君のいた時を愛して~ I Love You ~
「まったく、粗野で、野蛮な男だ」
 航(こう)は不機嫌そうに言うと、コータに掴まれ乱れた胸元を整えた。
「まさか、この店に洋子さんの息子さんが働いているとは知りませんでした」
 夜の常連客である陸上は、以前から是非一度と渡瀬をこの店に誘っていたが、お互い忙しい身であるばかりか、あの日本経済を揺るがす大災害のせいで、さらに約束は延び延びになり、やっと都合と予約の取れる日があったのが今日だった。
「跡取りにしてやると言ったのに、つまらない女と別れたくないと家を飛び出して、気付いたら籍まで入れて、親でもなければ子でもないと、言い切ったかと思えば、金の無心にくる。どうしようもないゴクツブシだよ。あれが、私の血のつながった息子かと思うと、情けなくなるよ」
 あくまでも航からの一方的な言い分であることは陸上には分っていた。付き合いが長い分、ここで自分がコータや洋子の肩を持つようなことを言えば言うだけ、航の気持ちが二人、この場合、三人に対して攻撃的になることはわかっていた。
「せっかく料理が台無しだ」
 本当のところ、台無しにしたのは航なのだが、こういうところは渡瀬のおぼっちゃまとして育った航にとって、自分に非はないというのがいつものお決まりの態度だった。
「今度、航(わたる)さんを誘う時は、店を変えますよ」
 陸上は何もなかったかのように言った。
 それでも航の機嫌は直らず、結局、鯛の尾頭付きには箸を付けたが、強硬に『別の店で』と言い張るので、陸上は仕方なく残りの料理をキャンセルした。
 常連の陸上に『出していない料理のお代はいただけません』という大将に、心づけだからと言って小さく畳んだ一万円札を数枚手渡しながら、陸上は『さっきの御造りを運んでくれた青年によろしく伝えて欲しい』と言い残して店を去った。

 コータが大将紹介で入社したスーパーを辞め、店に帰ってきたのは震災からしばらくたってからだった。
 その時、コータは自分の生い立ち、亡くなった母親と存命の父のこと、色々な話を大将にだけはしていたので、陸上の様子に大将は因縁の再会相手が陸上の連れ、面差しが少しコータに似た客だったのだと察した。


 その夜、店を閉めた後、大将は陸上から預かった心づけをそっくりそのままコータに手渡した。
「えっ、大将、なんですか、これ・・・・・・」
 驚くコータに、大将は常連の陸上からの心付けだと説明した。
「陸上さんですか?」
 納得のいかないコータに、大将は『五番さんだよ』と言葉を足した。
 自分を憎み、母とサチを否定する渡瀬が自分にお金を言付けるはずがないことをわかっているコータは、知らずに渡瀬を店に連れてきて、コータと大将に迷惑をかけたと思った陸上の心遣いなのだと思うと、大将につき返すこともできないので、コータはありがたく受け取ることにした。
「店を辞めたりしないよな?」
 確認するように問う大将に、コータは大きく頷いた。
「大将は、俺とサチの心の父親ですから、これからもよろしくお願いします」
 コータは言うと、深々と頭を下げた。
「気を付けて帰れよ」
「はい。お先に失礼します」
 コータは言うと、勝手口を通って家路についた。
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