生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

43、大舞台へ

「どうした!?」

 この声に、ユノは腕を解いて顔を上げる。
「セリウス様……」

 セリウスは膝を突き、ひどく心配そうにユノを覗き込んでいた。
「何があった? 体の具合が悪いのか?」

 心が軽くなるのをユノは感じた。ずっと避けられていたから、こうして声をかけてもらえて嬉しい。嬉しすぎて目尻から涙が目ににじんだ。

 そして気付く。
 さっきまでユノを苛んでいたものが全て消え去っていることに。

 心の中はセリウスへの想いで一杯になった。ただ、愛しいと。

 体を起こし、ユノは微笑んだ。
「これからのことが少し恐ろしくなったのです。でも大丈夫。セリウス様が来てくださったから」
 セリウスがそばにいれば何一つ怖いことなんてない。

 セリウスは苦悩の表情を見せてうつむいた。
「私はおまえに何もしてやれない」

「いいえ。たくさんのことをしていただきました。それに今だってあたしに会いに来てくださっている。会ってくださって、こうしてお話ししてくださることが、あたしにとってどれほどの幸福か、おわかりいただけませんか?」
「しかし私は……っ!」

 顔を上げて叫ぶセリウスを、ユノは手を取って止める。
「さっきまで震えていたんですよ? でもセリウス様を見てからすっかり震えは止まりました」

 セリウスは手を取られたことに驚いて声も出せないようだった。
 こんなことでお世継ぎをつくれるのかしらと呆れてしまう。
 そしてお世継ぎを生むのはユノでありえないことも思い出して悲しくなった。たとえここで死ななくても、奴隷と貴族、しかもセリウスは帝位にも手が届く貴族の中でも最も高貴な生まれ。こうして二人きりでいること自体、奇跡に近い出来事なのだ。

 その奇跡に感謝しようと思った。ユノは他の誰にもできないことを成すことができる。
「セリウス様。あたし、セリウス様に生贄に選んでいただけたこと、今では嬉しく思っています」

 セリウスは瞠目した。
「気付いて、いたのか……?」

 体を引きかけるセリウスを、ユノは腕を強く握って引き止める。
「責めているんじゃありません。聞いてください。セリウス様が選んだ生贄があたしでよかったと、本当に思うのです。だって、あたしなら言って差し上げることができるもの。ご自分をお責めにならないでくださいって。あたしは自ら望んで生贄になるのですから」

 セリウスはユノの手を振り払った。
「何故だ!? おまえをこのような運命に引きずり込んだ張本人なのだぞ? 恨み言の一つもないのか?」

 ユノは静かに首を横に振った。
「恨むなんてとんでもない。あたしは奴隷の身では手に入れられないものを、たくさんいただきました。貴族である貴方様に声をかけることを許していただき、望みを叶えていただき、あたしのような者に心をくだいてくださいました」

 そして何より、恋を教えてくれた。
 自らが望まぬ愛を紡ぎつづける運命だったユノに、短いけれど幸福な時を与えてくれた。

「あたしは帝国を守るために神に捧げられるのですよね? それって帝国に生きるセリウス様のためってことにもなりませんか? それを思うと少しも怖くないんです。むしろ喜んでこの身を捧げられます」
 心配事がこれで消えたと思った。セリウスに伝えるべきことはこれだったのだと。

 名残惜しかったけれど、セリウスから手を離した。手を突いて頭を下げる。
「ですからどうか、セリウス様も祈ってください。あたしが立派に役目を果たせることを」

「時間です」
 戸口から神官が声をかけた。その様子から、待っていてくれたらしいことがうかがえる。ユノは、はいと返事して立ち上がり戸口に向かった。

「ユノ!」
 背後からかかった呼び声にユノは驚いて振り返った。
 呼びかけたセリウスも自分の行動に戸惑い、口元を押えている。

「あたしの名前をご存知だったんですか?」
「……どうして知らないと?」
「だって、呼んでくださったことなかったではないですか。ああ、でも覚えてくださっていたのですね。嬉しい、呼んでいただけて」
 ユノは両手を胸元に押し抱いた。幸福な気持ちに顔がほころんでくる。

「ユノ、私は……」
 セリウスは苦しげな表情で何か言いかけ、途中止めてしまった。続きを聞きたかったけれど、時間がなかった。呼びに来た神官が遠慮がちに急ぐよう告げる。

「あたし、神様の許に行ってもずっと祈り続けています。帝国の安寧を、そして貴方様、セリウス様の幸せを」
 ユノは惹かれる思いを懸命に堪えてセリウスに背を向けた。

 部屋を出てすぐのところで、カスケイオスが落ち着かない様子で待っていた。ユノはセリウスはもう大丈夫だと言う言葉を笑顔に変えてカスケイオスに向ける。

 神官の後について神殿を出た。神殿の建物の前には、遠くからも踊りが見えるようにと急場で組み立てられた木の舞台が出来上がっていた。ユノ一人が踊るには広すぎる大舞台。
 神官は道を譲り、ユノに深く一礼して階段へと手を差し伸べる。ユノは自分の立場を自覚し思わず喉を鳴らした。

 あたしは、人々の願いを神に届ける役目を負った巫女なんだ。

 こんな大役を任される日がくるなんて、娼館で暮らしていたころには思いもよらなかった。恐れ多きに足がすくむ。でも大丈夫。今のユノには踊り以外にも心の支えがある。

 セリウス様……。

「ユノ!」
 セリウスが背後で叫んだ。振り向いて駆け寄りたい衝動を覚え、ユノは必死に堪える。
 衝動の波を過ぎ越してから、ユノは心を落ち着けて笑顔を作り振り向いた。

 追いすがろうとしているセリウスを、カスケイオスが両腕をつかんで留めている。

 ユノは無邪気に手を振ってみせた。
「見ていてくださいね! あたしの最初で最期の大舞台を! 」

 舞台の上で燃え盛る松明に照らし出されたセリウスの表情は、赤い明かりの中でも絶望で蒼白になっているのが見てとれた。
 でも大丈夫。人はそんなに簡単に死ねない。ユノが神に捧げられたらしばらく後悔に苦しむだろうけど、それでもユノの言葉を思い出して立ち上がってくれる。
 ──あたしは帝国を守るために神に捧げられるのですよね?……ですからどうか、セリウス様も祈ってください。あたしが立派に役目を果たせることを。

 この言葉に込めた意味を、セリウスはきっと読み取ってくれる。

 願っている、帝国が平和になることを。
 神に祈るだけではきっと成しえない。ユノの願いを叶えられるのはセリウスだけだ。

 どうか守って。貴方の生きるこの世界を。

 舞台に向き直り階段を昇りはじめたユノの目の端から、涙がこぼれた。
< 43 / 56 >

この作品をシェア

pagetop