生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ
36、二人の間を隔てる壁
恋に苦しむセリウスとユノの憔悴振りは、カスケイオスが見ていて痛々しいものがあった。
娘は変わらず神殿の前で踊りつづけている。けれどその踊りは以前と違って見えた。元気で無邪気だった踊りは、力強さは変わらないものの艶と憂いを帯び、見る者たちから掛声と手拍子を失わせる。
娘の顔に以前の笑顔はなかった。さびしげに笑い、ときに苦しげに表情を歪める。
皮肉にもそれが人々を魅了して、人々の訪れを一層増やした。
セリウスは滅多に部屋から出てこなくなり、カスケイオスが外に誘っても無言で首を横に振った。その顔は疲労の影が濃く、ほんの一日二日のことなのに、別人のように見えた。
娘を想う心を利用してセリウスの覇気を養おうとしたのに、これでは逆効果だ。
民衆に神に愛でられた娘の噂を流し、皇帝が噂を聞きつけ娘を召した計略は成功した。娘を守ろうと奔走するセリウスは娘との距離を縮めた。
多くの民衆を動かす策は容易いほどに上手くいったのに、ただ一人の心を操ることがこれほどまでに成し難いとは。
恋を知っただけでセリウスがここまで腑抜けになるとは思わなかった。愛する者を得て守るために強くなろうとするとばかり考えていた。
失敗した。このまま娘が死んでしまっては、セリウスは二度と立ち直れなくなる。そのようなことになれば、長年かけて多くの協力者と共に準備してきた計画が水の泡だ。
何とかしなくてはならない。
夜の食事を運んで娘の部屋を出てきたセリウスを、カスケイオスは神殿の入り口で待ち受けた。
「今日もただ食事を置いてきただけか?」
柱の影から不意に声をかけたのに、セリウスは驚くことなく振り向いた。
驚く気力も残っていないのかもしれない。
重傷だ。
何をそんなに落ち込むことがあるのか。想いが通じていると知っているはずなのに。
「娘が望んでるんだ。情けをかけてやればいいのに」
セリウスは生気のなかった表情を一気に赤く染め、飛びのいた。
「聞いていたのか!?」
「お前わき目もふらずに走ってったから、気付いてないとは思っていたけどな」
あのとき、いきなり部屋を飛び出していったセリウスを、カスケイオスは娘の部屋の前まで追いかけたのだった。
後退って石柱にぶつかったセリウスは、石柱の側面をずるずる滑って座り込んだ。赤くなった顔を両腕で覆って隠す。カスケイオスは屈んでセリウスの肩に手を置いた。
「お前から言い出しにくかったら、俺から話してやってもいいぞ」
セリウスは大きくかぶりを振ってカスケイオスの手を払いのける。
「やめてくれ!」
「何故拒む? 愛し合っている二人なら睦みあうのが自然だろう?」
カスケイオスはセリウスの前に膝を突き、肩をつかんで揺さぶる。
セリウスはその手から逃れようともがいた。
「そういうことは夫婦になった者たちだけがすることだ」
「だがお前たちは夫婦にはなれない」
セリウスの動きが止まった。呼吸さえも凍りつく。
カスケイオスは辛抱強く声をかけた。
「お前の倫理観のせいで、娘に心残りを持たせたまま死なせてもいいというのか?」
セリウスは息を飲み、しばし逡巡してから固く目を閉じた。
「だが、私には資格がない」
「資格? 愛し合うのに資格など必要なものか。お前は物事を難しく考え過ぎる」
煮え切らないセリウスに、カスケイオスは感情を押え難くなってつい責める口調で追い詰めた。
するとセリウスはカスケイオスを振り仰いで叫ぶ。
「違う! そういうことではない! 私は考え無しにあの娘を生贄に選び不幸のどん底に陥れた男だ。そんな男に誰が好意を持つというのだ? そのうえ私は娘に嫌われることを恐れてそのことを打ち明けられずにいる卑怯者だ」
「だからそれが考え過ぎだと言ってるんだ。お前が娘を生贄に選んだことを黙ったまま、ただ娘が望むように抱いてやればいい」
「自害をほのめかしてまで、皇帝陛下のお召しを拒み純潔を守ろうとした娘をか?」
カスケイオスは一瞬怯んだ。その隙にセリウスは言い募る。
「あの娘は娼婦などではない。高潔な魂を持った清らかな娘だ。その娘を欺いてまで我がものとしたいとは思わない。それに私はあの娘を妻にして幸せにしてやることができない。そんな男が、命を賭して娘が守り抜いた純潔を奪っていいはずがない」
