君のいた時を愛して~ I Love You ~
 次に目が醒めた時、既にサチは部屋着に着替え、狭い台所で悪戦苦闘しながら料理をしていた。
 もともと、何もない一人暮らしの俺に合わせた部屋だから、料理なんて高等なものをする予定もなく、ただご飯を炊いて、カレーを温めたりできればいいと思っていた程度の台所だから、それこそお粥だって作ろうとすれば、スペースという絶対的な敵と戦いながらの苦戦になる。
 サチは折り畳み式のテーブルをうまく使い、使えるスペースを広げでいろいろと料理をしてくれる。ただ、狭い部屋にフライパンや鍋が雨漏りの水を受けるでもなく転がっている姿は、別の意味で侘しいが、いまさらそんなことにこだわる俺ではない。それに、時々サチが寝返りをうって鍋をけった音が夜中の部屋に響き、驚いて起きたサチが慌てるのを見る方が微笑ましくて、逆にこの状況を楽しんでさえいる気がする。
「サチ・・・・・・」
 俺の声は小さくかすれ、ガラガラだったが、サチはすぐに火を止めて振り向いた。
「いまね、お粥だけじゃ力がつかないから、中華風のあんかけどんぶり作ってるから」
 サチは言うと、冷蔵庫からドリンクボトルを取り出し、俺に渡してくれた。
「あと、それはスポーツドリンクね。脱水症状防止」
 サチは答えると、どんぶりにごはんを入れ、鍋からあんかけを注ぎ込む。
 パッと見た限り、野菜がメインだが、ちらほらと肉も見える。
「鶏肉は、体力が落ちてる時には良いんだよ」
 塩系の味付けの中華丼を手渡され、俺は『ありがとう』とお礼を言って丼に口をつけた。
 家事のほとんどは分担にしていたが、サチの料理の腕は確かで、最近は俺が片付けと買い出し、掃除で、どちらかといえば、サチが料理をすることが普通になっていた。
 熱いあんかけをご飯にまぶし、ゆっくりと火傷しないように口に運ぶ。
 鶏肉が入っているほかは、いつもの野菜くずが主体だ。ということは、俺が寝ている間に、サチは鶏肉を買いに行ったという事になる。
「サチ、お金・・・・・・」
 俺が買い出し当番と、食材集めを行う関係上、俺とサチの間にお金のやり取りはない。たまに、俺の都合で買い物に行ってもらう時はお金を渡すが、それ以外は、生活費なるものをサチに渡したことはない。
 よく考えれば、サチの作る食事には俺が調達したり、買ってきた食材以外が使われていた、という事は、知らないうちに、俺はサチのお金で養ってもらっていたことになる。
「サチ、ごめん。俺、サチに生活費渡してなかった・・・・・・」
 俺が言うと、サチはキョトンとした顔をした。
「やだ、コータ。何言ってるの。そんなこと言ったら、私、家賃払ってないよ。だから、私が私の好きに買ってくるものは、家賃替わりの生活費。ちょっと、安いけど、今は働いてないから、許してね」
 サチは笑顔で言うと、自分の分の中華丼を持って俺の向かいに座った。
 一緒に住み始めた当時、胡坐をかくのに抵抗を感じていたサチも、何もない部屋で効果的に暮らすには胡坐が一番と開き直ったようで、今は臆すことなく胡坐をかいで中華丼を食べ始めた。
「仕事って、サチも働いてたのか?」
 俺は長い間封印していた、サチの過去というか、サチのリアルに話を振った。
 正直、何も持たずに痣だらけで座っていたサチからは、親からのDV、恋人からのDV、もしくは、仲間内のトラブルでぼこぼこにされて逃げて来たというイメージしかなく、サチが働いていたとは、考えてもみなかった。
「ん、まあね。一応、社会人だったよ。もう、結婚できるし、お酒も飲める歳だから」
「そうか・・・・・・」
 改めて、出会う前のサチに興味を持ったが、サチはそれ以上応えようとしなかった。
「私、コータが働いているスーパーに働きに行こうかな」
 サチの言葉に、俺は驚いて目を瞬いた。
「さっきね、鶏肉買いに行ったら、レジ係募集してたからさ」
