生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ
26、密談
カスケイオスは小さな明かりを持って薄暗い路地を抜け、大きな邸宅に入っていった。迎えに出てきた家内奴隷に案内されて、主人の部屋に入る。
「このように安易に呼び出されては、セリウス様に我々がつながっていることを感づかれますよ?」
家の主人より先に口を開く。主人はカスケイオスを咎めはしなかった。
それより脅しにも似た言葉にうろたえる。
「まさか気付かれるようなことでもあったのではあるまいな?」
恰幅のいい、黒い巻き毛にところどころ白髪が混じる中年の男、ティティアヌス・マイウス。セリウスの叔父で、養父でもある人物。生贄の巫女の一行が首都にとどまると知って、イケイルスを通じカスケイオスを呼び出したのだった
。
セリウスの養育にはトリエンシオスの一派が極秘で連携を取り合い、あらゆるところに手を回している。エゲリア・ラティーヌ神殿では神官長ポネロをはじめとして、神官、神殿兵が周囲を固めて安全を確保した。叔父のティティアヌスはセリウスを世俗に戻す役割を請け負い、従者をつけ、騎士階級を得るために必要な財産を分け与えた。戦場では騎士階級の仲間を護衛と戦争の指南役に幾人も送り込んだ。
中でも重大な役割を担っているのがカスケイオスだった。少年期から成人し現在に至るまで、一番身近でセリウスに強い影響力を持っている。
一番信頼し心を許しているカスケイオスが実は計画的にセリウスに近付いたのだと気付かれたりしたら、セリウスは深く傷つき誰も信用しなくなってしまうかもしれない。
カスケイオスは自分よりはるかに身分の高いティティアヌスにろくな敬意も払わず、勝手に椅子に座った。
「今回は大丈夫です。セリウス様は生贄の娘にかかりきりですから」
寝入った娘がいつ起きても温かい食事ができるようにと料理番と相談していた。その少し前までカスケイオスに怒りを向けていたというのに、あの熱心な様子ではもうカスケイオスがいなくなったことにも気付いていないだろう。
ティティアヌスはしぶい顔をした。
「イケイルスからも報告を受けているが、セリウス様はその娘にご執心のご様子だとか」
本人に接する時には父親の態度を取るティティアヌスだが、こういう内々の席ではすでに君主として仰ぐ心積もりを示している。
「その心をそなたがあおっているとも聞いているぞ。どういうつもりなのだ?」
カスケイオスはとぼけた調子で言った。
「おや? 俺の裁量にお任せくださるのではなかったのですか?」
「連絡を取り合っていては間に合わない状況に限ったことだ。遊興にふけるようなお方にお育てするわけにはいかないのだ」
妃に骨抜きにされ自ら執政を行わない堕落した現皇帝──それが大方の人々の見解で、ティティアヌスもそのように考えている。
しかしカスケイオスは皇帝のあれを好色とは思わない。
気弱な皇帝。後ろ盾なくば帝位に就くことはなかっただろう。幸か不幸か、妃の実家という強力な後ろ盾を得てしまったために皇帝になってしまった。
自分の立場の危うさを皇帝はよく知っている。だから自分の後ろ盾となってくれる妃とその実家を優遇するのだ。そんなからくりにトリエンシオスは気付いている。だから代替わりを急いでいる。
「セリウス様のあれは遊興などではありませんよ。ご本人は自覚されておいでではないですが、あの娘を真剣に好いておられます。こちらに向かう直前には、不覚にも首をとられましたよ。“これ以上あの娘を翻弄するようなら、私はお前を許さない”と脅されました」
冗談めかして首をすくめるカスケイオスをティティアヌスは怒鳴りつける。
「ならばなおのこと問題ではないか! 奴隷なぞ妃にはならんぞ。セリウス様には然るべき貴族の娘を娶っていただかなくては」
「今のセリウス様の問題はそれ以前のことでしょう!?」
カスケイオスは声を荒げて言い返した。
