君のいた時を愛して~ I Love You ~
 俺が部屋に帰ると、サチは静かに眠っていた。
 本当なら、一刻も早くサチに曲が聞けることを教えてあげたかったが、起きている間はいつも苦しそうにしているサチの事を考えると、食事の支度が終わるまで、サチを起こしたくはなかった。
 部屋の入口には、メモと魔法瓶、タッパーがおかれていた。
『麺は、さっと熱湯をくぐして、汁が冷えているようなら鍋であっためて食べてね。油揚げは冷蔵庫に入れてあるよ。 富田』
 メモを読みながら、俺はタッパーの中に入っている麺を確認した。
 油揚げが冷蔵庫ということは、今晩はきつねうどんということだ。最近、食が更に細くなっているサチのために、おばさん達もあの手この手でサチの食欲をくすぐろうとしている事に俺は感謝するとともに、嬉しいと思った。
 着替えを済ませ、しっかりと手を洗う。
 白血球が減って、免疫力が低下しているサチに、不特定手数の人間が出入りする職場から持ち帰る可能性のある病気を防ぐためには、手洗いをよくするだけでは済まないことはわかっているが、部屋に風呂のない俺の場合、銭湯に入るのも躊躇われて湯舟にはつからず、シャワーだけで帰宅するようにしているが、そうとはいえ、サチの世話もあるし、毎日は行かれない。特に冬場はシャワーだけでは体が温まらず、帰宅前に体が氷のように冷えてしまうから、風邪をひくのではと逆に不安になる。
 メモの指示に従い、魔法瓶の中の汁の温度を確かめた。
 多分、俺のシフトを確認して、帰る直前に部屋に運んでくれたんだろう。蓋を開けると魔法瓶から火傷しそうな湯気が出てきた。
 手早く湯を沸かし、麺に湯通しする準備をしてから器を温めた。

「サチ、サチ、夕食たべられる?」
 音を立てても目覚めないサチに俺は優しく声を掛けた。
「・・・・・・ん、コータ?」
「そうだよ」
 俺が答えると、サチが目をこすりながら手で俺の居場所を探った。
「ここだよ。ここにいる」
 俺は言うとサチの手をしっかりと握った。
「コータだ。本物のコータだ」
 サチは嬉しそうに言うと、俺の手をしっかりと握り締めた。
「今晩は、きつねうどんだよ」
 俺の言葉に、サチは目をパチパチと瞬きしてから、少しだけ首をかしげて見せた。
「狐が、うどんに何が入ってるの?」
「きつねっていうのは、油揚げが入っているんだよ。ちなみに、たぬきは天かすが入っているのだよ。天ぷらに見えるけど、衣の中に何も入っていないから狸に騙された見たいってわけで、たぬき蕎麦っていうわけ。サチは今まで気にしてなかった?」
 俺の問いに、サチはコクリと頷いた。
「サチ、起き上がれる? 起き上がれるなら、卓袱台に用意するけど、ベッドに座って食べる?」
「起きれるよ」
 サチは答えると、体を起こそうとたがなかなか体に力が入らないようだったので、俺はサチを抱きしめるようにして抱き起した。
 俺はサチを床のクッションに座らせ、足にフリースのブランケットを掛け、ベッドに寄りかからせた。それから卓袱台をサチの前にセットし、温めた器に湯通しした麺を入れ魔法瓶から汁をかけ、冷蔵庫から取り出した油揚げを上にのせた。
「あっ、見たことある」
 サチは言うと、笑顔を浮かべた。
 俺は自分の分を作り、サチの向かいに座った。
「いただきます」
「いただきます」
 二人で声を合わせるようにして言うと、シンクロしたように箸を取り上げた俺とサチは、まるで申し合せたように油揚げを麺の下に滑り込ませた。
「あれ、サチも油揚げを温めるんだ・・・・・・」
 俺が言うと、サチは『うん』と少女漫画ならハートマークが溢れそうな笑みを浮かべた。しかし、やつれたサチの笑顔は頬がこけ、サチの命の火が消えていこうとしていることを俺に確信させた。
 サチは『美味しい』と言いながら、珍しく約一人分のうどんをつるりと食べ切った。
「ごちそうさま」
 サチが食べ終わったので、俺はサチのためにカップにお茶を注いだ。
「コータ、ありがとう」
 サチはカップに口をつけると、お茶を数口飲んでから枕もとに置かれた薬入れの袋から夜の分の薬を取り出した。
 ターミナルケアに変わっても、サチの薬は減ることはなく、どちらかと言えば増えていく症状を抑えるための対症療法の薬が増えていっていた。
「お薬飲むだけで、お腹が一杯になっちゃうのに、今日は、沢山食べちゃったから、お薬全部飲めるかなぁ・・・・・・」
 サチは困ったように呟くと、何粒かの錠剤を一回で飲み込み、ザラザラと袋に入っている錠剤とカプセルを飲み干していった。
 その間に俺はうどんを食べ終え、サチの器と俺の器を片付けた。
 卓袱台の上に置かれた空になったカップも片付け、卓袱台を動かすとサチを抱き上げてベッドに戻した。
「もし、お手洗いに行きたくなったら、すぐに声かけてくれ」
 俺は一声かけると、小さい流しで洗い物をした。

 暖かい季節なら、食後にサチの体をタオルで拭いたりしたが、今の時期は夜に体を冷やすと危険なので、おばさんたちが昼にサチの体を拭いてくれている。

 いつになったらサチのドナーは見つかるんだろうか?
 なんで、辛い思いばかりをしたサチが白血病なんて・・・・・・。
 せっかく掴んだ幸せなのに、俺にはサチしかいないのに・・・・・・。

 俺は涙を堪えて片づけを終わらせた。
 振り向くと、サチは既に寝息を立てていたので、俺はドアの近くに設置した足元灯代わりの小さなライトをつけてから部屋の電気を消した。
 少しでもサチの体を休めるためには、夜寝る時はちゃんと明かりを落とし、暗いところで眠れるようにすることが大切なので、俺は食後はすぐに電気を消してベッドに入った。
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