君のいた時を愛して~ I Love You ~
 電気もつけていない部屋で、うつらうつらとしていたしていたサチは、PHSのピロピロピーンという音に慌てて目を覚ました。
 手の中のPHSを持ち直し、急いでメールを開くと、コータの『愛している』という文字が目に飛び込んできた。
『わかった。でも、俺はすぐにでもサチのところに帰りたい。サチ、愛してる』
 コータが自分のところに帰りたいと思っていてくれるだけでサチは幸せになれた。もう、誰も愛してくれない自分じゃない。今は、コータに愛されている自分なんだと、自分でも自分が愛しく感じられた。
『コータ、愛してる』
 サチは短い返事を送った。
 本当は書きたいことが沢山あった。どれほど寂しいか、二人だといつも狭いねと言っている部屋が恐ろしいくらい広く感じること。いつも一緒に寝ると、ぴったりと体をくっつけてないと落ちそうになるベッドも、サチ一人だと大の字になって眠れること。二人で食べようと思って用意した昨夜の夕食のおかずも、一人だとコータが帰ってくるまで無くならないかもしれないこと。
 いろいろな言葉が溢れ、どれ程自分がコータを愛しているか、どれほどコータを必要としているかをメールに書きたかった。それでも、サチは書かなかった。
 コータは今、血のつながった父親と一緒にいるから。もしかしたら、いまは反発しているコータも、お父さんが自分を愛してくれると気付いたら、自分のところに戻るのを止めて、お父さんと暮らす道を選ぶかもしれない。
 サチにはわからないけれど、人はよく血は水よりも濃い。他人よりは、やはり血縁者が良いと。もちろん、コータが承諾してくれるなら、サチは今すぐにだってコータと結婚する気があるけれど、お父さんと一緒に過ごしたら、コータの気持ちは変わるかもしれない。
 そんなことを考えていると、再び黒いものがサチの心の中で渦を巻き始めた。
 自分だって惜しまないこの命を愛してくれる人がいるなんて、やっぱり夢だったのかもしれないとサチは思った。もしかしたら、あのまま誰にも出会わず、雨に打たれて意識を失い、コータと過ごしている幸せな夢を見ているだけなのかもしれない。もしかしたら、目が覚めたら自分はまだあそこに、コータと出会ったはずの場所に一人で横たわって死にかけているのかもしれない。だとしたら、もう二度と目覚めなくていい。
 次の瞬間、サチは衝動的に立ち上がり、キッチンの包丁を取り上げた。
 鈍い金属の光が暗い部屋の中に差し込む街灯の灯りにぼんやりと輝いていた。
 これが夢なら、目覚めなくていい。最後の瞬間まで、コータが帰ってこないかもしれないまま夢を見続けていたくない。それならいっそ・・・・・・。
 片手で持っていた包丁を反対の手に持ち替えながら刃を自分の体の方に向け、空いた手を添えた。
 このまま、渾身の力で腕を引き寄せたら、それですべてを終わらせられるかもしれない・・・・・・。
 黒い渦がとぐろを巻く蛇に姿を変え、鎌首をもたげてサチのことを見つめていた。その目は、『さあ、刺せ!』言っているようだった。
 サチの両目から涙が溢れた。
 ぬぐおうとした瞬間、両手で持っていた包丁がグラリと傾きサチの腕の内側に振れた。
 鋭い痛みと、血のにじみ出る腕を見つめ、サチは自分が生きていることを実感した。
「いやだ、死にたくない、あたしはコータを待ちたい!」
 自分に宣言するようにサチは言うと、包丁を流しに置いた。
「あたしは生きている・・・・・・。これは夢じゃない・・・・・・。コータは、あたしを愛してくれている・・・・・・」
 サチは熱病にうなされているかのように呟きながら、その場に座り込んだ。
 黒い闇から生まれた蛇はまだサチのことを見つめていたが、サチは大きく頭を左右に振った。
「あたしは、あたしは、コータが帰ってくるのを待つの!」
 サチの悲鳴のような叫びが部屋の中に響いた。

☆☆☆

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