 確かに、レジ係は夏の大学生バイトがごっそり抜けた裏方の手伝いに入ってくれているおかげで、手が足りずに募集をかけていた。
「私も働いたら、家賃が出せるようになるし、そうしたら、コータも楽になるでしょ」
 サチの言葉に、サチが働くなら、もっと広い部屋に越した方が良いと言いそうになり、俺は言葉を飲み込む。
 そうだ、サチとの関係は、この部屋だからうまくいってるんだ。欲を出して広い部屋に引っ越して、サチが出て行ったら俺はどうする? この部屋に戻ってくるのは無理だろうし、そうしたら、間違いなくホームレスだ。
「コータ?」
 不安げなサチが俺の顔を覗く。
「もしかして、すごく不味い?」
 的外れな質問に、俺は一拍おいてから返事をする。
「すごく美味しいよ、サチ。ごめん、ちょっと他のこと考えてた」
 俺の言葉に、サチは少し安心したような、少し寂しそうな表情になる。
「私がいつまでもここにいると、やっぱりコータには迷惑だよね」
 突然の話の展開について行かれず、俺はぼんやりとした頭を横に振る。
「だって、コータには恋人がいるんだよね?」
 何のことか分からず、俺は首を傾げる。
「コータ、寝てる時、私を抱きしめながら何度も『みづき』って呼んでたよ」
 サチが働いていたことを知った以上の驚きだった。
 熱にうなされていたとはいえ、よりにもよって美月の名を呼んだなんて・・・・・・。
 俺は茫然として、食事の手を止めた。
「ごめんね、コータ。仕事が見つかったら、すぐに出て行くから」
 サチは必死に謝るが、一人で部屋を借りて暮らすことの大変さは俺が一番よく知っている。急場しのぎの、スーパーのレジ打ちのバイト程度で生活が成り立っていくはずがない。
「「サチ、謝らなくていいよ。それに、出て行かなくても大丈夫だよ。美月と俺は、もうとっくに別れてるから」
 俺の言葉に、サチが驚く。
「美月は、俺の最初で最後の恋人かな。結婚するつもりで、一生懸命お金も貯めて、まあ、そのおかげで今、こうして何とか暮らしてるけど。もう、終わったことだから」
「でも、コータは、まだ愛してるんでしょう?」
 サチの問いに、俺は自問自答してみるが『美月を愛している』という想いの欠片すら自分の中に見つけることができなかった。
「いや、ただその、この歳になって恥ずかしいんだけど、肌を重ねた相手は美月だけだから、多分、熱で記憶が混乱したんだと思う。それに、美月はもう他の男と結婚してる」
 そう、俺よりも稼ぎが良くて、生まれが良くて、育ちが良くて。小さいとはいえ、会社の社長令嬢の美月にとっても玉の輿と言える相手、結構大きい会社の重役だかの息子と見合いして・・・・・・。
「そうなの?」
 サチの驚きは、何に対して何だろう? 俺に恋人がいない事? 恋人が俺を捨てて、他の男と結婚したこと? それとも、俺の最初の相手が美月で、それ以外の女性を知らないってことか?
「ああ、だから、サチがここに住んでても問題ない」
「そっか、良かった。じゃあ、ずっとここに居てもいい?」
 サチの問いに、俺は頷いて見せる。
「ありがとう」
 サチは嬉しそうに言うと、食事を再開した。俺も、冷えかけた中華丼を慌てて口に運んだ。

 その晩、ほとんど熱の下がった俺のベッドに、サチがするりともぐりこんできた。
「サチ・・・・・・」
「だって、コータと一緒だと、あったかいんだもん」
「いや、でもそれは・・・・・・」
 倫理的にまずいだろう。
「コータになら、何をされても私はいいよ」
 サチは言いながら、寒いのか少し震えていた。
「サチ、もっと自分を大事にしろってば」
 俺は言うと、サチに背を向けた。
 小さなシングルベッドで背中をくっつけあい、俺とサチはそれから毎晩一緒に寝るようになった。
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