くまさんとうさぎさんの秘密
by 熊谷 ひとみ
もうすぐ、、予定日まで、あと1ヶ月だ。
篤ちゃんとは、すっかり腹の探りあいに陥ってしまっていた。つまり、彼はつじつまを合わせてしまいたいし、私は、この状況を受け入れられずにいた。
私の病室には、優那ちゃんと篤だけがしょっちゅう出入りしていたけれど、この日、珍しく、お父さんの方の前嶋さんが顔を出した。
「ひとみちゃん、元気?」と彼は病室をのぞいた。
手土産に、生姜葛湯とカフェインレスのお茶とコーヒーを持ってきてくれた。親子だなぁと思った。
熊谷が亡くなった後、私の心を支えて立ち直らせてくれたのは、前嶋さん親子だったことは間違いない。
篤のピアノの先生を始めてからは、前嶋さんのお父さんとの再婚を勧められたり、促されたりなんてこともあった。まあ、当人どうしは全くそんな話はなく、しかも、前嶋さんが篤ちゃんをかまえない時間だから篤ちゃんを任されていたり、店だって、役割が違うので、前嶋さんと直接交流することがしょっちゅうあったわけではない。
「まあまあ、元気です。」と、私は答えた。
「篤は迷惑かけてない??」
「迷惑だなんて、、。」
元生徒に対して、隙があったのは、自分の方だ。
「俺にとっちゃさ、ひとみちゃんは、くまさんに託された大事なお嬢で、篤は可愛い可愛い1人息子なんだよ。嫌われるようなことは、させたくないからね。」
と、前嶋さんは、私の顔色をうかがうように言った。
偵察だ。彼は、私のことをお嬢と呼んだ。お互い、常に微妙な関係だと思う。
「前嶋さん、篤ちゃん甘やかしまくりだったもんね。男の子なのに蝶よ花よで篤ちゃん可愛かったから。女の子にもモテたし、やんちゃし放題で調子のってたよね。。」
前嶋さんのお父さんは、私より年上だ。篤ににているけれど、とげが抜けた感じとでも言うのだろうか。優しいが、のらりくらりとしたところもある。
「ふらふら遊び歩いてひやひやしたこともあったなぁ。あいつには、母親の愛情が足りなかったからさ。女の子に悪いこともしてたと思うよ。俺の言うことを何も聞かなくなったときには、泣けてきたけどなあ。まあ、他人のこととやかく言えるような親でもないけどさ。」
前嶋さんは、笑った。笑うと、やんちゃな感じが篤にそっくりだった。
「高校の頃、ひとみちゃん目当てにまっすぐ帰ってくるようになったろ。ひとみちゃん雇って、俺は経営者として勝ったと思ったんだよ。もう大丈夫だって。店だって、後継いだのは、ひとみちゃん目当てだからね。」
「そんなんじゃないと思うけど、、。」
「俺が言うのも何だけど、良い男になったでしょ。ちょっとお子様だけどさ。同じ年齢でも、もっと幼いやつもいると思うんだよ。ひとみちゃんに子ども扱いされないように必死だよ。あいつ。」
そんな事は、言われなくても分かってる。
前嶋さんのお父さんは、私のリクエストを受けて、カフェインレスのコーヒーを入れてくれた。
病室に、穏やかな香りが広がる。
「ダメって言われると、飲みたくなるのよね。何でかな。」
「何でかなあ」前嶋さんは、笑った。
この人が経営してた頃は、もうちょっと、なあなあなところがあった。何て言うか、篤ちゃんは、まじめで、多分、できすぎてるんだ。
「篤ちゃんがどれだけ気のきく人であっても、どれだけしっかりしてても、良い男かもしれないけど、私は、篤ちゃんのために頑張れない。自分が嫌になると思う。家族って、男と女だけじゃダメでしょ。今の篤ちゃんは、私にはまぶしいよ。私は、、障害者になっちゃったし、もうすぐ赤ちゃんも来るし、誰かにすがらなきゃ、やってけない事は分かってる。私、計算高くて嫌な大人なんだよ。」
前嶋さんは、まじめな顔をした。
「あいつは、「できちゃった」が相手の人生どれだけ狂わせるか、もう理解しているし、自分が子どもだったことも分かってるよ。寂しいこと言わないで挽回させてやってよ。」
お腹の中で、娘が私を蹴飛ばした。
