此華天女
 こう見えても湾は、現神皇帝、名治の血を継いでいる。世が世なら彼が帝として国を担っていたかもしれない人物なのだ。
 ただ、母、ユヱが北海大陸の先住民だったことや名治自身が成人する前に孕ませた息子だったため皇一族は彼に皇位継承権を授けず、篁という苗字を与えて彼が二十歳になるまで養育し、当時、勢力を伸ばしつつあった古都律華の川津家へ釘を刺すように婿入りさせることで厄介払いをしたという複雑な経緯がある。本人は妻となった川津米子とそれなりにしあわせな日々を送ったそうだが、紛れもない政略結婚だ。
 結婚五年で米子が病気で亡くなってからも皇一族との縁は切れていないようで、湾と正妃が生んだ異母弟はいまも連絡を取り合っているという。

「そうなんだ」
「それに、彼らは空我家に天神の娘がいることをとっくに知っている。いまになって殺すなんてことはありえない」
「湾さんも、あたしが天神の娘だって知ってたわけだよね? ゆずにいもそんなこと言ってたし……知らなかったのはあたしだけなの?」
「天神の娘、という存在が樹太朗のもとで大切にされているという話なら、皇一族では知れ渡っているよ。ここでの天神の娘は嬢ちゃんのことじゃなくてセツさまのことだけど」
「……伊妻の内乱ね。皇一族に反旗を翻した古都律華の伊妻家を、お父さまが北海大陸まで追い詰めて鎮静したっていう……そっか、そこでカイムの巫女姫であったお母さまと出逢ったのね」

 思いだしながら、桜桃は湾の方へ顔を向ける。湾はそのとおりと頷き、言葉を繋げる。

「樹太朗は内乱を治めた後、セツさまを帝都へ連れ帰って妻にした。彼女が天神の娘だということは秘せられたけど、彼は主である神皇帝だけには真実を告げたんだ。彼女はカイムの地で至高神の血を与えられてはいるが、ちからのないひとりの女性である、ゆえに恐れる必要もないと」
「それで納得したの?」
「表面上は。だけど裏では何かしていたかもしれない。樹太朗にはすでに川津家から迎えることになった実子さまがいたからね……彼女に情報を与えて疑心暗鬼にさせることなど簡単なことさ。主人が仕事から戻ってくる際に得体の知れない女を妻にするために連れ帰ってきてるんだ。現にその女は巫女姫で不思議なちからを使う、と知ったら忌々しくもなるだろう?」
「……そういえば、実子さまは顔を合わせるたびに母を女狐とか魔女とか言って呪っていました」
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