君のいた時を愛して~ I Love You ~
 夕食の支度を何とか終わらせたサチは、時計を見上げて首をかしげた。
「あれ? まだ、コータから連絡ないや・・・・・・」
 シフトをほぼ固定化してもらい、定時で帰ってこられることは多くはないが、それでもサチの事を心配して店を出るとメッセージか電話で連絡し、買い物する必要がないかを確認してくれるコータから、今日はいまだに連絡が入っていなかった。
「時計、壊れてないよね?」
 ベッドサイドのくたびれた目覚まし時計に耳を当て、サチはPHSの小さな液晶画面に表示された時間を確認した。
「壊れてないな・・・・・・」
 つぶやいたサチの背中を冷たいものが流れ、サチはコータを失う恐怖を思い出した。
 あの時も、偶然、サチがPHSを買うことを提案していたから、コータが帰ってこない理由を知ることができたが、それでも一日数度のメッセージのやり取りだけでは、心細くてサチは死んでしまいそうに苦しかった。
「帰ってくるよね・・・・・・」
 コータが自分の意志でサチを置いていなくなることなど考えたくなかった。それでも、サチはこの数週間というものずっとコータに嘘をついていたし、コータのように優しくて、真面目な男性であれば、女性や若いアルバイトの多い職場では、コータに想いを寄せる女性もいるだろうし、そういう女性が妻帯者であることを気にしないことはサチもよく知っていた。
「そんなことない。コータに限って、そんなことない」
 サチは自分に言い聞かせるように何度も繰り返した。
 例えコータが結婚を申し込んでくれた時ほど、病気になったサチへの想いが薄れたとしても、突然、仕事から帰ってこないなどという無責任な人間ではない。そう思うと、サチは今度はコータが事故にあったのではないかと不安になった。
「どうしよう。コータに何かあったら・・・・・・」
 半ばパニック状態になりながらサチは立ち上がって部屋の外へ出ようとした。
 瞬間、激しい立ち眩みと目の前が暗くなっていく、貧血特有の血の気の引いていく音が耳の奥でこだましながらサチはその場に崩れ落ちた。

 安普請のアパートを振動させるサチの倒れる音に富田のおばさんがバタバタと階段を駆け上ってくる音と、並びの扉から山根のおばさんが飛び出してくるのはほぼ同時の事だった。
「大丈夫かい?」
「さっちゃん!」
 口々に呼びかける二人の声にサチは反応しなかった。
 部屋の入口に倒れているサチの姿に、二人は動揺しながら救急車を呼ぶべきか話し合いながらも、手ではサチの体をさすっていた。
「亭主は帰ってないのかい? こんな時間なのに」
「最近は早く帰って来てたのにねえ・・・・・・」
「とにかく、息もしているし、少し様子を見て、だめなら救急車を呼ぶしかないね」
「ちょっとあんた、だめって縁起でもないねぇ」
「言葉のあやだよ」
 二人の声が聞こえたのか、しばらくするとサチがゆっくりと目を開けた。
「さっちゃん! 大丈夫なのかい?」
「救急車呼ぶかい?」
 矢継ぎ早の質問に、サチはゆっくりと頭を横に振った。
「だい・・・・じょうぶ・・・・・・」
 自分ではハキハキ答えているつもりなのに、サチの口から出る言葉は力なく途切れがちだった。
「旦那は? まだ帰っていないのかい?」
「しごとで・・・・・・」
 サチが意識を取り戻したこともあり、二人は少し安心したようだった。
「とにかく、無理しちゃだめだよ」
「そうだよ、さっちゃんがいなくなったら、旦那どうするんだい?」
 二人の言葉を聞きながら、サチは暖かさと優しさに包まれ安らいだ気持ちになった。

☆☆☆

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