「セリウス様は心根がまっすぐで賢い、人の心を惹きつけるカリスマを持った、人の上に立つにふさわしい若者に成長されました。しかし覇気というものが全くありません。今の帝国に必要なのは腐りかけた中央政治を一掃し、がたがたになった帝国を率いていく気概のある皇帝なのではありませんか? セリウス様は帝国の現状を憂いてはいるものの、現皇帝、皇帝補佐に逆らおうというお気持ちはさらさらありません。そんな御方に皇帝に立つという志が芽生えることなどありません。自らその意思を持って立ち向かおうとしないセリウス様など、アントニウス・アレリウスは一ひねりにしますよ」
ティティアヌスは渋面を作って唸り声をあげた。
カスケイオスの言葉はもっともだ。周囲がいくら画策したところで、皇帝補佐がセリウスに直に命令を下せば、今のセリウスは異を唱えることなく受けてしまう。それは西の大河沿いの防衛線に飛ばされてしまったことで実証されてしまっている。
「ですから何でもいい、セリウス様には自らを駆り立てる情動をお持ちいただきたいのです。生贄の娘に心動くのなら、それを利用しない手はありません。それにティティアヌス様の心配には及びませんよ。娘はあと半月もしたら存在しなくなるのですから」
語尾をひそめたカスケイオスにティティアヌスは目を見開いた。
「そ、そうだった。娘は生贄になるのだったな。トリエンシオス様にはそのように報告しよう」
動揺をつくろってティティアヌスが言うと、カスケイオスはその動揺に気付かなかった振りをして慇懃に頭を下げた。
「よろしくお願いいたします。ティティアヌス様」
カスケイオスはさっさと立ち上がり、部屋を出てマイウス邸を辞した。
今日の宿を借りているヌマ・ルクソーヌ神殿にまっすぐ戻らず下町に向かう。
呼ばれたせいで食いっぱぐれた食事がてら、安い酒を飲んでから帰ろうと考えていた。いなくなったことに気付かれて問い詰められても、臭えば酒場に繰り出したかと呆れられるだけで済む。
どこに行こうかと思案した。そのとき、ふと思い出した。
セレンティア地区、セリウスが何故か訪れ娘を買ったという下町。
セリウスが下町に入り込んでしまったのは仕方ないとしても、堅物のセリウスが生贄の娘を選び、しかもその娘が娼館の奴隷だったというのは興味深い話だった。
セリウスの思考にどんな変化があったのか、知っておくいい機会かもしれない。
こうしてカスケイオスは向かう先を定めた。
「このように安易に呼び出されては、セリウス様に我々がつながっていることを感づかれますよ?」
家の主人より先に口を開く。主人はカスケイオスを咎めはしなかった。
それより脅しにも似た言葉にうろたえる。
「まさか気付かれるようなことでもあったのではあるまいな?」
恰幅のいい、黒い巻き毛にところどころ白髪が混じる中年の男、ティティアヌス・マイウス。セリウスの叔父で、養父でもある人物。生贄の巫女の一行が首都にとどまると知って、イケイルスを通じカスケイオスを呼び出したのだった
。
セリウスの養育にはトリエンシオスの一派が極秘で連携を取り合い、あらゆるところに手を回している。エゲリア・ラティーヌ神殿では神官長ポネロをはじめとして、神官、神殿兵が周囲を固めて安全を確保した。叔父のティティアヌスはセリウスを世俗に戻す役割を請け負い、従者をつけ、騎士階級を得るために必要な財産を分け与えた。戦場では騎士階級の仲間を護衛と戦争の指南役に幾人も送り込んだ。
中でも重大な役割を担っているのがカスケイオスだった。少年期から成人し現在に至るまで、一番身近でセリウスに強い影響力を持っている。
一番信頼し心を許しているカスケイオスが実は計画的にセリウスに近付いたのだと気付かれたりしたら、セリウスは深く傷つき誰も信用しなくなってしまうかもしれない。
カスケイオスは自分よりはるかに身分の高いティティアヌスにろくな敬意も払わず、勝手に椅子に座った。
「今回は大丈夫です。セリウス様は生贄の娘にかかりきりですから」
寝入った娘がいつ起きても温かい食事ができるようにと料理番と相談していた。その少し前までカスケイオスに怒りを向けていたというのに、あの熱心な様子ではもうカスケイオスがいなくなったことにも気付いていないだろう。
ティティアヌスはしぶい顔をした。
「イケイルスからも報告を受けているが、セリウス様はその娘にご執心のご様子だとか」
