薄羽蜉蝣
「確かに私は与之さんに父を殺されたのだろうけど。私が与之さんを恨むのは、父のことを何も知らないが故の、愚かなことではないかしら。伊勢屋さんのように、何の罪もない人たちじゃない。父は幼い子供を殺した。そのことを知っておきながら、私が与之さんを恨むのは、筋が違うと思いません?」

 与之介は黙っている。

「その匕首で、いつか下手人を殺してやるって思ってました。そういう気持ちがあったから、いきなり一人になっても耐えられた。でもすぐに、父の裏の顔を知ってしまった。複雑でしたね。それまでのご近所さんが、皆背を向けて、挙句出て行けって。こういうところから、罪人は生まれるんだなって悟りました。でも私は、『やはり盗人だ』『人殺しの娘だ』と思われたくなかった。その一心で、どんな非道な扱いを受けても道は踏み外さなかった。その匕首は、父と同じところに落ちないための、戒めに変わってました」

 膝の上の握り拳に力を入れ、与之介が口を開いた。

「……恨んでねぇのか?」

「わかりません」

 そう言いながら、佐奈は膳をずらして、与之介にいざり寄った。
 膝頭が触れ合うほどの距離まで近づき、膝の上の、与之介の拳に、そっと手を触れる。

 その瞬間、ぴく、と与之介が強張るのがわかった。
 佐奈の手に、与之介の震えが伝わる。

「でも、与之さんはそんな風に苦しんでいる。法で裁けない罪人を斬るのがお仕事なのに、玄八を斬ったことに苦しんでいるっていうのは、それが私の父だからでしょう? それだけで、私は十分です」

 きゅ、と佐奈は、与之介の拳の上の手に力を入れた。

「与之さん。父のために苦しんでくれて、ありがとう」

 ぱた、と佐奈の手の甲に、与之介の涙が落ちた。

「……帰って来てくれて、ありがとう」

 そろ、と俯いたままの与之介の肩に手を置くと、与之介は素直に、佐奈の肩に寄りかかった。
 幼子をあやすように、佐奈が与之介の背に回した手を、とんとんと小さく叩く。
 与之介の手が躊躇いがちに佐奈の背に回り、やがて、ぎゅ、と強く佐奈を抱きしめた。
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