天才策士は一途な愛に跪く。
夕日が机の上を薄赤く染め上げていた。
窓は全開に開かれていた図書室に吹き込む冷たい風が、私の頬に吹き付けてくる。
夏服になったばかりの半袖が少しだけ肌寒く感じた。
読みかけの本をそっと机の上に開かれたまま被せて置くと、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
カラカラ・・・。
少しだけ立て付けの悪くなった近場の窓に手をかけ、ガラス戸を引く。
ほとんど誰もいない夕暮れの図書室は私の唯一の安らげる場所だった。
「森丘さん。もう閉館の時間だけど・・・。帰らないの?」
耳に馴染む柔らかい声に私は慌てて振り向く。
「あっ・・。もうそんな時間なんだ。ごめんなさい!!お待たせしちゃって。」
私は慌てて声の主のほうも見ずに、机の上の本を急いで鞄に仕舞う。
ガシャン!!
木目の床の上に定規やシャーペンが広がった。
「ああっ・・。やだ!!ごめんなさい。」
もう・・。焦るといつもこうだ。
急いでペンケースを拾い集めると、私の横から消しゴムが差し出された。
「はい。焦らなくていいよ。戸締りにまだ時間はかかるし、僕は急いでないから。
だから森丘さんは、ゆっくり準備してよ。」
夕日に照らされた聖人の長い睫毛が綺麗な金色に光って見えた。
「ありがとう・・。」
美しい造作の彼を間近で見ると、信じられないほどドキドキした。
「森丘さんは、部活が休みの時はいつもここだよね。家には帰らないの?」
戸締りをしながら私をきにかけて言葉をかけてくれていた。
「家に帰ったら・・。ピアノを弾かなきゃならなくなるの。
夜寝るまで・・。
私はお母さんみたいに才能があるわけじゃないからうんと練習しなきゃいけなくて。」
子どもの頃は弾くことが楽しくて何時間でも弾き続けられたのに。
いつの間にか練習は苦痛でしかなくなっていった。