本人に接する時には父親の態度を取るティティアヌスだが、こういう内々の席ではすでに君主として仰ぐ心積もりを示している。
「その心をそなたがあおっているとも聞いているぞ。どういうつもりなのだ?」
カスケイオスはとぼけた調子で言った。
「おや? 俺の裁量にお任せくださるのではなかったのですか?」
「連絡を取り合っていては間に合わない状況に限ったことだ。遊興にふけるようなお方にお育てするわけにはいかないのだ」
妃に骨抜きにされ自ら執政を行わない堕落した現皇帝──それが大方の人々の見解で、ティティアヌスもそのように考えている。
しかしカスケイオスは皇帝のあれを好色とは思わない。
気弱な皇帝。後ろ盾なくば帝位に就くことはなかっただろう。幸か不幸か、妃の実家という強力な後ろ盾を得てしまったために皇帝になってしまった。
自分の立場の危うさを皇帝はよく知っている。だから自分の後ろ盾となってくれる妃とその実家を優遇するのだ。そんなからくりにトリエンシオスは気付いている。だから代替わりを急いでいる。
「セリウス様のあれは遊興などではありませんよ。ご本人は自覚されておいでではないですが、あの娘を真剣に好いておられます。こちらに向かう直前には、不覚にも首をとられましたよ。“これ以上あの娘を翻弄するようなら、私はお前を許さない”と脅されました」
冗談めかして首をすくめるカスケイオスをティティアヌスは怒鳴りつける。
「ならばなおのこと問題ではないか! 奴隷なぞ妃にはならんぞ。セリウス様には然るべき貴族の娘を娶っていただかなくては」
「今のセリウス様の問題はそれ以前のことでしょう!?」
カスケイオスは声を荒げて言い返した。
「セリウス様は心根がまっすぐで賢い、人の心を惹きつけるカリスマを持った、人の上に立つにふさわしい若者に成長されました。しかし覇気というものが全くありません。今の帝国に必要なのは腐りかけた中央政治を一掃し、がたがたになった帝国を率いていく気概のある皇帝なのではありませんか? セリウス様は帝国の現状を憂いてはいるものの、現皇帝、皇帝補佐に逆らおうというお気持ちはさらさらありません。そんな御方に皇帝に立つという志が芽生えることなどありません。自らその意思を持って立ち向かおうとしないセリウス様など、アントニウス・アレリウスは一ひねりにしますよ」
ティティアヌスは渋面を作って唸り声をあげた。
カスケイオスの言葉はもっともだ。周囲がいくら画策したところで、皇帝補佐がセリウスに直に命令を下せば、今のセリウスは異を唱えることなく受けてしまう。それは西の大河沿いの防衛線に飛ばされてしまったことで実証されてしまっている。
「ですから何でもいい、セリウス様には自らを駆り立てる情動をお持ちいただきたいのです。生贄の娘に心動くのなら、それを利用しない手はありません。それにティティアヌス様の心配には及びませんよ。娘はあと半月もしたら存在しなくなるのですから」
語尾をひそめたカスケイオスにティティアヌスは目を見開いた。
「そ、そうだった。娘は生贄になるのだったな。トリエンシオス様にはそのように報告しよう」
動揺をつくろってティティアヌスが言うと、カスケイオスはその動揺に気付かなかった振りをして慇懃に頭を下げた。
「よろしくお願いいたします。ティティアヌス様」
カスケイオスはさっさと立ち上がり、部屋を出てマイウス邸を辞した。
今日の宿を借りているヌマ・ルクソーヌ神殿にまっすぐ戻らず下町に向かう。
呼ばれたせいで食いっぱぐれた食事がてら、安い酒を飲んでから帰ろうと考えていた。いなくなったことに気付かれて問い詰められても、臭えば酒場に繰り出したかと呆れられるだけで済む。
どこに行こうかと思案した。そのとき、ふと思い出した。
セレンティア地区、セリウスが何故か訪れ娘を買ったという下町。
セリウスが下町に入り込んでしまったのは仕方ないとしても、堅物のセリウスが生贄の娘を選び、しかもその娘が娼館の奴隷だったというのは興味深い話だった。
セリウスの思考にどんな変化があったのか、知っておくいい機会かもしれない。
こうしてカスケイオスは向かう先を定めた。