何が正しいことなのかは、分からない。
義明は、私に向かって、篤に対しての「責任をとれ」と言った。
若い人からしたら、そうなんだろう。
でも、若い人に、アラフィフ妊婦の気持ちなんか分かるわけがない。
私だって、ここのところの一連の出来事から、篤の覚悟も本気も理解している。別れたところで、彼の心に傷を負わせてしまうと思う。でも、彼は、「できちゃった」を狙う若さ故の浅はかさも持っている。
前嶋さんのお父さんの代では、できちゃったシングルマザーにも温かい職場だった気がする。でも、、今の雰囲気だと、本人がしっかりしてなきゃ気を使うかな。。微妙な空気の違いというか。一生懸命仕事してたときは、良い緊張感だと思ってたんだけどな。妊娠したらきついな。
篤ちゃん、店では、自分より若い子とも年上の人ともうまくやってる。良いお父さんになるかもしれないけれど、これが最後の子どもになってしまうかもしれない。その上、早くに家族を亡くすかもしれない。
病気したことで、私は気弱になってしまっていた。
何だか、目頭が熱い。
前嶋さんは、、ベッドの脇に腰を下ろした。
「前嶋さん、ずるいよ。篤ちゃんに私をあてがったら、子育ても一段落と思ってるでしょ。私、もうすぐお嫁さん来そうな息子がいるんだよ。前嶋さんの考えてる事の方が分かっちゃう。息子の彼女が、すごく良い子で、息子のこと、すごく好きでいてくれるの。私もさ、息子はもう安心とか考えてる。」
涙がこぼれ落ちて、、次から次に、とうとう何も止まらなくなった。
あれあれ、何なんだろう。。私は、前嶋さんのお父さんに肩を借りた。
「篤ちゃんと、一緒になろうと思ってる。彼に何回も頭下げさせたし、自分が誰かにすがるしかないのも分かってる。子ども1人育てて、私には分かってる。卑怯でもずるくても、人に頭下げるしかなかったり、すがるしかなかったり、、」
完全にマタニティーブルーだ。。
涙が本当に止まらなくなった。、前嶋さんが、何か言った。
よく聞こえなかった。
その後、前嶋さんは、篤にぶん殴られる。
「お前、余裕がないんだよ。お前がどっかり構えてやらないから、彼女が迷うんだろ。」
「ガキで悪かったよ。だからって、息子の女に手出すとかあり得ないだろ。」
「冗談だろ。気分転換だよ。」
男どもの声が、遠くなる。止めることさえできない。。
そこに、小西先生と、助産師さんが入ってきた。
「ハイハイ、病室では静かにね。あんまりうるさいと出入り禁止にしちゃうよ。」
「すみません、2度とこんなことないように、よくよく言って聞かせますんで。」
「うるさいのはお前だろ。しかも、息子の女口説きに来やがって。」
「それは違う。」
「お前、はっきり言っただろう。俺と一緒になるかってひとみに聞いたよな。」
「冗談だ。冗談。」
「何か、トレンディドラマのような展開だけど、僕も参戦しちゃおうかな。彼女も赤ちゃんも、かわいそうすぎませんか?僕なら、安静にしてあげれるんだけどね。」
私は、ベッドに体を沈めていた。
気が遠くなりそうだった。
二人とも部屋を出ていった後、小西先生が言った。
「ひとみちゃん、ホント、ママだよね。若い子はさ、ああいうのドキドキしながら喜んじゃうよね。そういう若さ故の残酷さみたいなもんは枯れちゃってるというか。篤ちゃん心配でしょ。彼、可愛いよね。」
「そうかも、、。」
「子どもが二人できたと思って頑張るしかないよ。彼らにも、ちゃんと僕から説明しとくからね。安静と言ったら安静。」
「すみません、、。」
「本当は、退院してもらおうと思ったんだけど、あと2日ここにいてください。左手の神経が通ってない理由は分からないけど、経過は順調で、血液検査の結果も、血圧も、全く異常なしだから、自然分娩でいけるよ。多分。どちらにしてもリスクはあるから、ひとみちゃんの希望で、行こう。ただし、無理になったら、緊急帝王切開するからね。」
