薄羽蜉蝣
 切り放ちがあってから、与之介は鶴橋に通っている。
 この日も日が落ちてから、与之介は鶴橋で飯を食っていた。

「おや新宮様。その腕、どうされました」

 与之介の腕に走る赤い擦り傷に気付き、親父が問うた。

「長屋の雌猫を助けようとして、ドジ踏んだのさ」

 ふふ、と笑いながら言う。
 佐奈と河原に倒れ込んだときに、石で擦ったのだ。
 単なる擦り傷なので、洗ってそのまま放っている。

 親父は一瞬きょとんとしたが、すぐに、ははぁ、と意味ありげに口角を上げた。

「そういや長屋に、若い女子がいたんでしたな」

 そう言って、ふと親父は思案顔になった。

「たまさか今日、新宮様をお見かけしたときに、その女子も目にしたんですが」

 河原からの帰り、鶴橋の近くを通ったのだ。
 まだ店は開いてなかったが、そのときに見たのだろう。

「あの女子、どこかで見たような……」

 与之介が顔を上げる。
 確か佐奈は、元々表店の娘だ。
 どこかは詳しく聞いていないが、店をやっていれば、それなりに顔は広いかもしれないが。

「けどお佐奈さんは、何か家族絡みのごたごたで、なかなか一所に定着できなかったようだぜ。知った者のいる土地にゃいられないだろう。気のせいじゃねぇか?」

 与之介の言葉に、親父はしばし考え込んだ。
 が、諦めたように息をつく。

「そうさな。新宮様の傍にいるってんで、気になっただけかもしれやせん」

「邪魔してくれるなよ」

「滅相もない」

 笑い合い、与之介は鶴橋を後にした。
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