薄羽蜉蝣
「あ……風鈴が……」

「風鈴?」

 訝しげな顔で、与之介が、きょろきょろと周りを見る。
 幻聴だったのだろうか。
 頭を振り、佐奈は与之介の手の刀身に目を戻した。

「綺麗な刃ですね」

「……ああ。血曇りもないしな」

 やはり未使用なのだ。
 そう思うと、佐奈は、ぷ、と吹き出してしまう。

「お佐奈さんまで馬鹿にすんのかい」

「いえいえ。抜いたことのない人が、弱いとは限りませんし」

 くすくす笑いながら言うと、与之介は少し拗ねたように口を尖らせて、刀身を鞘に納めた。

「ところでさっき、風鈴がどうとか?」

「ああ……いえ」

 ちょっと躊躇った後、佐奈は与之介を窺った。
 この三年、誰にも言ったことはない。
 この出来事を口にすることは、己の正体を晒すことになるからだ。

 今までは自然と知れてしまったことも、三年経てばようやく滅多なことでは誰も思い出さなくなった。
 そしてやっとこの、皆何かしら抱えているわりには居心地のいい長屋に落ち着けた。
 今ここでそれを口にして、この幸せが壊れはしないだろうか。

 だが誰かに聞いて欲しいと願う自分もいるのだ。
 ずっと心に溜まっている澱を吐き出したい。

「風鈴は……む、昔のことを思い出させるんです」

 いざ言おうとすると、声が震える。
 ぎゅ、と膝の上で拳を握り締める佐奈の頭に、ぽん、と与之介の手が置かれた。

「……ま、ここの奴らは皆何かしらあるんだ。無理して話すこたねぇよ」

「あ……の……」

「話すことで楽になることもあろうがなぁ。ま、話す気になったときでいい」

 ぽんぽん、と頭を叩き、与之介はあくまで軽く言った。
 話すことに、こんなに覚悟がいるとは思わなかった。

 俯き、佐奈は気持ちを落ち着かせるよう、息を吐いた。
 人を好きになると弱くなる。
 今まで散々人に背を向けられてきたので、人には期待しないように心を閉ざしてきた。

 過去のことで、やはりあの娘は、と言われないよう、例え人に何を言われようと毅然としてきた。
 それが、こんなにしんどいことだったのか。
 好きな人には頼りたくなってしまう。

 が、好きな人だからこそ、全て話して背を向けられたらと思うと恐ろしい。
 今まで気を張ってきたことが、一気に崩れて二度と前を向けないだろう。

 ぎゅ、と唇を噛み、佐奈は与之介の部屋を辞した。
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