此華天女
 呼ぶ声がきこえた。

「桜桃?」

 小環がハッと後ろに振り返った瞬間、地面が極彩色に変貌する。
 ぽす、という間抜けな音とともに、桜桃が自分の胸のなかに飛び込んでくる。彼女の額には星のような大輪の躑躅の花が咲いている。

「――そういえば、空我家の花印は躑躅だったわね。神々も粋な計らいをしてくださること」

 くすくす、という笑い声とともに、慈雨が桜桃たちの前へ立ちはだかる。

「……畜生、ついてきやがった」
「あなたを見張っていれば天神の娘……いえ、もう天女のちからを取り戻しているとみていいのでしょうね……彼女の居場所もすぐわかるもの。だけど、逆さ斎までいるとは思わなかったわ」
「ごきげんよう、邪悪なる『雷』に魅入られし娘」

 四季は慈雨を前にしても驚くことなく、淡々と言葉を紡ぐ。

「あたくしがこの地に出入りしていることをあなたは識っていたのかしら。だからそこまで冷静なのね」

 つまらなそうに慈雨は四季の言葉に応え、警戒している小環と状況が理解できていない桜桃をじっと見つめ、にこやかに告げる。

「天女とその羽衣、あなたたちが一緒になると、『雷』の王が嘆き悲しむの。悪いけど」

 慈雨は笑顔を張りつけたまま、桜桃の額に向けて術を放つ。

「Meshrototke〈眠って〉」

 ピシ、と額に刻まれていた躑躅の印は一瞬で薄まり、桜桃の周囲に咲いていた色とりどりの草花もふたたび冬眠に陥ってしまったかのように散ってしまう。地面が枯れ草に支配されると同時に、桜桃の身体もがくりとちからを失い、小環の腕のなかで意識を失っていた。

「なにっ」

 こうもあっさりちからを抑え込む慈雨に、四季が声を荒げ、瞳を瞬かせる。

「カシケキクの血が流れているのはあなただけではなくってよ。伊妻の祖が帝都へ移り住んだ三神みかみだということを、忘れていたわね?」

 カシケキクの傍流はカイムの地に数多といる。その多くは身に神を宿すという意味のミカミを姓にしているが、セツが帝都に嫁して以降、北海大陸にいる神々の加護を強く受けた人間はもはや逆さ斎しかいないとされていた。

「だが、あの家はカイムの地から去ったことでちからを失ったはずだ……まさか、先祖がえりをしたとでもいうのか!」
「説明してあげる義理はないわ。こっちも時間がないの。天神の娘、いただいていくわ」

 そう言い終えると同時に、慈雨は眠りについた桜桃を必死に抱きかかえている小環を気にすることなく手を振り上げる。

「渡すもんか!」
「Sipusu〈浮け〉」

 小環が抗うのをものともせず、慈雨は桜桃を自分のちからで浮き上がらせ、空高くに開いた漆黒の穴……おそらく桜桃たちが落ちてきたであろう現実世界とを結ぶ穴まで運んでいく。

「させるか……」

 押し殺した声で四季がカイムの古語で応戦する。だが、すでに慈雨の姿は目の前から消えていた。
 慈雨と桜桃の気配を追うにも、彼の式神はここにいない。四季は憤りを隠さず手負いの獣のようになっている小環にきっぱりと告げる。

「――小環皇子。君も戻れ。このままだと、さくらは」
「わかってる。早くしろ! ……っわっ!」

 小環は四季の言葉を遮り、苛立ちを隠すことなく命じる。四季はあっさり小環を飛ばすと、はぁ、と溜め息をつく。
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