生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ
52、帝都の下町で
ルクソニア帝国首都ルクソンナッソス。
都市全体が今、いつもより活気に満ちていた。
四年前タウルスを守りきった英雄は、昨年蛮族討伐のため本格的に兵を挙げ、電光石火で蛮族を掃討しながら帝国全土を回った。
そして版図回復を実現し、皇帝の退位に伴い新皇帝に擁立される。
帝国軍総指揮官として首都を旅立った英雄は、戦場を離れられず戦地にてその報せを受け取った。
今回の凱旋式は、そのまま新皇帝のおひろめとなる。即位式を挙げていない皇帝は帰還後に即位式に臨み、即位式を済ませて正式に皇帝位に就く。それから七日間、帝国は祝賀に沸き返ることになる。
あと数日で新皇帝率いる帝国軍が凱旋を果たす。人々はその日を心待ちにし、日に日に期待を膨らませているのだった。
首都の下町の一角セレンティア地区で、ユノは集合住宅(インスラ)の窓から外を眺めていた。
下町の小路地でも凱旋の話題に盛り上がっているのに、ユノの心は晴れやかになることはない。
わかっていたことだけど、改めて想い人との隔たりに打ちのめされていた。
蛮族掃討の近況報告が都市にもたらされるたびに、ユノはセリウスと自分との距離をひしひしと感じていた。最初は貴族階級の貴族と下町の奴隷だった。
ユノを救うために兵を挙げたセリウスは、次々と蛮族を打ち破り、帝国軍総指揮官に任ぜられ、とうとう皇帝の座に就いてしまった。
貴族と奴隷、もともと身分差は甚だしかったけれど、更に追い討ちをかけられている気分になる。
──戦いが終わったら必ず迎えに行くから。
その言葉に嘘があったとは思わない。けれど叶わないとわかっていた。
セリウスは普通の貴族じゃない。貴族が奴隷を愛人にする話はよく聞くけど、皇帝ともなるとそういうわけにはいかないだろう。皇帝の血筋を引く男児には帝位継承権の問題がある。奴隷の子が次期皇帝ということになると大問題だ。帝国では奴隷、解放奴隷であっても帝国の上流階級との結婚は許されていないのだから。
セリウスの性格からすると、ユノを伴侶と定めたら他の女性には目もくれないだろう。ユノとしては嬉しいが、皇帝に仕える臣下の人たちが黙っているはずがない。
カスケイオスも、ユノを見逃してはくれないと思っていた。
最初から油断ならない人だと思っていた。冗談ばっかりでふざけた人の振りして、気配はどこか張り詰めていた。
その理由に気付いたのは、セリウスがタウルスの英雄、皇帝の血を継ぐ人物だと知ったときだった。タウルスの英雄のことは知っていた。同じ名前だからもしやとは思っていたけれど、当人だとカスケイオスに聞かされ驚いたのと同時に納得した。
セリウスは噂で聞いたとおりの下々のことを考える高潔な人物だった。そしてカスケイオスは、そのセリウスを密かに守っているのだと。
カスケイオスは陽気で気安いようでいて、冷徹だ。ユノを容赦なく切り捨てようとしておきながら、そのことを笑顔で謝ってきた。口では謝っておきながら、態度には謝るそぶりがなかった。
こういう男が企みもなくセリウスを守っているとは思えなかった。そうすると自然に想像がついた。守ることで成そうとする企みなど、セリウスの皇帝擁立しかない。
セリウスを皇帝に就けるためには、この男は何でもするだろう。その障害となるものも何だって排除する。
そう思ったから、セリウスを見送ったあとカスケイオスに問いかけた。
あたしを殺すのでしょう? と。
カスケイオスは同情するようにうっすらと笑い、何故そう思うのかと問い返してきた。
ユノは自分の想像を全てぶちまけた。
──やっぱりお前は聡い女だよ。
口の端を上げたカスケイオスを見て、殺されると思った。
けれどカスケイオスはユノをラティナまで連れ帰り、知り合いの男に首都まで送らせた。
どうしてと訊くと、セリウスと約束したからと答える。
カスケイオスだったら必要ならばセリウスとの約束でも違えそうだと思ったから不思議で仕方なかった。もしかすると、今は殺さないだけで、そのうち殺しにくるのかもしれない。
