此華天女
* * *
緑潤す時雨(ときさめ)の帳
湖水の如き青い霧
白雪積もりし寒き凍土(いてつち)
夢の世界は赤き風に燃され
残滓の灰は黒き闇に逆らう
我ら界夢(カイム)、天を恋う
此の世の眩き栄華を
彩られし永遠(とこしえ)の春を
舞い降りし天女が咲かせし羽衣、鮮やかに
時の花、此の華
咲き誇れ北の地へ、尊き守護を
始祖の地神、至高の天神
睦めよ結べ、人間ヒトの世に
* * *
桜桃が意識を手放していたのはほんの数刻の間だったようだ。覚醒前に響いた小環の心地よい詠唱も四季が口ずさんでいた神謡の一小節に因んでいたのか、あたまの中で自然と訳されていた。
そして桜桃は目覚める。カイムの民に語り継がれた神謡のなかに生きつづける始祖神と至高神の睦みあいこそが、春を呼ぶことに繋がるのだと確信する。
「小環」
「気づいたか」
抱きしめられた恰好のまま、桜桃は心配そうにしている小環の表情を見上げ、大丈夫だと頷き返す。
「雁さんは?」
眩いひかりの洪水は静まり、周囲には落ち着きが戻っている。柵を隔てて向き合っていたはずの雁がどうなったのか、桜桃が視線を向ける。と。
「――ごめんなさい、三上さん、篁さん」
瞳に生気の戻った雁が、申し訳なさそうにふたりの傍へ、近づいてきた。
「暗示は解けたようだな」
小環が雁の瞳の色を確認し、邪悪な気配が消えているのを見て安堵の息をつく。
雁もまた、純粋な『雪』の部族である自分がふたつ名の暗示にかかって操られた事実を恥じながら桜桃たちに認め、暗示をかけた犯人について躊躇うことなく口にした。
「お願い、慈雨さんを止めて」
暗示にかけられている間も、一部分の意識が残っていた雁は、梧慈雨が実は伊妻の遺した娘で、天神の娘を自分たちの手元へ置くために自分を使って猟銃で仕留めようとしていたのだときっぱり口にする。
雁の言葉は四季が桜桃に語った真実にあてはまっていた。
「わたしたち『雪』は、『雨』の行いに不信を抱き、名治神皇へ進言したわ。けれど、『雨』があのような動きをしたのは、慈雨さんが梧家の養女となったから。彼女が『雨』の長を惑わし、土地神を邪悪な存在へ変貌させたに違いないわ。そして、皇一族に対抗しうるものとして天神の娘を傀儡に仕立て上げ、ふたたびこの北の大地に戦乱を引き起こそうとしている」
そう言って、雁は桜桃と小環を交互に見つめる。まるで、睨みつけるかのように。
「すでに、皇一族の血が、カイムの地に流れている。早くしないと、手遅れになる」
そして、雁は自分が握っていた硝子玉のような秘薬を小環に手渡す。
「篁さん。これを神皇帝に。冴利后妃お手製の安寧に死を迎えられるお薬ですって」
「そうか」
水嶌家出身の冴利もまた、この騒動に一躍していたということに、小環はすんなり頷く。その彼女の企みもまた、慈雨に利用されていたのだろう。
「皇一族の血って……」
桜桃は雁の警告を、あたまのなかで反芻させ、気づく。そういえば、意識を飛ばして対話した四季もまた、去り際に……
この女学校に皇一族の縁者は小環と、もうひとり、彼の従妹がいる。
桜桃は小環と視線を交わし、顔色を変えて叫ぶ。
「桂也乃さん!」
緑潤す時雨(ときさめ)の帳
湖水の如き青い霧
白雪積もりし寒き凍土(いてつち)
夢の世界は赤き風に燃され
残滓の灰は黒き闇に逆らう
我ら界夢(カイム)、天を恋う
此の世の眩き栄華を
彩られし永遠(とこしえ)の春を
舞い降りし天女が咲かせし羽衣、鮮やかに
時の花、此の華
咲き誇れ北の地へ、尊き守護を
始祖の地神、至高の天神
睦めよ結べ、人間ヒトの世に
* * *
桜桃が意識を手放していたのはほんの数刻の間だったようだ。覚醒前に響いた小環の心地よい詠唱も四季が口ずさんでいた神謡の一小節に因んでいたのか、あたまの中で自然と訳されていた。
そして桜桃は目覚める。カイムの民に語り継がれた神謡のなかに生きつづける始祖神と至高神の睦みあいこそが、春を呼ぶことに繋がるのだと確信する。
「小環」
「気づいたか」
抱きしめられた恰好のまま、桜桃は心配そうにしている小環の表情を見上げ、大丈夫だと頷き返す。
「雁さんは?」
眩いひかりの洪水は静まり、周囲には落ち着きが戻っている。柵を隔てて向き合っていたはずの雁がどうなったのか、桜桃が視線を向ける。と。
「――ごめんなさい、三上さん、篁さん」
瞳に生気の戻った雁が、申し訳なさそうにふたりの傍へ、近づいてきた。
「暗示は解けたようだな」
小環が雁の瞳の色を確認し、邪悪な気配が消えているのを見て安堵の息をつく。
雁もまた、純粋な『雪』の部族である自分がふたつ名の暗示にかかって操られた事実を恥じながら桜桃たちに認め、暗示をかけた犯人について躊躇うことなく口にした。
「お願い、慈雨さんを止めて」
暗示にかけられている間も、一部分の意識が残っていた雁は、梧慈雨が実は伊妻の遺した娘で、天神の娘を自分たちの手元へ置くために自分を使って猟銃で仕留めようとしていたのだときっぱり口にする。
雁の言葉は四季が桜桃に語った真実にあてはまっていた。
「わたしたち『雪』は、『雨』の行いに不信を抱き、名治神皇へ進言したわ。けれど、『雨』があのような動きをしたのは、慈雨さんが梧家の養女となったから。彼女が『雨』の長を惑わし、土地神を邪悪な存在へ変貌させたに違いないわ。そして、皇一族に対抗しうるものとして天神の娘を傀儡に仕立て上げ、ふたたびこの北の大地に戦乱を引き起こそうとしている」
そう言って、雁は桜桃と小環を交互に見つめる。まるで、睨みつけるかのように。
「すでに、皇一族の血が、カイムの地に流れている。早くしないと、手遅れになる」
そして、雁は自分が握っていた硝子玉のような秘薬を小環に手渡す。
「篁さん。これを神皇帝に。冴利后妃お手製の安寧に死を迎えられるお薬ですって」
「そうか」
水嶌家出身の冴利もまた、この騒動に一躍していたということに、小環はすんなり頷く。その彼女の企みもまた、慈雨に利用されていたのだろう。
「皇一族の血って……」
桜桃は雁の警告を、あたまのなかで反芻させ、気づく。そういえば、意識を飛ばして対話した四季もまた、去り際に……
この女学校に皇一族の縁者は小環と、もうひとり、彼の従妹がいる。
桜桃は小環と視線を交わし、顔色を変えて叫ぶ。
「桂也乃さん!」