生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ
50、再会と別れ
歩兵が全員通り過ぎる。
それを見届け、槍を降ろし振り返ったセリウスはぎょっとした。
「どうした!?」
側に膝を突いてユノを覗き込んでくる。
「怪我でもしたか?」
答えないままじっと見つめて涙を流し続けるユノに、セリウスは困り果てた顔をして視線をさまよわせた。裂けた裾を見て蒼白になる。
「間に合わなかった、のか……?」
セリウスは地に手を突いてうなだれた。
「すまなかった……! もう少し早く駆けつけることができれば……」
何を言われているかわからずユノはぽかんとした。自分を見下ろし、衣服が裂け腰までさらした自分のあられもない姿に気付いて、慌てて破れ目をかき合わる。
「違います! これは自分で破ったんです! 踊りにくかったから」
セリウスは目をしばたかせた。
「……踊り?」
「そうです! 踊らされただけです! それ以外何もされてません!」
セリウスは心の底から安堵したため息をついた。
「そうか……」
何か言いたそうだったけれど、セリウスの口からそれ以上の言葉は出てこなかった。口下手なのか、セリウスの言葉はいつも足らない。けれどその分、表情が語る。
今まで見たことのないセリウスの笑顔。そのやわらかい表情にユノの心臓は高鳴る。
見つめ合ったのはわずかな間だった。ばらばらと馬の駆け足が聞こえてくる。
カスケイオスと手足に巻いた包帯から血をにじませているイケイルスだった。イケイルスはもう一頭の馬の手綱も引いている。
それを見てユノは現実に引き戻された。
ユノは生贄になるのだった。本当ならセリウスに再会するどころか夜明けを迎えるはずもなかった。
「指揮官に恋人と見つめ合ってる余裕なんてないぞ!」
からかわれてセリウスは顔を赤らめる。あたふたと指輪を外しユノの手を取って握らせた。
受け取ったユノは驚いた。
「これ……」
セリウスがいつも身につけている指輪だ。簡素なものかと思っていたが、よくよく見ると土台は金で小さな宝石がぎっしりとはめ込まれている。
「すまないがこれしか金目のものを持っていないんだ。これを金に換えてしのいでくれ」
こんな高価そうな品物を託される理由がわからない。
ユノは慌てて押し返した。
「いただくわけにはいきません。それに何故このようなものをくださろうとするのですか?」
セリウスは説明を失念していたことに気付き、ああと呟いた。
「おまえは、ここで死んだことにするんだ」
よどむことなく口にされた言葉にユノは目を瞠った。
「セリウス様……それって、あたしを逃がしてくださるということですか?」
「そうだ。カスケイオスが手配してくれる。しばらく不自由をかけるが、そこで待っていてくれ」
「カスケイオス様が?」
呆然とカスケイオスを見上げた。馬に乗ったままのカスケイオスはそっぽを向いていて、その表情は見えない。
ユノはセリウスに視線を戻した。
「でも、それでは祈願祭(スプリカティオ)は……」
「生贄は戦場で神に捧げられたことにする」
「え! 神を欺くのですか!?」
ユノの言いようにセリウスは少しむっとした表情になる。
「神を欺くのではない。生贄に捧げられる直前におまえが蛮族にさらわれたのは、きっと神がおまえの死を望まなかったからだ。その証拠におまえを無事蛮族から救い出せた。だから私は神の意に従っているまでなのだ」
ユノはセリウスを責めたわけじゃない。清く正しいセリウスが嘘をつくと口にしたからだった。カスケイオスの入れ知恵だったとしても、ユノの知っているセリウスはそんなことできない人物だったはずだ。
彼の中で一体何が起きたのだろう。
「そろそろ撤退をかけないと、居留区から出撃してくる蛮族に反撃をくらうぞ」
「ああ」
カスケイオスの言葉にセリウスは短く答え、ユノが指輪を返そうと差し出したままだった手を取った。指輪を握らせ直し、両手で押し包む。
「戦いが終わったら必ず迎えに行くから」
その言葉に、ユノは泣きたくなった。嬉しくて、嬉しくて、そして──。
セリウスの手が離れていく。
「しっかり頼んだぞ、カスケイオス」
イケイルスから手綱を受け取りながら、カスケイオスに念を押すように言う。
馬上に飛び乗り、セリウスはユノに微笑を向けた。ユノも微笑を返す。しばし見つめ合ったあと、セリウスは馬首を返し駆け出した。
イケイルスを伴って、セリウスは遠ざかっていった。
その背にユノは叫んだ。
「どうか、どうかご無事でいて!」
ありったけの思いを込めて。
セリウスたちが丘を下り見えなくなると、ユノはほうと息をついてカスケイオスを見た。
カスケイオスは何の感慨もない目でユノを馬上から見下ろしていた。
ああやっぱり、とユノは思う。
迎えに来ると言ってくれたセリウスの言葉、すごく嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、そして悲しくなった。
それが叶わないとわかったからだ。
セリウスは皇帝の血を引く高貴な生まれ、かたやユノは一介の奴隷。愛人として奴隷を囲う話は聞かないでもないけれど、セリウスを皇帝にしようとしているカスケイオスがそれを許すわけがない。
ユノは気丈に笑みかけた。
