生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ
40、娘の願い 後
カスケイオスは困惑した。
「奴隷に誠実って……。単に負い目があっただけじゃないのか?」
奴隷はただの道具だ。誠実さとは人間に向けるものだ。セリウスは生贄に選んでしまったことを後悔して、娘にやさしくしていただけではないか。
娘は小さくため息をついた。
「負い目だって、相手を人間だと思うからこそ感じるものなのではありませんか?」
尤もな指摘を聞いて、カスケイオスはぐっと息を詰まらせた。
「セリウス様はお解りになっておられるのです。奴隷とは、戦争で捕虜になったり親に捨てられた不運を負っただけの、ご自分と同じ人間なのだということを。それと同じで、あの御方は身分までもそのようにお考えなのでしょう。ご自分は単に貴族に生まれついただけ、彼らは下層帝国民に生まれついただけ。だからこそ軍の最高責任者でありながら部下に叱られるという恥辱にあっても、“お前たちは自分が見捨てられるとわかっていながら、その相手のために命を張って戦えるというのか? ”と言い返せたのだと思います」
とうとうと語る娘に圧倒されて、カスケイオスは言葉が出てこなかった。
娘はなおも続ける。
「その言葉だって、口先だけで語られたものだったら誰の心にも響きません。あの御方はその覚悟を自らが最後まで戦場に残ることでお示しになられた。並大抵の勇気ではできないことなのではありませんか? だからこそ、兵士の方々はセリウス様を信じ、セリウス様のために頑張ったのだと思います。── 貴方様も、そんなセリウス様だからこそお好きなのではありませんか?」
「俺、が……?」
急に話を振られてカスケイオスは口ごもる。
「セリウス様って、貴方様と一緒におられると、ちょっと子供っぽいことをなさいますよね? ほら、貴方様が女のあたしが神官の踊りを踊るのは禁欲的でいいって仰ったとき。殴って部屋から追い出されたじゃありませんか。関係を損ねたくなかったら、よっぽど信頼してなければできないことですよね。そういうことをしてもカスケイオス様に嫌われないと信じているからできるのでしょう。大人の男の方でも人に甘えたりなさることがあるんだなあって笑っちゃいました。そんなふうに信頼されたらすごく嬉しいんじゃありませんか? カスケイオス様ってわざとセリウス様を怒らせたり困らせたりなさいますよね? あれって、甘えてほしいからなんだろうなって、いつも思ってました」
カスケイオスは軽い衝撃を覚えていた。
セリウスのことは確かに気に入っている。しかし好き嫌いを論じられる立場にはないと自覚しているつもりだった。イケイルスにも言われたことがある、セリウスのことをかわいがっていると。しかしそれと好きとは別次元の話はずだ。
だが娘は言う。
「セリウス様はそうやって人を惹きつけずにはいられないのです。カスケイオス様には信頼を、あたしにはやさしさを、兵士のみなさんには覚悟を。どれも計算してやってることじゃありません。相手の気持ちを思ってのことだから、心を捉えて離さないのです。
そんなセリウス様だから、策略を強要したり、意に染まぬことを無理強いしたら、心が壊れてしまうかもしれません。だから、あたしたちはセリウス様が立ち直るのをただ見守っているしかないんです」
「そんな悠長なことを言っていたら、それこそあいつは死んでしまう!」
一番重要なことを思い出す。娘の話に惑わされて見失うところだった。セリウスは今、この娘を助けられないことに苦悩し己の身を苛むほどに憔悴している。この娘が死んでしまえば共に死んでしまうかもしれないほどに。
カスケイオスは膝を突いて身を乗り出し、娘の肩をつかんで揺さぶった。
「そこまであいつのことを理解しているのなら、頼む、あいつを助けてくれ。あいつを助けられるのはお前しかいないんだ」
取り乱したようにわめくカスケイオスに、娘はくすり笑いかけた。