小西先生は、ウインクした。
もうすぐ、、予定日まで、あと1ヶ月だ。
篤ちゃんとは、すっかり腹の探りあいに陥ってしまっていた。つまり、彼はつじつまを合わせてしまいたいし、私は、この状況を受け入れられずにいた。
私の病室には、優那ちゃんと篤だけがしょっちゅう出入りしていたけれど、この日、珍しく、お父さんの方の前嶋さんが顔を出した。
「ひとみちゃん、元気?」と彼は病室をのぞいた。
手土産に、生姜葛湯とカフェインレスのお茶とコーヒーを持ってきてくれた。親子だなぁと思った。
熊谷が亡くなった後、私の心を支えて立ち直らせてくれたのは、前嶋さん親子だったことは間違いない。
篤のピアノの先生を始めてからは、前嶋さんのお父さんとの再婚を勧められたり、促されたりなんてこともあった。まあ、当人どうしは全くそんな話はなく、しかも、前嶋さんが篤ちゃんをかまえない時間だから篤ちゃんを任されていたり、店だって、役割が違うので、前嶋さんと直接交流することがしょっちゅうあったわけではない。
「まあまあ、元気です。」と、私は答えた。
「篤は迷惑かけてない??」
「迷惑だなんて、、。」
元生徒に対して、隙があったのは、自分の方だ。
「俺にとっちゃさ、ひとみちゃんは、くまさんに託された大事なお嬢で、篤は可愛い可愛い1人息子なんだよ。嫌われるようなことは、させたくないからね。」
と、前嶋さんは、私の顔色をうかがうように言った。
偵察だ。彼は、私のことをお嬢と呼んだ。お互い、常に微妙な関係だと思う。
「前嶋さん、篤ちゃん甘やかしまくりだったもんね。男の子なのに蝶よ花よで篤ちゃん可愛かったから。女の子にもモテたし、やんちゃし放題で調子のってたよね。。」
前嶋さんのお父さんは、私より年上だ。篤ににているけれど、とげが抜けた感じとでも言うのだろうか。優しいが、のらりくらりとしたところもある。
「ふらふら遊び歩いてひやひやしたこともあったなぁ。あいつには、母親の愛情が足りなかったからさ。女の子に悪いこともしてたと思うよ。俺の言うことを何も聞かなくなったときには、泣けてきたけどなあ。まあ、他人のこととやかく言えるような親でもないけどさ。」
前嶋さんは、笑った。笑うと、やんちゃな感じが篤にそっくりだった。
「高校の頃、ひとみちゃん目当てにまっすぐ帰ってくるようになったろ。ひとみちゃん雇って、俺は経営者として勝ったと思ったんだよ。もう大丈夫だって。店だって、後継いだのは、ひとみちゃん目当てだからね。」
「そんなんじゃないと思うけど、、。」
「俺が言うのも何だけど、良い男になったでしょ。ちょっとお子様だけどさ。同じ年齢でも、もっと幼いやつもいると思うんだよ。ひとみちゃんに子ども扱いされないように必死だよ。あいつ。」
そんな事は、言われなくても分かってる。
前嶋さんのお父さんは、私のリクエストを受けて、カフェインレスのコーヒーを入れてくれた。
病室に、穏やかな香りが広がる。
「ダメって言われると、飲みたくなるのよね。何でかな。」
「何でかなあ」前嶋さんは、笑った。
この人が経営してた頃は、もうちょっと、なあなあなところがあった。何て言うか、篤ちゃんは、まじめで、多分、できすぎてるんだ。
「篤ちゃんがどれだけ気のきく人であっても、どれだけしっかりしてても、良い男かもしれないけど、私は、篤ちゃんのために頑張れない。自分が嫌になると思う。家族って、男と女だけじゃダメでしょ。今の篤ちゃんは、私にはまぶしいよ。私は、、障害者になっちゃったし、もうすぐ赤ちゃんも来るし、誰かにすがらなきゃ、やってけない事は分かってる。私、計算高くて嫌な大人なんだよ。」
前嶋さんは、まじめな顔をした。
「あいつは、「できちゃった」が相手の人生どれだけ狂わせるか、もう理解しているし、自分が子どもだったことも分かってるよ。寂しいこと言わないで挽回させてやってよ。」
お腹の中で、娘が私を蹴飛ばした。
