此華天女
土地に仕える逆さ斎の少年はそう呟いて、地下へ消えていくふたりの背中を優しく見下ろし、溜め息をつく。
「本気?」
見計らったかのようにかすみが四季に声をかける。先ほど交された会話の真意について。
「ボクは本気だけど、これで向こうが本気になってくれるなら、そっちの方が嬉しいかな」
「おひとよし」
「あまのじゃく」
ぼそりと呟かれたあられとかすみの言葉に、四季は「そのとおり」と朗らかに笑う。
けれど、地下から発せられる邪悪な神の気配に、四季の顔色は蒼褪めている。神職に仕えている四季にとって、邪神の気配は身体を蝕む毒。そしてかすみも四季の体調の変化に同調して顔色を曇らせ、身体を震わせる。
「……無理しなくていいのに」
あられが呆れたように呟き、しっしっと野良犬を追い払うように手を振るう。
「逆さ斎が邪神を恐れるのは本能が警告しているだけだ。これくらい、なんてことない」
「強がり」
「悪いか」
見えない火花がふたりの間に散り、かすみが慌てて間に入る。
「こんなとこでいがみ合わないでよー。逆さ斎とはいえシキは邪神を浄化したり消滅させる能力がないから戦うことすら儘ならないってお姉さまだってわかってらっしゃるでしょ?」
「だから心配なの。穢れなき乙女の血肉を喜んで口にして闇に堕ちた邪悪な神の気配が渦巻くこの座敷牢に彼女は閉じ込められているのよ。もしかしたらもう精神を食べられ狂っているかもしれない。そんなところにちからのない天神の娘を連れて行っても意味があるとはあたくしには思えない」
「それは雹衛にきいたの?」
さりげなく恋人の名をだせば、あられは四季の前で顔を朱色に染め、「そ、そうよ、悪い?」と開き直る。この学校の私兵として雇われた『雪』の青年と恋愛関係にあるあられは彼の名を出すと驚くほど素直になる。
「ならばまだ大丈夫。寒河江さんは雹衛と同じ『雪』だから、帝都の何も知らない華族令嬢のようにすぐに意識を手放すようなことはしないはずだよ。それに、与えられた食事はちゃんと食べているんだろう?」
「でも、何も喋らないわ」
「それは、彼女がふたつ名に縛られているから。彼女には暗示がかけられている。暗示を解けるのは術者かその人間より強いちからを持つ者だけ。残念ながらボクは彼女に叶わない。だから、さくらと篁に押し付けたんだ」
いくら『天』の血が混じっているとはいえ、逆井の人間は多大なちからを操れない。天候を左右することさえ可能な莫大なちからを持っている『雨』の能力者で伊妻の生き残りである梧慈雨に対抗できるのは、未知のちからを持つであろう天神の娘と始祖神の末裔だけだ。
寒河江雁にかけられた暗示を解き、始祖神の末裔が持つ時の花を咲かせることができたならば、天神の娘は羽衣を手に入れ、天女となれるのだ。
「桂也乃が撃たれたとき、彼女は無意識に雨雲を呼び寄せた。だから、水面下にある彼女のちからを覚醒させることができれば」
邪神を退け、春を連れだすことができるのだと四季は自信満々に口にする。
「あたいも信じるよ、シキがそう言うんだもの」
かすみも頷き、あられも渋々ふたりの前で首を縦に振る。
「……信じるわよ。雹衛とお花見するって約束したんだもの」