「だったら!」
カスケイオスは勢い込んで言った。
「あの娘が生贄にならなくて済むようにしてやればいいじゃないか。お前にはそれができる。命さえ拾えばあとはどうとでもできる。正式な妻にはできなくとも、手元に置いて幸せにしてやることも可能だ。そのような例、いくらだってある」
セリウスは胸をかきむしり、泣きそうに顔を歪めて訴えた。
「お前は何故私に反逆をすすめるようなことを言う? 前にも言っただろう。そのようなことはできないと!」
「だから反逆をすすめてなんかないと俺は言ったはずだ! まだわからないのか? 帝国は危機に瀕しているんだぞ!? 版図はぼろぼろで、蛮族が鉄壁を誇る七都市の一つラティナから見えるところに我が物顔で居座っている。いつ帝国が滅びてもおかしくない状況下で、皇帝は身の保身のみに執心して政を省みず、皇帝から政を取り上げた皇帝補佐は、帝国は不滅と馬鹿を抜かし執政を行う傍らで帝国全土から搾り取った富をむさぼってやがるんだ。
自分の一声で蛮族など蹴散らしてやれると勘違いしてるから、蛮族の侵攻ですら自分の謀略の一駒に考える。お前を西の防衛線に追いやったのがいい例だよ。お前の働きがあって帝国が現在も存続してるようなもんなのに、その事実を見ぬふりして再び帝国を危機に陥れてるんだ。今の帝国はそんな愚か者のせいで好き放題に蹂躙されているんだぞ? お前はその事実から目をそむけてこのまま帝国を滅ぼすつもりか!?」
「滅ぼすつもりがないから、余計できないと言っているのではないか! 私が兵を挙げてただで済むはずがないと何故わからないんだ? 『私は皇帝の血を引いてる』んだぞ? その私が勝手に兵を挙げて反逆でないと言えるものか! 都市を守るためでしたと申し開きしたところで、帝位簒奪を企てた逆賊として処刑されるだけだ」
「そんなことにならないようにするさ!」
「ラティナを守るために挙げた兵の矛先を帝国に向けて、私を本当の逆賊に仕立て上げようというのか?」
手酷い言いようにカスケイオスはかっとなって言い返した。
「お前を逆賊に仕立てようなんてそんなこと考えるか!」
「私を帝位に就けようとするなら同じことだ」
娘は変わらず神殿の前で踊りつづけている。けれどその踊りは以前と違って見えた。元気で無邪気だった踊りは、力強さは変わらないものの艶と憂いを帯び、見る者たちから掛声と手拍子を失わせる。
娘の顔に以前の笑顔はなかった。さびしげに笑い、ときに苦しげに表情を歪める。
皮肉にもそれが人々を魅了して、人々の訪れを一層増やした。
セリウスは滅多に部屋から出てこなくなり、カスケイオスが外に誘っても無言で首を横に振った。その顔は疲労の影が濃く、ほんの一日二日のことなのに、別人のように見えた。
娘を想う心を利用してセリウスの覇気を養おうとしたのに、これでは逆効果だ。
民衆に神に愛でられた娘の噂を流し、皇帝が噂を聞きつけ娘を召した計略は成功した。娘を守ろうと奔走するセリウスは娘との距離を縮めた。
多くの民衆を動かす策は容易いほどに上手くいったのに、ただ一人の心を操ることがこれほどまでに成し難いとは。
恋を知っただけでセリウスがここまで腑抜けになるとは思わなかった。愛する者を得て守るために強くなろうとするとばかり考えていた。
失敗した。このまま娘が死んでしまっては、セリウスは二度と立ち直れなくなる。そのようなことになれば、長年かけて多くの協力者と共に準備してきた計画が水の泡だ。
何とかしなくてはならない。
夜の食事を運んで娘の部屋を出てきたセリウスを、カスケイオスは神殿の入り口で待ち受けた。
「今日もただ食事を置いてきただけか?」
柱の影から不意に声をかけたのに、セリウスは驚くことなく振り向いた。
驚く気力も残っていないのかもしれない。
重傷だ。
何をそんなに落ち込むことがあるのか。想いが通じていると知っているはずなのに。
「娘が望んでるんだ。情けをかけてやればいいのに」
セリウスは生気のなかった表情を一気に赤く染め、飛びのいた。
「聞いていたのか!?」
「お前わき目もふらずに走ってったから、気付いてないとは思っていたけどな」
