此華天女
* * *
突然降りだした雨に、いままでの悪夢のような出来事を見つめて静止していた生徒たちの時間がふたたび動き出す。洗濯物を取り込まなくちゃと慌てる場違いな少女の声が、虚しく響く。
輪の中心に残っていた天神の娘も、同室の少女に腕を引かれて引きずられるように建物の中へ吸い込まれていった。その姿を確認して少女はそっと表へ立つ。
白亜の校舎を背に黄金色の稲光が注ぎ込む。その情景は、神の怒りのように見えなくもない。
轟音を立てて降りだす雨に動じることなく、少女は困ったように呟く。
「外したのね、残念」
少女が顔を向けた先には、同じようにびしょ濡れになって突っ立っているボレロ姿の少女がいる。少女の瞳は、澄み切った灰色。
「……」
その腕には、少女が持つにはおおきすぎる無骨な猟銃を抱きかかえている。発砲したことで生じた焦げくさい臭いは、この雨で消されてしまったようだ。
ふたりの少女は降りしきる雨の中、睨みあうように対峙する。
「天神の娘を殺せと言ってるわけじゃなかったのに。ただ、ここにいたら困るから、別の舞台に移ってもらいたかっただけ……まさか帝都清華の令嬢が庇うなんて」
「何を言っているの?」
疑わしそうな少女を見て、暗示が解けてきたのを悟り、ふたたび少女は名で縛る。
すると、怪訝そうな顔をしていた少女の瞳の色が薄くなり、蝋人形のように、表情を失った。
暗示を施した少女は満足そうに少女の耳元へ囁く。
「この地に春を呼ぶために、必要なのは天女であって、ちからを持たない天神の娘ではない」
少女はそう口にして、付け加える。
「でも、ようやく網にかかった天神の娘をそのまま殺したら、古都律華の頭の固い奴らと一緒。神々を統べる至高神と契りを結んだカシケキクの末裔である天神の娘ですもの、利用しなくては」
天神の娘が泣いたからか、ひどい雨だ。
自分たちを糾弾するような氷雨を浴びながら、少女はそれでも宣言する。
「失われた伊妻の栄光をこの手に取り戻すため、皇一族を奈落の底へ突き落すため、天神の娘には傀儡になっていただくわ。ほんと便利よね、カイムの民って。ひとつの名前にふたつの意味を持たせるふたつ名があるんですもの。天神の娘も、目の前にいる貴女のように、ふたつ名で縛ってあげるの。素敵でしょう?」
くすくす笑いながら少女は名を呼ぶ。
「ずぶ濡れになっちゃったわね。浴場に行ってから、戻った方がいいのではないかしら? その手にある大事なものも忘れないようにしなさいね。きっと、みんなに驚かれちゃうわ、狩(カリ)さん」
狩と名を呼ばれた少女、寒河江雁は、言われたとおりだと素直に頷き、猟銃を手にしたまま、ふらりと建物の中へ入っていく。
これで、騒ぎは収束するだろう。天神の娘は傷つけられなかったが、黒多家の娘を遠ざけることができたのは僥倖だ。
冬を感じさせる雨は止む気配もない。このままだと雪に変わるかもしれない。それでも構わない。皇一族に此の世の栄華となる春を与えてなるものか。
「春が来る前に天神の娘を我々伊妻の手に……」
ぎゅっと握りしめ長い爪を立てた手のひらには、血の粒が浮かび上がる。
真っ赤な雫を見下ろし、少女はあらためて決意を漲らせる。
今度こそ、皇一族を討つのだ。
父の仇である空我侯爵の娘を傀儡に仕立てて。
自分たちを亡きものとしたあのときのように……!
突然降りだした雨に、いままでの悪夢のような出来事を見つめて静止していた生徒たちの時間がふたたび動き出す。洗濯物を取り込まなくちゃと慌てる場違いな少女の声が、虚しく響く。
輪の中心に残っていた天神の娘も、同室の少女に腕を引かれて引きずられるように建物の中へ吸い込まれていった。その姿を確認して少女はそっと表へ立つ。
白亜の校舎を背に黄金色の稲光が注ぎ込む。その情景は、神の怒りのように見えなくもない。
轟音を立てて降りだす雨に動じることなく、少女は困ったように呟く。
「外したのね、残念」
少女が顔を向けた先には、同じようにびしょ濡れになって突っ立っているボレロ姿の少女がいる。少女の瞳は、澄み切った灰色。
「……」
その腕には、少女が持つにはおおきすぎる無骨な猟銃を抱きかかえている。発砲したことで生じた焦げくさい臭いは、この雨で消されてしまったようだ。
ふたりの少女は降りしきる雨の中、睨みあうように対峙する。
「天神の娘を殺せと言ってるわけじゃなかったのに。ただ、ここにいたら困るから、別の舞台に移ってもらいたかっただけ……まさか帝都清華の令嬢が庇うなんて」
「何を言っているの?」
疑わしそうな少女を見て、暗示が解けてきたのを悟り、ふたたび少女は名で縛る。
すると、怪訝そうな顔をしていた少女の瞳の色が薄くなり、蝋人形のように、表情を失った。
暗示を施した少女は満足そうに少女の耳元へ囁く。
「この地に春を呼ぶために、必要なのは天女であって、ちからを持たない天神の娘ではない」
少女はそう口にして、付け加える。
「でも、ようやく網にかかった天神の娘をそのまま殺したら、古都律華の頭の固い奴らと一緒。神々を統べる至高神と契りを結んだカシケキクの末裔である天神の娘ですもの、利用しなくては」
天神の娘が泣いたからか、ひどい雨だ。
自分たちを糾弾するような氷雨を浴びながら、少女はそれでも宣言する。
「失われた伊妻の栄光をこの手に取り戻すため、皇一族を奈落の底へ突き落すため、天神の娘には傀儡になっていただくわ。ほんと便利よね、カイムの民って。ひとつの名前にふたつの意味を持たせるふたつ名があるんですもの。天神の娘も、目の前にいる貴女のように、ふたつ名で縛ってあげるの。素敵でしょう?」
くすくす笑いながら少女は名を呼ぶ。
「ずぶ濡れになっちゃったわね。浴場に行ってから、戻った方がいいのではないかしら? その手にある大事なものも忘れないようにしなさいね。きっと、みんなに驚かれちゃうわ、狩(カリ)さん」
狩と名を呼ばれた少女、寒河江雁は、言われたとおりだと素直に頷き、猟銃を手にしたまま、ふらりと建物の中へ入っていく。
これで、騒ぎは収束するだろう。天神の娘は傷つけられなかったが、黒多家の娘を遠ざけることができたのは僥倖だ。
冬を感じさせる雨は止む気配もない。このままだと雪に変わるかもしれない。それでも構わない。皇一族に此の世の栄華となる春を与えてなるものか。
「春が来る前に天神の娘を我々伊妻の手に……」
ぎゅっと握りしめ長い爪を立てた手のひらには、血の粒が浮かび上がる。
真っ赤な雫を見下ろし、少女はあらためて決意を漲らせる。
今度こそ、皇一族を討つのだ。
父の仇である空我侯爵の娘を傀儡に仕立てて。
自分たちを亡きものとしたあのときのように……!