君のいた時を愛して~ I Love You ~
二十一
 寝る前にスマホのアラームをセットしておいたコータは、誰も起しに来る前に着替えを済ませると、自分の荷物をきちんとカバンにしまった。
 昨夜、料亭でたらふく食べたとはいえ、さすがに朝食抜きでガタイの良いボディーガードと戦うのは難しそうなので、朝食を食べてから脱出の計画を遂行することにし、とりあえずパソコンスクールには大人しく向かうそぶりを見せ、相手を油断させることに徹しようとコータは心に決めた。
 やがてガチャリと鍵の開く音がし、ドアーが外から開かれた。
「朝食でございます」
 ガタイの良い男が、俺のようなスーツの似合わない男にバカ丁寧な言葉で言い、俺は昨日と同じように階段を下りて食事を食べる部屋へと向かった。


「おはようございます、幸多さん」
 中に入ると、すぐに薫子さんが声をかけてくれた。
 俺が部屋を見回すと、薫子さんがクスリと笑いを漏らした。
「航さんったら、年甲斐もなく息子とお酒を酌み交わせたのが嬉しかったようで、今日は二日酔いなのよ。それに、幸多さんはお仕事の為にパソコン教室に通われるんでしょう。航さんの秘書から連絡が入っていますから、今日から一週間はそちらでお勉強を頑張ってくださいね」
 俺にまで気を使い、優しく言う薫子さんに、俺は昨日、あの男が何と言っていたのか、あの男が本当に楽しんでいたのは俺と過ごす時間じゃなくて、自分の憂さを晴らしていたのだと、薫子さんに話してしまいたかった。でも、それがこうして俺にまで気を使ってくれている薫子さんを傷つけることにしかならないことを俺は既に知っていた。そう、俺がかつて美月の家族や親せきからいわれた罵詈雑言に変わらない、あの男も美月の家族も薫子さんや俺の本質をどうこう言っているわけじゃなくて、自分たちが何が気に入らないかだけを上げつられねて、俺たちを貶める。
 そこまで考えて、俺は美月の亡霊が再び俺にとりつこうとしていることを感じた。
「いただきます」
 俺は言うと、うまく使えないフォークとナイフをぎくしゃくした手つきで使って朝食を食べた。
「実は俺、自動車工場で働いていた時、恋人がいたんです」
 俺の言葉に、薫子さんは驚いたように俺のことを見つめた。
「そういう話は、航さんがいらっしゃるときの方が・・・・・・」
「いいんです。でも、俺、工場で働いているって言っても、別に特別な資格とか持っているわけじゃなくて、大勢いるうちの一人。いつでも交換のきく部品みたいな存在で。彼女は、一応、四年生の大学を卒業した中小企業とはいえ、社長令嬢だったんです」
「まあ、素敵ね」
 話の最期を知らない薫子さんは、優しく俺のことを見つめてくれた。
「来年こそは結婚しようって、何度も話し合ったんですけどね、でも、景気が悪くなって、雇止めになって、会社の寮は追い出されるし、みんなネットカフェで暮らしたり、それこそホームレスになる人も多く出て。結局、彼女は見合いをして自分に釣り合う男の人と結婚する道を選んだんですよ」
「まあ・・・・・・」
 薫子さんが言葉を失った。
「でも、きっと、いまの俺を見たら、彼女の両親は地団太を踏んで悔しがりますよ。まさか、うだつの上がらない、低学歴のヒモ予備軍にみえた俺が、あんな大きな会社の社長の息子で、しかも、いきなり係長だなんて、なんか世の中間違ってますよね」
 俺は言うと、薫子さんの言葉を待たず、一気に卵料理をほおばった。
「人にはいろいろな価値観があるから、仕方がないのでしょうね。私は、恋なんて夢みたいな話だと思っていたわ。ずっと、親から厳しく結婚相手は親が決めると言われ育ったから。いろいろな恋の話をする同級生たちが羨ましかったわ。でも、気が付いたら、恋も知らずに結婚していたわ」
 薫子さんは言わないが、決して、この人の人生も幸せではなかったのだろうと、俺は察した。
 すべてあの男のせいだ。あの男が母を不幸にし、薫子さんを不幸にした。そしていま、俺とサチを不幸にしようとしている。でも、そんなことは絶対にさせない。
 俺は心に固く誓った。
「学校までは、車で送り迎えしますから・・・・・・」
 食事を終えた俺に薫子さんが言った。
「あ、あの、良かったら、携帯電話の番号を教えてください。昨日貰ったんですけど、あの人のしか入ってなくて・・・・・・」
 俺が言うと、薫子さんは自分のスマホを取り出し、番号を表示して俺に見せてくれた。
 俺は昨日学習したスマホの使い方を復習しながら、薫子さんの番号を登録した。
「ごちそうさまでした。じゃあ、学校に行ってきます」
「いってらっしゃい、幸多さん」
 俺は薫子さんに見送られ、ガタイの良い男に付き添われながらパソコンスクールへと向かった。


「コースが終わる時間にお迎えに参ります」
 ガタイの良い男は言うと、俺に茶封筒を手渡した。
「社長より、お昼代をお渡しするように預かってまいりました」
「お昼代・・・・・・」
「はい。パソコン教室は午前午後に分かれていますが、お昼は出ませんので、ご自分でお摂りください。もし、午後の教室に欠席すれば、すぐにアパートにお迎えが良く手はずになっております」
 間違っても、お昼時間に逃げるなよと言う脅しをかますと、男は静かになった。
 俺は手渡された茶封筒の中に千円札が二枚入っているのを確認すると、封筒のままカバンの中にしまった。

☆☆☆

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