生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

39、娘の願い 前

 夜になり、セリウスが自分の部屋に戻ったのを見計らって、カスケイオスは娘の部屋を訪れた。
 外から声をかけると娘は小さく扉を開く。
「話したいことがあるんだ。いいか?」

 娘は少し思案げにし、それから顔を上げた。
「部屋の外でお願いできますか?」


 神殿の前の広場に出ると、娘は空を見上げ手のひらを目にかざした。
「うわぁ、明るい。まぶしいくらい」
 ちょっと踊ってみせて、これだけ明るければ遠くからでも踊りが見えるでしょうかと訊いてくる。

 前から思っていたが、つくづく能天気な娘だ。月が満ちれば命はないというのに、わざわざ見に来て、自分の命より踊りの舞台の心配をする。

「ちゃんと見えるかどうか心配なら、明日の晩、人を頼んで確かめておいてやるよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
 本気で嬉しそうに礼を言う。その顔で訊いてきた。
「それであたしに話って何ですか? 」

 無邪気さに話を切り出す意欲が萎えて、言いよどんでしまう。
「話というか、頼みたいことなんだが……」
 首を傾げた娘の耳に顔を寄せた。
「セリウスと寝てくれないか?」

 娘はぼっと赤くなって、カスケイオスに声を吹き込まれた耳を隠し後退った。
「何であたしに言うんですか!?」
「あんた、セリウスに情けをくれって頼んだだろ」
 娘の声は動揺でうわずった。
「せっセリウス様から聞いたんですか!?」
「いや、あのとき外で聞いてたんだ」

 娘はへなへなと座り込んだ。カスケイオスもその隣に座る。
「あんたも気付いていると思うが、セリウスの奴、救いようもないくらい落ち込んでるんだ。それであんたになぐさめてもらえないかと思ってだな」

 それしか方法を思いつかなかった。
 セリウスは娘の命を選択しかねている。皇帝になりたくないから娘の命をあきらめるという考えは、皇帝にならなくていいなら娘の命をあきらめないということで、何かの拍子にひっくり返るという中途半端な希望がある。それに兵を挙げないと断言しながら、まだ迷いも残っているのだろう。

 決断できないから悩むほどに憔悴していく。一度でも娘と睦みあい、戦うにしろ戦わないにしろ、セリウスに娘の命の行く末を決断させることができれば。

 頬を押えて火照りをなだめた娘は、わずかに照れを残した表情で返答した。
「嫌です」

 意外だった答えにカスケイオスは片眉を上げる。
「セリウスに抱かれたかったんじゃないのか?」

 あけすけな言葉に娘は頬を赤らめつつ、カスケイオスから視線を外して言う。
「世俗でお暮らしの殿方には慰めにもなるでしょうが、セリウス様は今でも心は神職に置く方です。そのような御方に、妻にできようもない女をあてがうなどあまりに無体なこと。無理を強いられては、セリウス様は余計お辛くなってしまわれるでしょう」

「セリウスがお前のことを愛しているとしてもか?」
 すかさず口にした言葉に娘は目を見開いた。

 この動揺の隙を逃さずカスケイオスは言葉を重ねる。
「愛した女を抱きたいと思うのは男の本能だ。それでも奴にそれを勧めるのは無体なことだと言うのか? お前は愛されていると知っても望みを捨てられるのか?」

 娘の唇がわなないた。
 あと一押しだ。
 勝利を予感してカスケイオスはほくそえむ。

 しかし娘ははっきりと拒絶を口にした。
「そうではないかと気付いてはいました。最初は恋に惑ったあたしの気のせいかと思っていましたが、時が経って少しは冷静になれば、あたしに接するときのセリウス様が以前より緊張しているのが見えてきます。カスケイオス様の言葉はあいまいだったあたしの予感を確信に変えたにすぎません」

 小娘にしては冷静な視点だった。カスケイオスはなるほどと聞き入ってしまう。

 けれどもセリウスの気持ちをここまで肯定しておきながら、娘の返事は変わらなかった。
「それでも、あたしがセリウス様に情けを求めてはならないと思うのです」

「何故!?」
 カスケイオスは苛立って声を荒げた。セリウスもこの娘も、何故こうも煮え切らない。

 怒りにも似た目で見下ろすカスケイオスを、娘は静かな目で見つめ返した。
「セリウス様があたしに罪悪感を持っているからです」

 カスケイオスは目を瞠った。
「気付いていたのか」
 セリウスの罪悪感。それはセリウス自身が娘を生贄に選んでしまったこと。

「最初はセリウス様が単にあたしを連れてくる任務に従われただけかと思いましたが、生贄に選ばれた娘をわざわざ高いお金を払って買い取ったり、ここに引き渡されるときにごたごたしたり、あたしが身代わりに選ばれた理由がまるで見えてこないとか、おかしなことが多すぎましたから」

「いやそんなことじゃなく……」
 気付いていて、それでもセリウスに想いを寄せているのか。

 カスケイオスの表情から察してユノはうっすら微笑む。
「やさしくされれば情も芽生えます。セリウス様は他の貴族からも貴方様の剣からもかばってくださったし、あたしの願いを叶えようと奔走してくださった。それが罪悪感からくるものであったとしても、あたしはそのやさしさに惹かれずにはいられなかったのです」

 語りながらセリウスを想い、うっとりする娘の顔は幸せそうだった。
「ならなおのこと結ばれたいのではないか?」

 娘はカスケイオスの再三の説得にも首を横に振った。
「一介の奴隷にも誠実に接してくださる、そんな清廉潔白なセリウス様だからこそあたしは愛したのです。だからこそ、その清らかさ正しさを守りたいのです」
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