君のいた時を愛して~ I Love You ~
 コータが連れてこられたのは、恐ろしいくらい高級そうに見える料亭だった。もちろん、実際に料亭などと言う場所に来たことのないコータには、本当にここが高級なのか、どこも高そうに見えるつくりなのか、区別はつかなかった。
 仕方なく父と言う男に従って座敷に入ると、そこには既に先客が居た。
 相手が誰なのか分からず戸惑っていると、相手の方から声をかけてきた。
「君が幸多君か、立派になって・・・・・・」
 感慨深そうに言う男は、なぜか幸多のことを知っているようだった。
「突然で驚かせちゃったかな、私は、陸上(くがみ)陽平と言うもので、幸多君のお母さんの中村さんとは、大学で一緒でね。そのあと、一時、同じ職場で働いていたことがあってね。そうだ、幸多君が小さい頃、偶然、街であったこともあるんだけど、さすがに覚えていないだろうなあ」
 真摯な陸上と言う人の言葉、すんなりとコータの心の中に染み込んできた。
「母さんと大学が一緒で、職場も一緒だったことがあるんですか?」
 思わず問いかけると、陸上は感慨深げに幸多のことを見つめ、目を潤ませた。
「偶然なんだけれどね、私の働いている会社の系列会社で事務をしていてね。でも、幸多君には、本当に申し訳なく思っているんだ。中村さんが一人で苦労して君を育てていたことは知っていたのに、何も力にもなってあげられないばかりか、中村さんが亡くなった時、私は転勤先の九州にいてね。お葬式にも伺えなかったんだ。本当に申し訳ないと思っているよ。さぞ、幸多君も苦労したんだろうね・・・・・・。まだ、父親がいないシングルマザーが一般的でない時代だったから、偏見もあっただろうし」
 陸上と言う人は、本当にコータを苦労して育ててくれた母の大変さも、母を失い高校卒業すらできないかもしれなかったコータの苦労も理解してくれていた。
 この人が俺の父さんだったら良かったのに。
「なにをぼさっと突っ立ってるんだ、早く座りなさい」
 ほっこりと温かくなったコータの心に水を差すような父と言う男の声が鋭く響いた。
「ワタルさん、なにもそんなに叱らなくても。いきなり昔話を始めたのは私なんですから」
 コータが座る間、陸上が必死に取り繕って場をおさめようとしてくれた。
「あの、陸上さん。母、本当に・・・・・・」
 この男と付き合っていたのか? 何かの間違いか勘違いではないのか?
 そう尋ねたかったが、コータの想いは言葉にならなかった。
「とりあえず乾杯しよう」
 父と言う男の言葉に、陸上は賛同しグラスを手に取った。
 コータの席にもグラスがあり、コータはそれを仕方なく手に取った。
「息子との再会と、旧友との再会に!」
 上機嫌な様子から、コータは母とのことを詳しく聞き出すチャンスだと感じた。
 料理が次々と運ばれてくる中、コータが陸上に質問をしようとしていると、アルコールの入った陸上が話し始めた。
「ワタルさんと中村さんは大恋愛でね」
 陸上が話し始めても止めないところを見ると、父と言う男はコータが心を開こうとしないので、陸上に昔話をさせてコータの心を開かせようとしているのだとコータは察した。
「ワタルさんはね、資産家の跡取り息子だったからね、女性にはモテモテでね。でも、そういう見え見えなアプローチをする女性には見向きもしないで、コツコツとよく勉強をする中村さんに恋をしたんですよね。あれは、ワタルさんが告白したんですねよ?」
 陸上に同意を求められ、渡瀬は仕方なく頷いた。
「それでもね、中村さんはガードが固くて、ちっとも交際に発展しなくて。それがワタルさんの猛アタックで中村さんもとうとう交際を承諾して、そうしたら、あっという間に相思相愛で、中村さん狙いの連中は相当ワタルさんの事恨んでましたよ」
 陸上は言うと、グラスを口に運んだ。
「それで、あれは冬休みでしたっけ、中村さんとの交際をご両親に反対されたワタルさんと中村さんが駆け落ちしたのは」
 『駆け落ち』と言う言葉に、コータの手が止まった。
「ああ、そうだったな。毎日のように論文の仕上げで洋子が大学の図書館に通っていたから、私も大学に行くと言って家を出て、論文を書き上げたお祝いをしたんだ。そうしたら、私は交際を反対されて親の会社には就職せず、教授に推薦してもらった会社への就職が決まっていたが、親の横やりが来ることは想像できたし、いっそ二人で暮らそうと。本当は、洋子の部屋に住めれば良かったんだが、洋子は女子学生向けの寮に住んでいてね、当然、男子禁制だから、しかたなく宿をとって泊ったんだ」
 アルコールが入ったのと、妻の不在が合わさり、渡瀬も饒舌になり昔の事を話し始めた。
「良い宿は、すぐに親が探しに来るだろうからと、わざと安宿を取ってね。狭い部屋で洋子と二人、幸せだったよ。だが、つまらないことで喧嘩して、そのまま洋子とは終わってしまった。もし、あの時、洋子が妊娠していると教えてくれていたら、家を出てでも親子三人で暮らしただろうし、子供までいるとなれば、うちの両親も黙らせることができたかもしれなかった。それなのに、すれ違いで私は洋子を手放し、つまらない親に押し連れられた妻を貰った」
 渡瀬が妻の薫子を愛していないという事に、コータはなぜか少しだけ母が救われた気がした。
「まあ、ここにいるのは男だけだから言ってしまうが、結婚しても、あんなつまらない女、抱く気にもならなかった。そうしたら、薫子の奴、親に泣きついて、自分は形ばかりの妻で、結婚して二年、一度も肌を合わせたことがありませんなんて、実家の親に言うとは思わなかったよ」
「ワタルさん、結婚して二年も禁欲していたんですか?」
 アルコールの入った陸上が、突っ込んだ質問をしても渡瀬は怒らなかった。
「禁欲じゃないよ。洋子と比べたら、ただの置物みたいなあんな女を抱きたいなんて気にならなかったんだよ。何しろ、別れたんだ、忘れないといけないんだって思ったって、体が求めるのは洋子の温かさだ。夢を見れば洋子が出てくる。そんなんで、他の女が抱けるか? いくら亭主の義務だって言われたって、無理なものは無理なんだよ、その気にならないんだから」
 渡瀬は言うと、アルコールを煽った。
「それでも、向こうの親もうるさいし、なんとか我慢して夫の務めを果たしていたら、そうしたら、つまらない病気になって、子供のできない体にされたんだよ」
 はっきりとは言わないが、渡瀬の言葉は暗に薫子を責めているようだった。
「だから、俺に息子がいると知って、嬉しかった・・・・・・」
 渡瀬の『嬉しかった』と言う言葉がコータの胸に初めて響いた。
 自分の子供だから、仕方なく渡瀬が自分を引き取ったのだと思っていたコータには、衝撃的な一言だった。
「これからは、息子さんと一緒に暮らせるんですね。おめでとうございます」
 陸上は言うと、再び『乾杯』と声を上げた。
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