何が正しいことなのかは、分からない。
義明は、私に向かって、篤に対しての「責任をとれ」と言った。
若い人からしたら、そうなんだろう。
でも、若い人に、アラフィフ妊婦の気持ちなんか分かるわけがない。
私だって、ここのところの一連の出来事から、篤の覚悟も本気も理解している。別れたところで、彼の心に傷を負わせてしまうと思う。でも、彼は、「できちゃった」を狙う若さ故の浅はかさも持っている。
前嶋さんのお父さんの代では、できちゃったシングルマザーにも温かい職場だった気がする。でも、、今の雰囲気だと、本人がしっかりしてなきゃ気を使うかな。。微妙な空気の違いというか。一生懸命仕事してたときは、良い緊張感だと思ってたんだけどな。妊娠したらきついな。
篤ちゃん、店では、自分より若い子とも年上の人ともうまくやってる。良いお父さんになるかもしれないけれど、これが最後の子どもになってしまうかもしれない。その上、早くに家族を亡くすかもしれない。
病気したことで、私は気弱になってしまっていた。
何だか、目頭が熱い。
前嶋さんは、、ベッドの脇に腰を下ろした。
「前嶋さん、ずるいよ。篤ちゃんに私をあてがったら、子育ても一段落と思ってるでしょ。私、もうすぐお嫁さん来そうな息子がいるんだよ。前嶋さんの考えてる事の方が分かっちゃう。息子の彼女が、すごく良い子で、息子のこと、すごく好きでいてくれるの。私もさ、息子はもう安心とか考えてる。」
涙がこぼれ落ちて、、次から次に、とうとう何も止まらなくなった。
あれあれ、何なんだろう。。私は、前嶋さんのお父さんに肩を借りた。
「篤ちゃんと、一緒になろうと思ってる。彼に何回も頭下げさせたし、自分が誰かにすがるしかないのも分かってる。子ども1人育てて、私には分かってる。卑怯でもずるくても、人に頭下げるしかなかったり、すがるしかなかったり、、」
完全にマタニティーブルーだ。。
涙が本当に止まらなくなった。、前嶋さんが、何か言った。
よく聞こえなかった。
その後、前嶋さんは、篤にぶん殴られる。
「お前、余裕がないんだよ。お前がどっかり構えてやらないから、彼女が迷うんだろ。」
「ガキで悪かったよ。だからって、息子の女に手出すとかあり得ないだろ。」
「冗談だろ。気分転換だよ。」
男どもの声が、遠くなる。止めることさえできない。。
そこに、小西先生と、助産師さんが入ってきた。
「ハイハイ、病室では静かにね。あんまりうるさいと出入り禁止にしちゃうよ。」
「すみません、2度とこんなことないように、よくよく言って聞かせますんで。」
「うるさいのはお前だろ。しかも、息子の女口説きに来やがって。」
「それは違う。」
「お前、はっきり言っただろう。俺と一緒になるかってひとみに聞いたよな。」
「冗談だ。冗談。」
「何か、トレンディドラマのような展開だけど、僕も参戦しちゃおうかな。彼女も赤ちゃんも、かわいそうすぎませんか?僕なら、安静にしてあげれるんだけどね。」
私は、ベッドに体を沈めていた。
気が遠くなりそうだった。
二人とも部屋を出ていった後、小西先生が言った。
「ひとみちゃん、ホント、ママだよね。若い子はさ、ああいうのドキドキしながら喜んじゃうよね。そういう若さ故の残酷さみたいなもんは枯れちゃってるというか。篤ちゃん心配でしょ。彼、可愛いよね。」
「そうかも、、。」
「子どもが二人できたと思って頑張るしかないよ。彼らにも、ちゃんと僕から説明しとくからね。安静と言ったら安静。」
「すみません、、。」
「本当は、退院してもらおうと思ったんだけど、あと2日ここにいてください。左手の神経が通ってない理由は分からないけど、経過は順調で、血液検査の結果も、血圧も、全く異常なしだから、自然分娩でいけるよ。多分。どちらにしてもリスクはあるから、ひとみちゃんの希望で、行こう。ただし、無理になったら、緊急帝王切開するからね。」
小西先生は、ウインクした。