君のいた時を愛して~ I Love You ~
 病院の中は、ある意味戦争状態だった。
 一歩中に入ると、フロアーには怪我人であふれかえり、病院の医療スタッフが走り回っていた。

(・・・・・・・・いったいどうなってるんだ・・・・・・・・)

 呆然としながら、コータは長い受付の列に並んだ。
「外傷のある方は右手に。通常診療の予約のある方は入口の張り紙にありますように、午後の検査はすべてキャンセルとさせていただきましたので、後日予約をお取り直しください。外傷以外で受診を希望される方は左のカウンターにお進みください」
 アナウンスの声に従い、長い列が左右に分かれていく。ほとんどが外傷のある列に進む中、コータは左のカウンターの方に進んだ。

「次の方」
 やっと順番が来たコータは、持ち出し袋の中に入っているサチの診察券と保険証を取り出し、受付の手続きを始めた。
「担当医は中嶋先生です。家内は、白血病で・・・・・・」
「どのような症状ですか?」
 質問の意味が理解できず、コータは一瞬黙ったが、すぐに地震の避難後から意識がなく、地元は停電で救急車も手配できず、車で運んでもらったことをかいつまんで説明した。
「わかりました、少々お待ちください」
 スタッフは言うと、院内用のPHSを取り出してどこかへ電話をかけ始めた。
「一階受付です。中嶋先生の患者さんなのですが・・・・・・」
 コータが説明した内容をさらにかいつまんでスタッフが説明した。
「はい。はい、わかりました」
 スタッフは電話を切るとコータに向き直った。
「本日、中嶋先生が病棟にいらっしゃいます。外来は外傷のある患者さんに開放していますので、病棟で直接診察されるそうです」
「わかりました。では、以前入院していた階ですよね?」
「はい、そうです」
 スタッフは答えると、コータに診察券と保険証を返してくれた。
「ありがとうございます」
「あ、すいません。現在、エレベーターは緊急性の高い患者さん優先になっておりますので、時間がかかる可能性があります。階段の方が早いかもしれません」
 コータからすれば、サチの病状は十分緊急性を要すると思うのだが、ボタンを押してなかなか来ないエレベーターを待つくらいなら、階段を上った方が早く感じられたので、最後の力を振り絞って階段を速足で上がった。


 ナースステーションに顔を出すと、顔なじみの看護士がすぐにコータに気付いてくれた。
「中村さん、先生のところにご案内します」
 ナースステーションの奥にある病状を説明したりするときに使われるコンサルテーションルームの扉を看護士がノックして開けると、中村先生がパソコンの前に座っていた。
「先生、中村幸さんです」
「どうぞ、お入りください」
 中嶋医師に促され、コータはコンサルティングルームに入った。いつもは椅子しか置いてないはずの部屋に、今日はストレッチャーが運び込まれていた。
「サチさんをそこに」
 言われるまま、コータはブランケットにくるまれたサチをストレッチャーに横にならせた。
 待っていましたとばかりに、看護士がブランケットをはぎ取り、サチの体温、血圧、酸素飽和度を測っていった。
 目にもとまらぬスピードでメモ用紙に数字を書き込むと、すぐにそれぞれの機器を取り外した。看護士はメモを中嶋医師に渡すと、一旦機器を持って退出した。
 メモを見つめた中嶋医師は、パソコンの画面に向かって何かを入力していった。
「中村さん、サチさんは体温が下がり、呼吸も浅く、血圧も低く、かなり危険な状態です」
 ナイフで刺されたような鋭い痛みがコータの全身を貫いた。
「とりあえず、体を温めて体温を上げ、血圧を安定させるための点滴を行います」
 中嶋先生の言葉が終わらないうちに、看護士が戻ってくるとサチの乗ったストレッチャーを部屋から引き出し始めた。
「まだ、病室が開いていますから、緊急入院ということにします」
「ありがとうございます」
 コータは礼を言うと、ストレッチャーの後ろに続いて部屋を後にした。


 病室の入口で『こちらでお待ちください』と言われたコータは、しばらく廊下で待つことになった。
『・・・・・・恐ろしい光景です。激しい濁流が家々を破壊し、土ぼこりを上げて町を飲み込んでいきます・・・・・・』
 隣の病室の患者さんが見ているテレビの音が廊下にこだましているというよりも、あちこちの部屋で同じニュースを複数の患者さんが見ていることによるハミングのようだった。
 その言葉に釣られるように、コータは失礼だと思いながらも隣の病室を覗いた。
 すると、一台のテレビの前に、部屋中の患者が集まり、生中継で放送されている被災地のニュース映像をじっと見つめていた。
 画面に映し出されているものは、想像を絶する光景だった。どこから来たのだろうと思うほど大量の水が家々を飲み込み、巨人に踏みつぶされるようにして土煙のような埃を舞い上げながら家々が押し寄せる濁流の中へと飲み込まれていく姿は、宇宙から来た謎の生命体によって町が丸ごと飲み込まれていくのと同じくらい非現実的な光景だった。
「いったい、何が・・・・・・」
 思わずコータは呟くと、画面に表示されるテロップを必死に目で追って読んだ。

(・・・・・・・・観測史上最大の地震・・・・・・・・)

 そう思えば、激しい揺れも、街中の停電も、救急車すらいつ来るかわからないという信じられないような出来事も、リアルタイムで目にしながらもこれが事実と理解できない、いや脳が理解することを拒み非現実的にしか見えない『津波』と呼ばれる自然現象も、心の底から納得することはできなかったが、あり得るのかもしれないとは思えた。

「中村さん」
 背後から呼ばれ、コータは振り向くと看護士に案内されてサチの横たわるベッドの脇へと進んだ。
 サチはまだ意識を失ったままだった。
「何かあったら、すぐにナースコールで看護師を呼んでください」
 中嶋先生は言うと、他に患者が待っているのだろう、すぐに病室を出て行った。
「サチ・・・・・・」
 コータはベッド脇の椅子に座ると、サチの手をしっかりと握った。
 冷え切っていた手は、少し温かみを取り戻し、蒼褪めていた頬も赤みを取り戻していた。
「サチ、頼む目覚めてくれ」
 俺はサチの手を握り締めて、ベッドの上に横たわる体を抱き寄せた。走り続け、サチを抱いて歩き回った疲れが足元から這い上って来るようで、コータは激しい疲労と闇に誘い込むような眠気を感じた。
 目覚めないサチの姿も、先ほどテレビで目にした光景も、何もかもが悪夢であって欲しいと、眠気に任せて瞳を閉じ、目覚めたら朝に戻ってくれないか、何もなかった昨日の夜でも、今日の朝でも構わない、全部悪夢だったとサチと笑えたらいいと、コータは思いながら瞳を閉じた。目を開けていたら泣いてしまいそうで、コータはぎゅっと目を閉じて俯いた。


 一瞬、眠気に意識を奪われていたコータは、自分の手を握り返すサチの手に目を覚ました。
「サチ?」
 コータは頭を上げるとサチの名を呼んだ。それに答えるように、サチの瞳がかすかに動いてコータの事を見つめていた。
「サチ!」
 コータに名を呼ばれ、サチがかすかに微笑んだ。
「コータ」
 かすれた声でサチがコータの名を呼んだ。
「よかった。いま、先生を呼んでくる」
 コータは言うと、病室を出てナースステーションまで行った。


 サチが目覚めたことをコータが伝えると、すぐに中嶋先生が姿を現した。
 中嶋先生は看護士に何かを指示し、コータを再びナースステーションの奥にあるコンサルティングルームへと案内した。

☆☆☆

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