此華天女
* * *
でこぼこ道を走る箱馬車のなかで、桜桃は昨晩見た夢を反芻させる。
「……カイム、か」
心のなかで口にしたはずなのに、隣に座っていた湾が、その固有名詞に反応していた。
「嬢ちゃん、思い出したのか?」
「思い出す?」
「嬢ちゃんの母君、セツさまはこの北海大陸が故郷なんだ。彼女は大陸の先住民、カイムの巫女姫だったんだよ」
そういえば、母が生きていた頃、そのようなことを口にしていた気がする。父と出逢うまでは北海大陸にいたと。
ただ、カイムの民がどうのこうのとか、巫女姫だったという話は初耳だ。
黙って耳を傾けている桜桃に、湾は滔々と告げる。
「俺の死んだお袋も、カイムの人間だったんだ」
「湾さんのご母堂さまもたしか、北海大陸ご出身でしたもんね」
湾の母、ユヱは一昨年亡くなったが、桜桃も何度か顔を合わせている。
彼女は北海大陸という帝都の人間からは想像もつかない未知なる世界に古くから生活していた一族の末裔だった。帝都へでてきてからは篁八重(たかむらやえ)と名を改め、滅多に過去を語ることはしなかったが、桜桃の母、セツが同郷だと知ってよく世話を焼いてくれたものだ。
そのときには既にセツは病魔に蝕まれ余命いくばくもない状態だったけれど。
「もっと早くセツさまと出逢えていれば助けられたかもしれないって嘆いていたっけ。帝都の空気が合わないから命を落とす結果になったんだと」
「……帝都の空気は淀んでいるっていつもおっしゃってましたから」
桜桃が十歳の時に亡くなった母、セツ。父の樹太朗が彼女のためにいくら敷地内に緑を植えて柑橘類の林をつくっても、気休めにしかならなかった。それでも母は喜んで別邸に暮らしていたっけ……
しんみりしてしまった桜桃に、湾がぽん、と肩を叩く。
「たしかに帝都のごみごみした雰囲気と比べたら、ここは見渡す限りの大自然だ。空気だっておいしいだろ?」
桜桃が淡く笑って首肯するのを見て、湾がホッとしたように破顔する。
「カイムってのは、この土地に古くから暮らしている民族の総称だ。まぁ、北海大陸もでかいからその中でも細々とした分類がされているみたいだけど」
セツとユヱは同じカイムの民だったが、生活していた場所には差異があったらしい。詳しいことは俺もわからないや、と苦笑しながら湾は説明をつづける。
「セツさまは、樹太朗に見初められるまでそのカイムの民を統べる神々の代弁者として活躍されていたんだ」
「神々の代弁者……つまり、巫女姫ってことよね?」
さきに湾が口にしていた巫女姫という言葉を思い出し、確認すると、嬉しそうに頷く。
「この国には数多の神が存在している。神と等しい身分を持つのは国を治めている神皇帝とそれに属する皇一族のみとされている。それが常識とされていた。けれど、この北海大陸はその常識が通用しないんだ」
「……先住民たちと、信仰するものが違うから?」
でこぼこ道を走る箱馬車のなかで、桜桃は昨晩見た夢を反芻させる。
「……カイム、か」
心のなかで口にしたはずなのに、隣に座っていた湾が、その固有名詞に反応していた。
「嬢ちゃん、思い出したのか?」
「思い出す?」
「嬢ちゃんの母君、セツさまはこの北海大陸が故郷なんだ。彼女は大陸の先住民、カイムの巫女姫だったんだよ」
そういえば、母が生きていた頃、そのようなことを口にしていた気がする。父と出逢うまでは北海大陸にいたと。
ただ、カイムの民がどうのこうのとか、巫女姫だったという話は初耳だ。
黙って耳を傾けている桜桃に、湾は滔々と告げる。
「俺の死んだお袋も、カイムの人間だったんだ」
「湾さんのご母堂さまもたしか、北海大陸ご出身でしたもんね」
湾の母、ユヱは一昨年亡くなったが、桜桃も何度か顔を合わせている。
彼女は北海大陸という帝都の人間からは想像もつかない未知なる世界に古くから生活していた一族の末裔だった。帝都へでてきてからは篁八重(たかむらやえ)と名を改め、滅多に過去を語ることはしなかったが、桜桃の母、セツが同郷だと知ってよく世話を焼いてくれたものだ。
そのときには既にセツは病魔に蝕まれ余命いくばくもない状態だったけれど。
「もっと早くセツさまと出逢えていれば助けられたかもしれないって嘆いていたっけ。帝都の空気が合わないから命を落とす結果になったんだと」
「……帝都の空気は淀んでいるっていつもおっしゃってましたから」
桜桃が十歳の時に亡くなった母、セツ。父の樹太朗が彼女のためにいくら敷地内に緑を植えて柑橘類の林をつくっても、気休めにしかならなかった。それでも母は喜んで別邸に暮らしていたっけ……
しんみりしてしまった桜桃に、湾がぽん、と肩を叩く。
「たしかに帝都のごみごみした雰囲気と比べたら、ここは見渡す限りの大自然だ。空気だっておいしいだろ?」
桜桃が淡く笑って首肯するのを見て、湾がホッとしたように破顔する。
「カイムってのは、この土地に古くから暮らしている民族の総称だ。まぁ、北海大陸もでかいからその中でも細々とした分類がされているみたいだけど」
セツとユヱは同じカイムの民だったが、生活していた場所には差異があったらしい。詳しいことは俺もわからないや、と苦笑しながら湾は説明をつづける。
「セツさまは、樹太朗に見初められるまでそのカイムの民を統べる神々の代弁者として活躍されていたんだ」
「神々の代弁者……つまり、巫女姫ってことよね?」
さきに湾が口にしていた巫女姫という言葉を思い出し、確認すると、嬉しそうに頷く。
「この国には数多の神が存在している。神と等しい身分を持つのは国を治めている神皇帝とそれに属する皇一族のみとされている。それが常識とされていた。けれど、この北海大陸はその常識が通用しないんだ」
「……先住民たちと、信仰するものが違うから?」