此華天女
「お久しゅうございます。話は聞かせていただきましたわ。あなたがたの御父君だったのですね、帝都清華の裏切り者は」

 晩餐の席でも見かけた真っ赤な着物に白銀の帯を締めた美しき未亡人は、唇を震わせながら声を絞らせる。

「そのように言及するものではない、梅子どの」
「ですが向清棲前伯爵が北海大陸で伊妻霜一の娘を『雨』の娘と勘違いして命拾いさせたせいで、空我一族はげんざい空中分解した状態になっているのですよ、殿下」
「……黒多夫人、あなたが、なぜ」

 幹仁は状況が飲み込めずに混乱している弟の隣で、ハッと我に却って梅子を見つめる。

「父侯爵の代理で参りました。次期当主である愚弟が任務を放りだしてしまいましたので」

 当然のように梅子は応え、三人の男を見渡す。堂々とした梅子を見ていると、まるで大松よりも彼女の方がこの部屋の主なのではないかと錯覚してしまいそうなほどだ。

「これ以上、愚弟が帝都清華の面汚しをするようなら、梅子が父上の名代を借りてそなたたちをあらためて束ねる所存でございます」

 梅子が声を発する都度、ぴん、と空気が張り詰める。まるで、紅薔薇の香りで満たされていた部屋に、冷たい風が差し込み、空気をかき乱していくかのように。

 ……緊張を破ったのは部屋の主である大松の言葉だった。

「梅子どの。そなたの弟君は、何も言わずに発ってしまったのかね」

 大松が主催した晩餐会を彼も知らされていたはずだ。同じく、招待客のひとりであった川津蒔子の姿もなかったが、こちらは大松の異母兄である湾が事前に報せていたため、誰も不審に思うことはなかった。
 大松が招待した清華五公家と川津の各々の代表は皇一族とともに和やかに食事を共にした。空我家の代表が座る椅子を空にしたまま。

 大松はそのときに梅子を呼び出したようだ。皇一族が暮らす宮殿が集められた千桜田ちおだから井伊谷橋いいやばしにある黒多子爵の邸は目と鼻の先。梅子は直接赤薔薇宮へ来たのだろう。直に見てきた川津当主と弟の様子を伝えるために。

「ええ。川津本家にて当主の蒔子さまとお話をした後、ふらりと姿を消してしまって……でも、行くべきところなど苔桃のいる場所しか思いつきません。きっと、蒔子さまに警告されたのでしょう、天神の娘である彼女の追及を諦めろと」

 柚葉はカッとなると暴走して止まらなくなるのだ、と梅子は愚痴りながら状況を説明する。梅子の説明を受けて、ようやく幹仁と朝仁も理解する。

「蒔子さまは自分が義理の娘である母、実子に苔桃の暗殺を命じたことを認めました。ですが、それ以上の証言は得られませんでした」

 あらためて梅子は大松に報告する。古都律華の御三家である川津家の当主は天神の娘を抹殺することに賛同し、娘に暗殺を唆した。実際に手を下したわけではないため憲兵のもとへ拘束し刑罰を問うことはできないが、梅子は神皇帝から許可を得て、蟄居というかたちで処分したという。大松はうん、と頷きつづきを促す。

「ただ、蒔子さまもまた、命じられ、断れなかったのだとおっしゃっております」
「それでしくじったから、実子さまが殺されたってことか……」

 幹仁が漏らした呟きを梅子が聞き咎め、非難の眼差しを向ける。

「川津当主よりも地位の尊い方が、背後にいらっしゃるってことですね」

 朝仁は梅子の射るような視線に気づくことなく兄の言葉に反応する。それを見て、大松が瞳を見開き、呻き声をあげる。

「殿下?」
「……なんということだ」

 大松の絶望的な表情に、梅子も確信する。自分の母を殺した黒幕は、皇一族のなかにいる。

「殿下。心当たりがないなどおっしゃりませんよね?」

 梅子は自分の母を道具のように使い捨てた人間の罪を暴くために自ら大松のもとへやって来たのだ。彼女のなかで結論は出ている。そして大松も。

「誰か! 入陽宮へ言伝を」

 自分の義母である冴利が、天神の娘を弑そうと古都律華を使って動いていたのだと確信する。父皇は放っておけと言っていたが、彼女が伊妻の残党と手を組んでいるとは露ほどにも考えていなかったのだろう。
 大松の声に控えていた従者が駆けつけ、入陽宮のある南に向けて早足で去っていく。食事を終えて一刻も経っていないいまなら眠っていることはないだろう。
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