薄羽蜉蝣
「……いってぇ……」

 暗闇の中で、与之介は呻いた。
 打ったのは頭のはずなのに、何だか身体中が痛い。

 妙な姿勢で固まっていたからだ、と思い、頭より上にある足で、思い切り蓋を蹴り上げる。
 ばこん、と蓋が開き、光が差し込んだ。

「よっこらせっと。はぁ全く、酷い目に遭った」

 軋む身体をほぐしながら立ち上がり、辺りを見回す。
 確かにどこかの長屋の一室だ。
 が、何か見覚えがあるような。

---まぁ長屋なんざ、どこも大して変わらんか---

 そう思いつつ酒樽から出たところで、がらり、と腰高障子が開く。
 振り返った与之介の動きが止まった。

「あ」

 入ってきたのは佐奈である。
 与之介を見、少し困った顔で視線を逸らす。
 だが目が合った瞬間の一瞬だけ、嬉しそうな顔をした。

「いや……ていうか、え? な、何で……」

 最も会いたくなく、最も会いたかった相手にいきなり会い、与之介は狼狽えた。
 思考停止状態の与之介の目が、佐奈の後ろからのっそり入ってきた親父を捉える。

「無事覚醒しやしたかい。いや、帰って来ても目覚めてないようなら、酒樽に水でもぶっ込もうかと思ってましたよ」

「そ、そんなことより、何だ、これは!」

 噛みつく与之介に、親父はにやにやと笑う。

「何って、新しい塒でやんすよ。どこでもいいって仰いましたよね?」

「おかしいだろ! これのどこが新しい塒だよ!」

 親父の背後、開いた障子の向こうには、ついふた月前までの己の部屋が見える。
 つまり、ここは佐奈の部屋なわけだ。
 どうりで見覚えがあると思った。
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