くまさんとうさぎさんの秘密
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by時田 総一郎
熊谷泰明氏の追悼論文集に載せられた、印画メタルの論文の著者は、3人。英語のつづりしか名前がなく、当時の所属は、全員この大学になっている。一人は現在他大学の理学部教授ではないかと思われた。
あとの二人は、手元で確認する限り、全く誰なのか分からなかった。宇佐美さんに確認したところ、そのうちの一人、山本直哉さんは、今は町で個人病院を経営しているということだった。学校の健康診断などの活動もされていて、非常に地元で繁盛している内科小児科医院だ。
文集の件で本人に質問したいと宇佐美さんに伝えたら、ちょうど検診があるので、その後の会食の場なら、ご一緒していただけるとの事だった。
「山本さんは、当時は医学部の学生でも医者でもありませんね。」と、俺は宇佐美さんに尋ねた。
「ああ、、彼は、人間科学部の学生だったよ。確か、地方大学の医学部に入り直したんだ。私は、くまさんが亡くなった頃の彼らとの関係はあまり知らないんだ。最近は、仲良くさせてもらっているけれど、その頃の話をすることもない。でも、この論文は、間違いなく彼から直接受け取ったものだよ。他の二人の著者には直接確認を取らなかった。書きかけの論文とか、誰かが載せたいものは何でも載せたから、山本さんから口頭で了承済みと聞いただけで載せたんだ。プライベートに配るものだから、他のジャーナルに載ることがあっても問題ないだろうと思った。。確か、くまさんの書きかけの論文を、ここにのせることを提案したのも山本さんだったような気がするな。。」
宇佐美さんは、言った。
熊谷泰明氏の追悼論文集に載せられた、印画メタルの論文の著者は、3人。英語のつづりしか名前がなく、当時の所属は、全員この大学になっている。一人は現在他大学の理学部教授ではないかと思われた。
あとの二人は、手元で確認する限り、全く誰なのか分からなかった。宇佐美さんに確認したところ、そのうちの一人、山本直哉さんは、今は町で個人病院を経営しているということだった。学校の健康診断などの活動もされていて、非常に地元で繁盛している内科小児科医院だ。
文集の件で本人に質問したいと宇佐美さんに伝えたら、ちょうど検診があるので、その後の会食の場なら、ご一緒していただけるとの事だった。
「山本さんは、当時は医学部の学生でも医者でもありませんね。」と、俺は宇佐美さんに尋ねた。
「ああ、、彼は、人間科学部の学生だったよ。確か、地方大学の医学部に入り直したんだ。私は、くまさんが亡くなった頃の彼らとの関係はあまり知らないんだ。最近は、仲良くさせてもらっているけれど、その頃の話をすることもない。でも、この論文は、間違いなく彼から直接受け取ったものだよ。他の二人の著者には直接確認を取らなかった。書きかけの論文とか、誰かが載せたいものは何でも載せたから、山本さんから口頭で了承済みと聞いただけで載せたんだ。プライベートに配るものだから、他のジャーナルに載ることがあっても問題ないだろうと思った。。確か、くまさんの書きかけの論文を、ここにのせることを提案したのも山本さんだったような気がするな。。」
宇佐美さんは、言った。