天才策士は一途な愛に跪く。
claire de lune
「仔犬のワルツ」を弾きながら、今の私ならあの曲が弾けるかもしれないと感じた。
どうしても、技術的に教科書通りの弾き方を強いられて感情を入れて
表現する切ないメロディーのあの曲が上手く弾けなかった。
私は、静かにその曲を奏でる・・。
懐かしい記憶が戻っていく・・。
何処か自分が変わっていく不安があった。
そして、無償にあの曲を奏でたくなった。
ドイツに来て、今までの私の人生とは別の人生がここにはある・・。
だけど、私を形作ってきた確かな「想い」の相手は山科 聖人だった。
小学校の3年生の時に初めて同じクラスになった
山科聖人は誰もが知る有名人だった。
美しく、整った容姿に頭脳明晰、運動神経も抜群で人当りも良い彼は
みんなに慕われていた・・。
みんなの中心で輝きを放つ、完全無敵な王子様だった。
何処か遠い存在だと思っていた彼と、中学では三年間一緒のクラスになった・・。
隣の席になった彼と沢山話をするようになった。
優しく私を見て、微笑んでくれる彼の笑顔と・・。
柔らかい色素の薄い髪。
琥珀のようなアーモンド型の大きな瞳・・。
「森丘さんて、いつも難しい本を読んでいるけど・・。どんな本が好きなの?」
ピアノが苦痛になってからはよく図書館に逃げ込んでいた私に、いつも声をかけてくれた。
みんなに囲まれていても、時々憂うように長い睫毛を悲しそうに揺らしていた。
「山科くんは・・。一人なんだね。本当は、いつも・・。」
そんな言葉がポロッと出た時があった。
夕焼けに照らされた、聖人の横顔は余計に美しくその陽の光に映えていた。
「そうか・・。解っちゃうんだね。でも、森丘さんも、一人になりたいんでしょ?」
「君と僕は、一緒だね。」
そう言って笑った彼の横顔が、今にも消えてしまいそうで綺麗だった・・。
私の指は、想い出を辿る・・・。
卒業式の日に、想いを伝えられずに泣いたこと。
高校生になって偶然、再会した時・・。
彼をピアノの演奏会に誘ったこと。
彼が来ないかったこと・・。
死んでしまったと聞いて、自分の想いを伝えなかったことを責めて悔いたこと・・。
再会した聖人に一緒にいたい・・。
そう言われて、泣きたいくらい・・嬉しかったこと。
ピアノのパッセージは切ない高音を奏でる。
「月の光」を奏でる、切なく苦しい想いが溢れた音が部屋中に溢れていた・・・。