此華天女
   * * *


 暖炉にくべられた薪がパチリと爆ぜる。

「ん……」

 来客のために暖められた部屋の、長椅子(ソファ)で微睡んでいた少女はその激しい音に驚き、意識を覚醒させる。

「いけない!」

 ちからを使ったばかりで体力が消耗していたようだ。女中服姿のまま長椅子に身体を凭れうとうとしていた少女は頭上に気配を感じてハッと顔をあげる。

「ごめんね、起こしちゃったかな」

 端正な顔立ちの紳士が目の前にいた。野性的な部族の民とは異なる帝都の華族。たしか、后妃を拘束したときに見かけた、向清棲伯爵家の。兄、幹仁の方だ。

「いえ……お見苦しいところを失礼しました」

 客室で居眠りをしていたこちらに非があるのは明確である。立ち上がり、女中服の裳裾スカートをはたきながら、少女は幹仁に謝罪する。

「そんなことないよ。許されるものならもっと眺めていたかったな」

 ふふふと笑いながら幹仁は少女の瞳を見つめる。無表情ながらも灰色がかった双眸の奥に煌めく琥珀色の虹彩が彼女が人形ではないことを証明している。

「何か?」

 じっと見つめられて少女の頬がほんのり桜色に染まる。それでも、表情は変わらない。まるで筋肉が死んでしまったかのように。

「きみが、『雪』の部族、美生家の一姫か……表情を殺したという」
「いまは結婚して覗見(うかがみ)と名乗っております、幹仁さま」

 美生蝶子、こと覗見蝶子はやんわりと名乗り、幹仁の前へ跪く。『雪』の部族にいた蝶子にとって向清棲の人間は上客にあたる。家から外れたにも関わらず、自然と身体が動くのは、目の前にいる伯爵が圧倒的な活力を秘めているからであろう。
 彼は伯爵という地位で満足する人間ではない。更に偉大なことをするに違いない。
 一目見て感じた蝶子は、彼の存在を受け入れた。そして幹仁もまた、不思議なちからを使う蝶子に抗えない魅力を感じていた。

「后妃さまがきみのことを『逆さ斎』と呼んでいたが、それはどういうことだい?」
「カイムの地に生きる『天』の傍流のうちのひとつに神職に携わっている逆井という一族があるのです。天神の娘が不在の時、彼らは北海大陸の神々に仕え、ときに神からちからを借りてカイムの土地に根付く民を導く標として活躍する人間を逆さ斎と呼んで、わたくしたちは親しんでおります」
「その話なら『雪』の長である寒河江老からも伺っている。僕が訊きたいのはなぜ『雪』出身のきみがそのちからを扱えるのかということだ。その……后妃さまの動きを封じることができるほどのちから」

 幹仁が応えると、蝶子はおずおずと口を開く。

「……わたくしの夫は、その逆井の流れを汲みながらも帝都へ出て神学を修めた後、皇一族に仕える神官となった覗見家の人間です。美能子爵の縁で婚姻の約束をし、十八の歳を迎えたこの春に婚儀をし、その際、逆さ斎に準ずるちからを彼が仕える始祖神より譲渡していただいたのです」
「……始祖神?」

 なぜここで始祖神がでてくる? そう言いたそうな幹仁の視線に、蝶子は頷く。
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