「カスケイオス様もおかしな人ですよね。切羽詰ってるからといって奴隷に頼みごとするなんて。一言命じればよろしいのに」
「お前が嫌々命令に従ったりしたら、それこそセリウスは気付く。お前の意思でセリウスを求めてほしいんだ。必要だったら奴隷にだって頭を下げる。それのどこが悪い」
セリウスをなぐさめるということは強要したところでできることじゃない。娘にその気になってもらわなければ。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
娘はカスケイオスの手を肩から外しながら穏やかに言った。
「セリウス様は弱い方ではありません。時間はかかっても必ず立ち直られます」
「何を根拠に立ち直ると言う?」
「そうですね」
娘は立ち上がり、思案げに歩く。それからカスケイオスを振り返った。
「どうしても立ち直られそうになかったら、セリウス様に伝えてください。あたしの言葉を思い出してって」
娘の半身が月明かりに照らされて幻想的に浮かぶ。取り立てて魅力のない娘と思っていたが、カスケイオスはこのとき初めて娘の容姿の美しさに気付いた。
不思議な娘だ。普段話しているときには、こんなに口数の多い娘とは思わなかった。物事をこれほどまでに洞察できるとも。
セリウスのことも、カスケイオス以上にわかっている。
カスケイオスは娘の言うことを信じてみようという気になった。
「お前は……聡い女だったんだな」
娘はあら、と嬉しそうに声を上げた。
「さっきからの無礼ついでに申し上げますと、女は男より無力な分、どんなわずかなことからでも情報を引き出し自らの力に変えるのが得意な生き物です。その力をひけらかさないのは、それが切り札であることをよく知っているからです。女は公でものを訊ねることを許されないから、欠けた情報は頭で考えて埋めていくしかありません。しゃべらないからといって女はものを考えないと決めてかからないことですよ?」
カスケイオスは苦笑いした。
「ほんとに無礼な女だ」
その口調には娘への賛辞が込められていた。娘は満足げに微笑んだ。
「奴隷に誠実って……。単に負い目があっただけじゃないのか?」
奴隷はただの道具だ。誠実さとは人間に向けるものだ。セリウスは生贄に選んでしまったことを後悔して、娘にやさしくしていただけではないか。
娘は小さくため息をついた。
「負い目だって、相手を人間だと思うからこそ感じるものなのではありませんか?」
尤もな指摘を聞いて、カスケイオスはぐっと息を詰まらせた。
「セリウス様はお解りになっておられるのです。奴隷とは、戦争で捕虜になったり親に捨てられた不運を負っただけの、ご自分と同じ人間なのだということを。それと同じで、あの御方は身分までもそのようにお考えなのでしょう。ご自分は単に貴族に生まれついただけ、彼らは下層帝国民に生まれついただけ。だからこそ軍の最高責任者でありながら部下に叱られるという恥辱にあっても、“お前たちは自分が見捨てられるとわかっていながら、その相手のために命を張って戦えるというのか? ”と言い返せたのだと思います」
とうとうと語る娘に圧倒されて、カスケイオスは言葉が出てこなかった。
娘はなおも続ける。
「その言葉だって、口先だけで語られたものだったら誰の心にも響きません。あの御方はその覚悟を自らが最後まで戦場に残ることでお示しになられた。並大抵の勇気ではできないことなのではありませんか? だからこそ、兵士の方々はセリウス様を信じ、セリウス様のために頑張ったのだと思います。── 貴方様も、そんなセリウス様だからこそお好きなのではありませんか?」
「俺、が……?」
急に話を振られてカスケイオスは口ごもる。