あのとき、いきなり部屋を飛び出していったセリウスを、カスケイオスは娘の部屋の前まで追いかけたのだった。
後退って石柱にぶつかったセリウスは、石柱の側面をずるずる滑って座り込んだ。赤くなった顔を両腕で覆って隠す。カスケイオスは屈んでセリウスの肩に手を置いた。
「お前から言い出しにくかったら、俺から話してやってもいいぞ」
セリウスは大きくかぶりを振ってカスケイオスの手を払いのける。
「やめてくれ!」
「何故拒む? 愛し合っている二人なら睦みあうのが自然だろう?」
カスケイオスはセリウスの前に膝を突き、肩をつかんで揺さぶる。
セリウスはその手から逃れようともがいた。
「そういうことは夫婦になった者たちだけがすることだ」
「だがお前たちは夫婦にはなれない」
セリウスの動きが止まった。呼吸さえも凍りつく。
カスケイオスは辛抱強く声をかけた。
「お前の倫理観のせいで、娘に心残りを持たせたまま死なせてもいいというのか?」
セリウスは息を飲み、しばし逡巡してから固く目を閉じた。
「だが、私には資格がない」
「資格? 愛し合うのに資格など必要なものか。お前は物事を難しく考え過ぎる」
煮え切らないセリウスに、カスケイオスは感情を押え難くなってつい責める口調で追い詰めた。
するとセリウスはカスケイオスを振り仰いで叫ぶ。
「違う! そういうことではない! 私は考え無しにあの娘を生贄に選び不幸のどん底に陥れた男だ。そんな男に誰が好意を持つというのだ? そのうえ私は娘に嫌われることを恐れてそのことを打ち明けられずにいる卑怯者だ」
「だからそれが考え過ぎだと言ってるんだ。お前が娘を生贄に選んだことを黙ったまま、ただ娘が望むように抱いてやればいい」
「自害をほのめかしてまで、皇帝陛下のお召しを拒み純潔を守ろうとした娘をか?」
カスケイオスは一瞬怯んだ。その隙にセリウスは言い募る。
「あの娘は娼婦などではない。高潔な魂を持った清らかな娘だ。その娘を欺いてまで我がものとしたいとは思わない。それに私はあの娘を妻にして幸せにしてやることができない。そんな男が、命を賭して娘が守り抜いた純潔を奪っていいはずがない」
「だったら!」
カスケイオスは勢い込んで言った。
「あの娘が生贄にならなくて済むようにしてやればいいじゃないか。お前にはそれができる。命さえ拾えばあとはどうとでもできる。正式な妻にはできなくとも、手元に置いて幸せにしてやることも可能だ。そのような例、いくらだってある」
セリウスは胸をかきむしり、泣きそうに顔を歪めて訴えた。
「お前は何故私に反逆をすすめるようなことを言う? 前にも言っただろう。そのようなことはできないと!」
「だから反逆をすすめてなんかないと俺は言ったはずだ! まだわからないのか? 帝国は危機に瀕しているんだぞ!? 版図はぼろぼろで、蛮族が鉄壁を誇る七都市の一つラティナから見えるところに我が物顔で居座っている。いつ帝国が滅びてもおかしくない状況下で、皇帝は身の保身のみに執心して政を省みず、皇帝から政を取り上げた皇帝補佐は、帝国は不滅と馬鹿を抜かし執政を行う傍らで帝国全土から搾り取った富をむさぼってやがるんだ。
自分の一声で蛮族など蹴散らしてやれると勘違いしてるから、蛮族の侵攻ですら自分の謀略の一駒に考える。お前を西の防衛線に追いやったのがいい例だよ。お前の働きがあって帝国が現在も存続してるようなもんなのに、その事実を見ぬふりして再び帝国を危機に陥れてるんだ。今の帝国はそんな愚か者のせいで好き放題に蹂躙されているんだぞ? お前はその事実から目をそむけてこのまま帝国を滅ぼすつもりか!?」
「滅ぼすつもりがないから、余計できないと言っているのではないか! 私が兵を挙げてただで済むはずがないと何故わからないんだ? 『私は皇帝の血を引いてる』んだぞ? その私が勝手に兵を挙げて反逆でないと言えるものか! 都市を守るためでしたと申し開きしたところで、帝位簒奪を企てた逆賊として処刑されるだけだ」
「そんなことにならないようにするさ!」
「ラティナを守るために挙げた兵の矛先を帝国に向けて、私を本当の逆賊に仕立て上げようというのか?」
手酷い言いようにカスケイオスはかっとなって言い返した。
「お前を逆賊に仕立てようなんてそんなこと考えるか!」
「私を帝位に就けようとするなら同じことだ」