此華天女
 名治(めいじ)二十二年陰の暦、早花月朔日(さはなづきついたち)。
 帝都清華の五公家筆頭である空我別邸が何者かの手によって襲撃された事件を思い出し、唇を噛みしめる。

 柑橘類の果樹が植えられた芳しい林に囲まれた洋風建築は火を放たれ灰と化してしまったという。焼け跡からは別邸で働いていた使用人全員の遺体が発見されている。
 さいわい、本宅で暮らす正妻の実子と長女の梅子、跡取り息子で行方知れずになっている父侯爵の樹太朗に代わり仕事を行っている柚葉は無事だったが、別邸で暮らしていた愛妾の娘がひとり、行方を眩ませている。

 憲兵はすでに殺されたかもしれないなどと言っていたが、それは他の華族へ情報を拡散させないための嘘だ。ほとんどの人間はそれを信用しないで次の手を打ち始めている。

 無論、皇一族も。


 ――小環(しょうわ)よ。古都律華に食わせることも、帝都清華の鳥籠に再び閉じ込めることも許さぬ。あの娘を政争の火種にするとは罰あたりも甚だしい。断罪せよ。


 皇一族を差し置いて、ふたつの政治勢力は反発するように膨らんでいた。いつかは激突するであろうと恐れていたが……


「なんなんだ、天神の娘って」


 その原因が、清華五公家の頂点に君臨している空我当主の愛妾が産ませた娘にあるとは小環には納得がいかない。
 てっきり、伊妻の残党狩りを命じられたのだと思っていたが、話はそう単純なわけでもなく、あちこち複雑に絡み合っているようだ。手がかりはこの開発途上にある北海大陸に眠っているという眉唾ものの天女伝説と一部の華族間で評判になっているある施設の存在のみ。どちらも中途半端な情報である。
 だが、立ち止まって考えているばかりいるのは性に合わない。まずは父に命じられたとおり、陸軍に合流して、それから体制を整え潜入する。


 ――お前は時の花の蕾を持つ者。神に孕まされる前に、孕ませろ。


 父皇が去り際に呟いた不気味な言葉を思い出し、草を食べ終えて満足な馬を恨めしそうに見下ろしながら、小環は溜め息をつく。

「見知らぬ娘を孕ませろ、なんてふつう、一国の主が命じることか?」

 皇一族の大王おおきみで、この国の最高権力者である神皇帝の後継には兄の大松(ひろまつ)がいるというのに、なぜ自分がこんな損な役回りについているのだろう。

 小環は納得のいかない表情を湛えたまま、馬の手綱を手繰り寄せる。
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