「セリウス様って、貴方様と一緒におられると、ちょっと子供っぽいことをなさいますよね? ほら、貴方様が女のあたしが神官の踊りを踊るのは禁欲的でいいって仰ったとき。殴って部屋から追い出されたじゃありませんか。関係を損ねたくなかったら、よっぽど信頼してなければできないことですよね。そういうことをしてもカスケイオス様に嫌われないと信じているからできるのでしょう。大人の男の方でも人に甘えたりなさることがあるんだなあって笑っちゃいました。そんなふうに信頼されたらすごく嬉しいんじゃありませんか? カスケイオス様ってわざとセリウス様を怒らせたり困らせたりなさいますよね? あれって、甘えてほしいからなんだろうなって、いつも思ってました」
カスケイオスは軽い衝撃を覚えていた。
セリウスのことは確かに気に入っている。しかし好き嫌いを論じられる立場にはないと自覚しているつもりだった。イケイルスにも言われたことがある、セリウスのことをかわいがっていると。しかしそれと好きとは別次元の話はずだ。
だが娘は言う。
「セリウス様はそうやって人を惹きつけずにはいられないのです。カスケイオス様には信頼を、あたしにはやさしさを、兵士のみなさんには覚悟を。どれも計算してやってることじゃありません。相手の気持ちを思ってのことだから、心を捉えて離さないのです。
そんなセリウス様だから、策略を強要したり、意に染まぬことを無理強いしたら、心が壊れてしまうかもしれません。だから、あたしたちはセリウス様が立ち直るのをただ見守っているしかないんです」
「そんな悠長なことを言っていたら、それこそあいつは死んでしまう!」
一番重要なことを思い出す。娘の話に惑わされて見失うところだった。セリウスは今、この娘を助けられないことに苦悩し己の身を苛むほどに憔悴している。この娘が死んでしまえば共に死んでしまうかもしれないほどに。
カスケイオスは膝を突いて身を乗り出し、娘の肩をつかんで揺さぶった。
「そこまであいつのことを理解しているのなら、頼む、あいつを助けてくれ。あいつを助けられるのはお前しかいないんだ」
取り乱したようにわめくカスケイオスに、娘はくすり笑いかけた。
「カスケイオス様もおかしな人ですよね。切羽詰ってるからといって奴隷に頼みごとするなんて。一言命じればよろしいのに」
「お前が嫌々命令に従ったりしたら、それこそセリウスは気付く。お前の意思でセリウスを求めてほしいんだ。必要だったら奴隷にだって頭を下げる。それのどこが悪い」
セリウスをなぐさめるということは強要したところでできることじゃない。娘にその気になってもらわなければ。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
娘はカスケイオスの手を肩から外しながら穏やかに言った。
「セリウス様は弱い方ではありません。時間はかかっても必ず立ち直られます」
「何を根拠に立ち直ると言う?」
「そうですね」
娘は立ち上がり、思案げに歩く。それからカスケイオスを振り返った。
「どうしても立ち直られそうになかったら、セリウス様に伝えてください。あたしの言葉を思い出してって」
娘の半身が月明かりに照らされて幻想的に浮かぶ。取り立てて魅力のない娘と思っていたが、カスケイオスはこのとき初めて娘の容姿の美しさに気付いた。
不思議な娘だ。普段話しているときには、こんなに口数の多い娘とは思わなかった。物事をこれほどまでに洞察できるとも。
セリウスのことも、カスケイオス以上にわかっている。
カスケイオスは娘の言うことを信じてみようという気になった。
「お前は……聡い女だったんだな」
娘はあら、と嬉しそうに声を上げた。
「さっきからの無礼ついでに申し上げますと、女は男より無力な分、どんなわずかなことからでも情報を引き出し自らの力に変えるのが得意な生き物です。その力をひけらかさないのは、それが切り札であることをよく知っているからです。女は公でものを訊ねることを許されないから、欠けた情報は頭で考えて埋めていくしかありません。しゃべらないからといって女はものを考えないと決めてかからないことですよ?」
カスケイオスは苦笑いした。
「ほんとに無礼な女だ」
その口調には娘への賛辞が込められていた。娘は満足げに微笑んだ。