そう考えながら一年が過ぎた。その間に、一度も殺されそうになったことはなかった。
人目を忍んで暮らしているからだろうか。居場所なんてばればれかと思っていたけど、案外気付かれていないのかもしれない。
首都に送り届けられたユノは、ニカレテの店に帰った。そこしかあてがなかったからだ。帰ってきたユノに驚くニカレテに、これまでの経緯を話しもう一度置いてもらえるよう頼んだ。やっかいを恐れて追い出されるかもしれないと覚悟したけど、ニカレテは匿ってくれた。
この街にユノが祈願祭(スプリカティオ)の生贄だったことを知っている者はいないだろうが、もともとユノは外で踊ることで目立っていたし、買い取られた経緯が珍しがられてちょっとした有名人になってしまっていた。そのため集合住宅(インスラ)の高層からほとんど出ずに、日長一日糸を紡ぐ生活をしている。
それももう一年になる。噂は新皇帝の話題に移り、ユノのことも記憶の隅に追いやられた頃だろう。ニカレテにずっと甘えているわけにもいかない。そろそろ働こうと考えている。
そう、新皇帝が正式に即位した後にでも。
カスケイオスがユノを放っておくのは、殺す必要がなくなったからだろう。一年も経てばセリウスの中から負い目は消え、皇帝としての自覚に目覚めているかもしれない。
セリウスがユノに向けた想いはきっと錯覚だったんだ。そう思うと、悲しさで胸がつぶれそうになる。
皇帝と奴隷。所詮叶わない夢。
この二言を必死に言い聞かせる。想いを断ち切らなければ、仕事で男に身を任すことなどできない。仕事ができなければ、どうやって生きていけるというのだろう。
ニカレテに言おうと思った。皇帝即位の祝賀の祭日に仕事を始めると。
決心が鈍らないうちにと思ってユノは窓辺を離れた。臥台から薄布を取って頭から被る。
小さな一人部屋だ。他の奴隷仲間にユノが帰ってきたと知れると、どこをどう話が伝わってしまうかわからないので、仕事をしていないけれど個室を与えられている。薄汚れた壁や床に、寝台代わりの粗末な臥台。他にろくなものがない。
ユノは廊下に顔を出し誰もいないことを確認すると、そそくさと部屋を出て狭い階段を降りていった。
都市全体が今、いつもより活気に満ちていた。
四年前タウルスを守りきった英雄は、昨年蛮族討伐のため本格的に兵を挙げ、電光石火で蛮族を掃討しながら帝国全土を回った。
そして版図回復を実現し、皇帝の退位に伴い新皇帝に擁立される。
帝国軍総指揮官として首都を旅立った英雄は、戦場を離れられず戦地にてその報せを受け取った。
今回の凱旋式は、そのまま新皇帝のおひろめとなる。即位式を挙げていない皇帝は帰還後に即位式に臨み、即位式を済ませて正式に皇帝位に就く。それから七日間、帝国は祝賀に沸き返ることになる。
あと数日で新皇帝率いる帝国軍が凱旋を果たす。人々はその日を心待ちにし、日に日に期待を膨らませているのだった。
首都の下町の一角セレンティア地区で、ユノは集合住宅(インスラ)の窓から外を眺めていた。
下町の小路地でも凱旋の話題に盛り上がっているのに、ユノの心は晴れやかになることはない。
わかっていたことだけど、改めて想い人との隔たりに打ちのめされていた。
蛮族掃討の近況報告が都市にもたらされるたびに、ユノはセリウスと自分との距離をひしひしと感じていた。最初は貴族階級の貴族と下町の奴隷だった。
ユノを救うために兵を挙げたセリウスは、次々と蛮族を打ち破り、帝国軍総指揮官に任ぜられ、とうとう皇帝の座に就いてしまった。
貴族と奴隷、もともと身分差は甚だしかったけれど、更に追い討ちをかけられている気分になる。
──戦いが終わったら必ず迎えに行くから。
その言葉に嘘があったとは思わない。けれど叶わないとわかっていた。
セリウスは普通の貴族じゃない。貴族が奴隷を愛人にする話はよく聞くけど、皇帝ともなるとそういうわけにはいかないだろう。皇帝の血筋を引く男児には帝位継承権の問題がある。奴隷の子が次期皇帝ということになると大問題だ。帝国では奴隷、解放奴隷であっても帝国の上流階級との結婚は許されていないのだから。
