エレベーターでお餅
「ねえ、ふたりとも知ってる? 今日はキスの日なんだってよ」
「え?」
「今日は日本で初めてキスシーンが登場する映画が公開された日なんだって」
「へえ……そうなんだ」
「恋人になれそうでなれないふたりが告白するのに、こんなにぴったりな日はないってのに。あーあ、どうしてわたしには、キスの口実を作る相手もいないんだろう。あー、恋人になれそうでなれない友だち以上恋人未満の同僚がいたらなぁ。入社当時からそういう仲良し同期を作っていたらなぁ」
ていうか……わざとらし過ぎる……! 遠回しに「あんたたち早く付き合っちゃいなよ」と言っているようなものだ……! 一応もう付き合い始めているけど、言い出せる雰囲気ではない。
ていうか……すごく言いたい! 西島さんはどう? って言いたい……! でも西島さんの立場もあるし、本人はどうにか頑張ってみるって言っていたのに、わたしが余計なことをするべきではない。
仕事はできるし気も利くのに演技力は皆無だった南は、目的の階に着くと「そういう同期がいたらなぁ」ともう一度言って、振り返ることなくエレベーターを降りて行った。
ドアが閉まり、また二階堂とふたりで取り残される。でももう、さっきのような微妙の雰囲気ではなかった。
再びエレベーターが動き出すと、二階堂は少し俯きふっと笑って「下手くそだったな」と呟くように言った。
「仕事はできるのにね」
「ああ。今どき子役のほうが良い演技するわ」
「こんなに演技が下手なんて思わなかった」
「南とも丸六年の付き合いがあるのに、全然知らなかった」
「わたしもだよ。よく飲みに行ったり遊んだりしてるのに」
いつも通りの何気ない会話で微妙な雰囲気が消え去ったおかげで、話ができそうだ。
「……二階堂、ごめん。わたし、二階堂の不機嫌の理由が分からない」
「ああ、ちゃんと話そう。多分俺らは、ちゃんと話さなきゃ分かり合えない」
「うん、そうしてくれると助かる」
「ちゃんと話さなきゃ、南の下手くそな演技が報われないしな」
「ふふ、そうだね」
そしてわたしたちは、ようやくエレベーターを降りたのだった。入れ替わりで乗り込んで来た他の部署の先輩が「お、二階堂じゃん、今日さ、」と声を掛けてきたけれど、誘われる前に二階堂はその言葉を遮り「お疲れ様です、また今度!」と秒速で断ってわたしの腕を引いた。