此華天女
   * * *


「……Chiepunkinere〈守護を〉」

 跪き、祈るように古語を唱え、四季は寝台に横たわる桂也乃を見つめる。
 失念していた。彼女もまた、皇一族に属する始祖神の縁を担ぐものだということに。
 四季が桜桃と小環をけしかけている間に、慈雨は桂也乃を呼び出したのだろう。好奇心旺盛な彼女が危険人物である慈雨の誘いを断らないわけがない。

「式神(かすみ)をつけておけばよかったな」
「遅いんだよ、四季は」

 傍らに控えていたかすみが、ぷいとそっぽを向く。彼女もまさか慈雨がここまで追い詰められていたとは気づかなかったのだろう。

「……お姉さま」

 信じられないようすで立ちすくんでいるあられは、鬼造姉妹の長女で、慈雨に従っているみぞれの身を案じている。
 職員宿舎から校医の氷室を呼び、応急処置を施した。だが、先日の銃創が完治していないうえに、流れた血の量が多すぎる。
 四季は土気色に近い桂也乃の顔から眼をそらし、氷室に問うた。彼女は正直に応え、もはや自分にできることはないと、救護室から姿を消した。これ以上、関わりたくないというのが本音なのだろう。
 四季は氷室が口にした無慈悲な宣告を、心の中で転がしつづける。

 ――明日までもつか。

「もたせてみせる」

 決意を新たに、四季は立ち上がる。その荘厳な声に、かすみが戸惑いながら声をあげる。

「シキ、何を……」
「禁術をつかう」

 始祖神や至高神が持つ強大なちからを四季自身は持っていない。けれど彼自身、カイムに生きるカシケキクの傍流で、逆さ斎として動いているのだ。始祖神の縁者である桂也乃を、いや、学校生活を共に送った同室である桂也乃を、天地を脅かす禁術を使ってでも、四季は救いたいのだ。なぜなら彼女は。

 けして叶うことのない。


   * * *


「どこへ向かわれるのです?」

 桂也乃を刺した慈雨は、みぞれの制止を振り切って、学校の敷地の外へ向かって飛び出していく。

「革命前夜よ! あたくしを呼んでいるの! 神皇帝に代わる『雷(イメラッ)』の王を迎え、天神の娘のもとへお連れしなくては。あたくしは行かなくてはいけないの!」

 門前にいた私兵たちは慈雨を見ても動じず、逆に敬礼する始末。彼らもまた、『雨』の人間で、この女学校の理事長である梧種光の娘、慈雨が伊妻の生き残りであることを知っているのだろうか。
 無印の箱馬車が待っていた。慈雨は飛び乗り、途方に暮れるみぞれに告げる。

「待ってなさい! 朝になったら戻るわ」
「逃げるのではないのですか」

 朝になれば、桂也乃のことが明るみに出る。そうなれば、慈雨が伊妻の生き残りであることも露見し、皇一族が彼女を捕えようと動くに違いない。
 けれど。慈雨はそんなことを全然考えていない。みぞれの言葉を笑って否定する。

「何莫迦なことを言っているの、あたくしはまだ、天神の娘を手に入れていなくてよ?」

 だけどその前に、準備をしなくてはならないの。
 それだけ口にして、慈雨は箱馬車に乗って姿を消す。間もなく日付の変わる深夜の夜闇に溶けていく箱馬車をじっと見送ったみぞれは、そこで緊張の糸が切れたのか、がくりと身体を地面に落とす。
 空気のように佇んでいた私兵たちが顔を見合わせ、そのうちのひとりが気を失ったみぞれの身体を抱き上げ、慣れた手つきで運んでいく。
 男は無言で、カツカツカツと小刻みに軍靴を鳴らして救護室の前で、待つ。
 その合図に気づいたのか、がらり、とボレロ姿の少女が、躊躇うことなく扉を開き、『雨』のふりをしていた恋人と彼に運ばれてきた姉を迎える。
 みぞれを長椅子へ横たえると、男はあられのあたまをそっと撫でた。

「雹衛」
「慈雨は、富若内に向かった。明日の朝には理事長を連れて天神の娘を手に入れに戻ってくるだろう」

 やはり。慈雨は伊妻の乱を再び起こそうとしている。天神の娘を使って。
 あられは頷き、雹衛の冷たくなった手をきゅっと握る。

「そう」
「妹たちは?」
「かすみと四季さんなら、さっきまで黒多さんの傍にいたけれど」

 禁術をつかうと決意した四季と、それに従うことになったかすみは、あられに桂也乃を任せ、外へ行ってしまった。ここだと土地神のちからを充分に享受できないからだと四季は口にしていたが……

「禁じられた秘術、か」
「知っているの?」
「カイムの民なら誰でも知っている。逆さ斎の少年は、そこまでして帝都清華の令嬢を救うつもりなのか……」

 雹衛の言葉に、あられも頷く。彼が何を考えているかなんて知らない。けれど、もし自分が雹衛を失うことを考えたら、きっと禁じられた秘術だろうが救える手だてがあるのなら縋るに違いない。たとえ自分の命と引き換えになっても。

 ――四季は桂也乃のために、命を投げ出すつもりだ。

 あられは雹衛の手を包む自分の手に力を込める。自分たちにできるのは、祈ることだけ。

「……Chiepunkinere〈守護を〉」

 雹衛が教えてくれた、カイムの民が使っていたという古語を、真摯に唱える。
 まだ来ない春の訪れを希いながら、これ以上、誰かが邪神の犠牲になることなどないように……
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