君のいた時を愛して~ I Love You ~
 コータの帰りを待ちながら、サチは小さなノートを開いた。
 このノートの存在は、コータも知らない。あの日、すべてを捨てて家を飛び出した後、サチがコンビニで飲み物とおにぎりを一つ買ったら、何かのキャンペーンだと言ってコンビニの店員が手渡してくれたものだ。その後、コータに出会うまでの数日間、サチはノートに思いつくままやってみたいことを書いていった。行ってみたいところ、してみたいところ。
 今までのコータとの生活があまりにも幸せで、サチはそのノートを顧みようとはしなかった。しかし、帰宅の遅いコータに、サチは結果が良くないものだと既に悟っていた。

『兄弟がいれば、非常に確立が高いのです。兄弟姉妹であれば、おおよそ四人に一人。ご両親でも適合は稀です。血縁関係がないと数百人から数万人に一人の確率とされています』

 遺伝がどうのこうのと言いながら、病院の一室で移植に詳しいという女性が説明してくれた言葉がサチの脳裏によみがえった。

(・・・・・・・・あたしには、親も兄弟もいない。だから、コータだけ。コータ以外の人の骨髄なんて、欲しくない・・・・・・・・)

 サチは思うと、ノートに書かれた『恋をしたい』という言葉の隣に、『世界で一番コータが大好き』と書き足した。
 ページをめくると、少し幼く感じる自分の願いが書き連ねられていた。既にかなった願いには、サチはそれぞれ今の自分の思いを書き加えて行った。
『愛されたい』
『誰かを心から愛したい』
『結婚したい』
 どれもコータとの出会いが叶えてくれた願いだった。
『美味しいものが食べたい』
 我ながら漠然としていて、苦笑が零れる書き込みだった。
 右も左もわからず、声を掛けてくる男たちの優しそうな笑顔の下に、ドロドロとしたいやらしい下心が垣間見え、サチはどんな優しい言葉も、甘い言葉もすべて拒絶して、その度に逃げるようにしてその場を走り去った。そうしているうちにたどり着いたのが、どこかもわからなかった、あのコータと出会った場所だった。
 声を掛けられ、正直、『またか』と思いながら顔を上げたサチの目に映ったのは、本物の優しさだけを持ったコータだった。何もないけれど、雨に濡れるよりは良いと声を掛けてくれたコータの優しさに、サチは迷うことなくコータを選んだ。
 コータの暮らしぶりは、言葉通り何もなく、貧しかった。それでも、コータは貴重な食料を分けてくれ、翌日も、その翌日も、出て行けとは言わなかった。
 純粋で、表裏がなく、下心もなく、親切というよりも、気まぐれに近く自分を助けてくれたコータに、サチは恋してしまった。部屋を出たら、二度と会えないと思うと去りがたく、コータの迷惑だと分かりながらも、サチはコータの部屋にとどまり、自分にできるコータの生活のサポートを始めた。それが、今はコータの正式な妻になり、誰よりも深く愛されている。そう思うと、この幸せを失いたくないとは思う。しかし、コータにこれ以上迷惑はかけたくない。そんな思いを胸に、サチはノートを閉じると、自分のバッグにしまった。
 もう、いつかの時のような、コータが帰ってこなくなったらどうしようなどという不安はない。
 夕食の支度も、富田のおばさんと、山根のおばさんのサポートのおかげでバッチリだ。だから、失望を抱えたコータを温かく迎え、その悲しみと失望を受け止める覚悟はもうできている。

「コータ、早く帰ってきて・・・・・・」
 サチはどこかにいるコータに届くように、静かにささやいた。
 サチの願いが届いたのか、それから十分もしないでコータは帰ってきた。予想通りの打ちひしがれた様子に、サチは笑顔を振りまいた。

「ごめん、サチ。俺、俺、サチの助けになれなかった」
 サチをぎゅっと抱きしめ、涙を零しながら言うコータに、サチは笑顔で言った。
「コータ、泣かないで。コータは、存在があたしの救いなんだから、それ以上になったら、もうあたしの神様になっちゃうよ。だから、泣かないで。血のつながりがないと、数百万人に一人しか適合しないんだよ。もう、このたっくさん人のいる都会で、あたしはコータに出会っちゃったんだから、さすがに二回はないよ」
 サチがおどけて言っても、コータはしばらく泣き続けた。
 その日の夕食は、せっかく久しぶりにパーフェクトに出来たのに、コータが思い出したように涙するので、美味しいというよりも、悲しみの晩餐になってしまった。


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