セリウスの性格からすると、ユノを伴侶と定めたら他の女性には目もくれないだろう。ユノとしては嬉しいが、皇帝に仕える臣下の人たちが黙っているはずがない。
カスケイオスも、ユノを見逃してはくれないと思っていた。
最初から油断ならない人だと思っていた。冗談ばっかりでふざけた人の振りして、気配はどこか張り詰めていた。
その理由に気付いたのは、セリウスがタウルスの英雄、皇帝の血を継ぐ人物だと知ったときだった。タウルスの英雄のことは知っていた。同じ名前だからもしやとは思っていたけれど、当人だとカスケイオスに聞かされ驚いたのと同時に納得した。
セリウスは噂で聞いたとおりの下々のことを考える高潔な人物だった。そしてカスケイオスは、そのセリウスを密かに守っているのだと。
カスケイオスは陽気で気安いようでいて、冷徹だ。ユノを容赦なく切り捨てようとしておきながら、そのことを笑顔で謝ってきた。口では謝っておきながら、態度には謝るそぶりがなかった。
こういう男が企みもなくセリウスを守っているとは思えなかった。そうすると自然に想像がついた。守ることで成そうとする企みなど、セリウスの皇帝擁立しかない。
セリウスを皇帝に就けるためには、この男は何でもするだろう。その障害となるものも何だって排除する。
そう思ったから、セリウスを見送ったあとカスケイオスに問いかけた。
あたしを殺すのでしょう? と。
カスケイオスは同情するようにうっすらと笑い、何故そう思うのかと問い返してきた。
ユノは自分の想像を全てぶちまけた。
──やっぱりお前は聡い女だよ。
口の端を上げたカスケイオスを見て、殺されると思った。
けれどカスケイオスはユノをラティナまで連れ帰り、知り合いの男に首都まで送らせた。
どうしてと訊くと、セリウスと約束したからと答える。
カスケイオスだったら必要ならばセリウスとの約束でも違えそうだと思ったから不思議で仕方なかった。もしかすると、今は殺さないだけで、そのうち殺しにくるのかもしれない。
そう考えながら一年が過ぎた。その間に、一度も殺されそうになったことはなかった。
人目を忍んで暮らしているからだろうか。居場所なんてばればれかと思っていたけど、案外気付かれていないのかもしれない。
首都に送り届けられたユノは、ニカレテの店に帰った。そこしかあてがなかったからだ。帰ってきたユノに驚くニカレテに、これまでの経緯を話しもう一度置いてもらえるよう頼んだ。やっかいを恐れて追い出されるかもしれないと覚悟したけど、ニカレテは匿ってくれた。
この街にユノが祈願祭(スプリカティオ)の生贄だったことを知っている者はいないだろうが、もともとユノは外で踊ることで目立っていたし、買い取られた経緯が珍しがられてちょっとした有名人になってしまっていた。そのため集合住宅(インスラ)の高層からほとんど出ずに、日長一日糸を紡ぐ生活をしている。
それももう一年になる。噂は新皇帝の話題に移り、ユノのことも記憶の隅に追いやられた頃だろう。ニカレテにずっと甘えているわけにもいかない。そろそろ働こうと考えている。
そう、新皇帝が正式に即位した後にでも。
カスケイオスがユノを放っておくのは、殺す必要がなくなったからだろう。一年も経てばセリウスの中から負い目は消え、皇帝としての自覚に目覚めているかもしれない。
セリウスがユノに向けた想いはきっと錯覚だったんだ。そう思うと、悲しさで胸がつぶれそうになる。
皇帝と奴隷。所詮叶わない夢。
この二言を必死に言い聞かせる。想いを断ち切らなければ、仕事で男に身を任すことなどできない。仕事ができなければ、どうやって生きていけるというのだろう。
ニカレテに言おうと思った。皇帝即位の祝賀の祭日に仕事を始めると。
決心が鈍らないうちにと思ってユノは窓辺を離れた。臥台から薄布を取って頭から被る。
小さな一人部屋だ。他の奴隷仲間にユノが帰ってきたと知れると、どこをどう話が伝わってしまうかわからないので、仕事をしていないけれど個室を与えられている。薄汚れた壁や床に、寝台代わりの粗末な臥台。他にろくなものがない。
ユノは廊下に顔を出し誰もいないことを確認すると、そそくさと部屋を出て狭い階段を降りていった。