれる人は彼しかいない。セリウスが動きやすいように、できるだけ身を寄せ、歩調を合わせて一緒に抜け出した。

「大丈夫だったか?」
 部屋の隅までユノを避難させてセリウスが問う。
 騒ぎに巻き込まれた怖さと心細さから解放されたユノは、目を潤ませながら微笑んだ。
「はい」

 その返事にセリウスはほっと息をつく。が、すぐに厳しい表情をして中央を見据えた。
 今やほとんどの者が席を立ち、つかみ合い殴りあい、それを止めに入る者たちも交ざってめちゃくちゃだった。

 この事態、どうしたら収拾がつくのか。

 意地で口にした願いが引き起こしたこの事態から抜け出したユノは、他人事のようにあっけにとられて、段々になっている席の最上部からその様子を見下ろしていた。
 さっきから耳にしている話からすると、集っているのは元老院議員で、帝国の中でも最も高貴で選りすぐりの人材のはずだ。その彼らが子供のけんかのようにつかみ合い殴り合いをしている。何とも奇妙な光景だった。

「セリウス・マイウス殿」
 見れば兵士が二人側まできていた。ユノをかばうようにしてセリウスは前に出る。
「何か? 」
「そちらの娘をお引渡しいただきたい」
「皇帝補佐のご命令です」
 ユノは身をちぢこませセリウスの影に隠れた。

 しかしセリウスはユノの前からあっさりと退いてしまう。ユノは兵士に引き立てられた。
 どうして?
 助けてくれたのではなかったのか。

 泣きそうになりながら後ろを見ると、セリウスは心配そうな顔をしてユノを見つめるのに、その場から動こうとはしない。

 悲しくて悔しくて、ユノはうつむき唇を噛んだ。
 所詮タウルス防戦の英雄も権力には弱いのか。

 玉座の間近、アレリウスの側まで、ユノは連れてこられた。

 アレリウスは声を張り上げた。
「皇帝陛下の御前である!」
 その一言で騒ぎはおさまった。

 発言にふさわしい場を得てアレリウスは朗々と告げた。
「この御方は女神に愛でられし踊り手であるがゆえに生贄に望まれた。この方こそが女神が望まれた生贄であらせられる」
 そうだ、その通りだと声が上がる。アレリウスの陣営の者たちだ。
 そういう噂を聞きつけてこの場が設けられたことを公言することで、アレリウスはまんまと場をおさめてしまった。

 一方のトリエンシオス一派はしまったというような顔をして押し黙る。
「皇帝陛下の、ひいては帝国の加護をより強く得られるように願うのが我らの使命。また、陛下とこの方はかつて夫婦であらせられた。最期の夜を惜しませて差し上げるのが人の情けというものではありませんか? 元妃様におかれましては、どうぞ最期に陛下の恩情をお受けなされよ」

 アレリウスがうやうやしく差し出した手を、ユノは身を引いて避けた。

 ユノが願い出たあの言葉が拒否であったことに、この男は気付いていなかったのか?
 いいや、気付いていた。
 気付いていて聞かなかったことにし、気まぐれな皇帝のなぐさみにユノを差し出そうというのだ。

 絶対に嫌!

 ユノは睨み付けるような強い視線を向けた。
「わたくしは神殿に預けられた身。すでに神に捧げられたも同然なのです。わたくしに触れるというのならばその方には天罰が下り、わたくしの命もその場で果てるでしょう」

 衆人たちは息を飲んだ。
 本当にそんな天罰が起こるなどと本気にしたわけではないだろう。
 しかし震えながらも毅然と言い放ったユノから、触れられれば自害するという決意を読み取り覚悟の強さに圧倒されたのだった。
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