天才策士は一途な愛に跪く。

「私がピアノを始めたのは、アオイ君がきっかけだったんだ・・。」

いつか聖人に聞かれたことがあった・・。

その時、私はその質問に答えることが出来なかった。

この小さなピアノルームで、子供が2人嬉しそうにピアノを弾いている光景が浮かぶ。

可愛い子花柄のワンピースを着た私と、金色の髪の少年。

楽しそうに、鍵盤を叩き合っては顔を見合わせてニコニコ笑っていた・・。

私は、ピアノの傍へと歩を進めていた。

アオイが奏でていたピアノの鍵盤にそっと指を置く。

指でポーンと音を弾いた。

子どもの頃に、2人で一緒に弾いていた曲・・・。

「仔犬のワルツ」を奏で始める。

昔はピアノが楽しくて仕方なかった・・。

ピアノは楽しいものだと脳裏に刻み込まれていたように、寝る間も惜しんで
ピアノを弾き続けていた頃があったのに。

そんなピアノへの楽しい記憶は、きっとここで培われたものだったんだ・・。

いつの間にか頬が緩んで、ピアノを弾きながら私は笑顔になっていた。

「不思議ね・・。ここに来てから、思い出していくの。
アオイとのことも。
貴方と私は、仲良しだったのにね・・。」

その言葉に、驚いたように顔を上げた。

アオイは痛みに耐えたような表情を浮かべて目を閉じた。

懐かしい晶のピアノは、昔と変わらずにキラキラと輝くような音を奏でる。

届かないような声で、アオイは宙に言葉を放った。

「大好きだったよ・・。ずっと、アキラに会いたかった。
だけど、会いに行けなかった。
僕には、大事な役割があったから・・。
・・もう二度と、離れたくないんだ。君との約束は守る・・・。」


青い瞳は、切ない想いを浮かべて彼女を見ていた。

私は、アオイの想いも・・。

その時の彼の言葉の真意もまだ、何も知らなかった。

久しぶりに、ピアノを弾いて笑顔になった。

いつの間にか、荒ぶる感情をぶつけるようなピアノしか弾けなくなっていた
私が、自由な感情を乗せて奏でるピアノはとても嬉しくて、弾いていて楽しかったんだ・・。

「「アキラ・・、僕さ、ピアニストになりたいんだ。
香澄のように、世界中を廻って色々な国の人に僕の音を届けたいんだ・・。」」

私にそう言ってほほ笑む、蒼い紺碧の瞳は光り輝いて見えていた。

私は知っていた・・。

ピアノを楽しそうに弾く人達のことを。

そういう物だと思っていた頃の記憶を・・。


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