「あたしを殺すのでしょう?」
カスケイオスは聡い娘に同情するようにうっすらと笑った。
それを見届け、槍を降ろし振り返ったセリウスはぎょっとした。
「どうした!?」
側に膝を突いてユノを覗き込んでくる。
「怪我でもしたか?」
答えないままじっと見つめて涙を流し続けるユノに、セリウスは困り果てた顔をして視線をさまよわせた。裂けた裾を見て蒼白になる。
「間に合わなかった、のか……?」
セリウスは地に手を突いてうなだれた。
「すまなかった……! もう少し早く駆けつけることができれば……」
何を言われているかわからずユノはぽかんとした。自分を見下ろし、衣服が裂け腰までさらした自分のあられもない姿に気付いて、慌てて破れ目をかき合わる。
「違います! これは自分で破ったんです! 踊りにくかったから」
セリウスは目をしばたかせた。
「……踊り?」
「そうです! 踊らされただけです! それ以外何もされてません!」
セリウスは心の底から安堵したため息をついた。
「そうか……」
何か言いたそうだったけれど、セリウスの口からそれ以上の言葉は出てこなかった。口下手なのか、セリウスの言葉はいつも足らない。けれどその分、表情が語る。
今まで見たことのないセリウスの笑顔。そのやわらかい表情にユノの心臓は高鳴る。
見つめ合ったのはわずかな間だった。ばらばらと馬の駆け足が聞こえてくる。
カスケイオスと手足に巻いた包帯から血をにじませているイケイルスだった。イケイルスはもう一頭の馬の手綱も引いている。
それを見てユノは現実に引き戻された。
ユノは生贄になるのだった。本当ならセリウスに再会するどころか夜明けを迎えるはずもなかった。
「指揮官に恋人と見つめ合ってる余裕なんてないぞ!」
からかわれてセリウスは顔を赤らめる。あたふたと指輪を外しユノの手を取って握らせた。
受け取ったユノは驚いた。
「これ……」
セリウスがいつも身につけている指輪だ。簡素なものかと思っていたが、よくよく見ると土台は金で小さな宝石がぎっしりとはめ込まれている。
「すまないがこれしか金目のものを持っていないんだ。これを金に換えてしのいでくれ」
こんな高価そうな品物を託される理由がわからない。
ユノは慌てて押し返した。
「いただくわけにはいきません。それに何故このようなものをくださろうとするのですか?」
セリウスは説明を失念していたことに気付き、ああと呟いた。
「おまえは、ここで死んだことにするんだ」
よどむことなく口にされた言葉にユノは目を瞠った。
「セリウス様……それって、あたしを逃がしてくださるということですか?」
「そうだ。カスケイオスが手配してくれる。しばらく不自由をかけるが、そこで待っていてくれ」
「カスケイオス様が?」
呆然とカスケイオスを見上げた。馬に乗ったままのカスケイオスはそっぽを向いていて、その表情は見えない。
ユノはセリウスに視線を戻した。
「でも、それでは祈願祭(スプリカティオ)は……」
「生贄は戦場で神に捧げられたことにする」
「え! 神を欺くのですか!?」
ユノの言いようにセリウスは少しむっとした表情になる。
「神を欺くのではない。生贄に捧げられる直前におまえが蛮族にさらわれたのは、きっと神がおまえの死を望まなかったからだ。その証拠におまえを無事蛮族から救い出せた。だから私は神の意に従っているまでなのだ」
ユノはセリウスを責めたわけじゃない。清く正しいセリウスが嘘をつくと口にしたからだった。カスケイオスの入れ知恵だったとしても、ユノの知っているセリウスはそんなことできない人物だったはずだ。
彼の中で一体何が起きたのだろう。
「そろそろ撤退をかけないと、居留区から出撃してくる蛮族に反撃をくらうぞ」
「ああ」
カスケイオスの言葉にセリウスは短く答え、ユノが指輪を返そうと差し出したままだった手を取った。指輪を握らせ直し、両手で押し包む。
「戦いが終わったら必ず迎えに行くから」
その言葉に、ユノは泣きたくなった。嬉しくて、嬉しくて、そして──。
セリウスの手が離れていく。
「しっかり頼んだぞ、カスケイオス」
イケイルスから手綱を受け取りながら、カスケイオスに念を押すように言う。
馬上に飛び乗り、セリウスはユノに微笑を向けた。ユノも微笑を返す。しばし見つめ合ったあと、セリウスは馬首を返し駆け出した。
イケイルスを伴って、セリウスは遠ざかっていった。
その背にユノは叫んだ。
「どうか、どうかご無事でいて!」
ありったけの思いを込めて。
セリウスたちが丘を下り見えなくなると、ユノはほうと息をついてカスケイオスを見た。
カスケイオスは何の感慨もない目でユノを馬上から見下ろしていた。
ああやっぱり、とユノは思う。
迎えに来ると言ってくれたセリウスの言葉、すごく嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、そして悲しくなった。
それが叶わないとわかったからだ。
セリウスは皇帝の血を引く高貴な生まれ、かたやユノは一介の奴隷。愛人として奴隷を囲う話は聞かないでもないけれど、セリウスを皇帝にしようとしているカスケイオスがそれを許すわけがない。
ユノは気丈に笑みかけた。
「あたしを殺すのでしょう?」
カスケイオスは聡い娘に同情するようにうっすらと笑った。