君のいた時を愛して~ I Love You ~
 食事を終えた俺たちは、映画館から水族館まで何でもある高輪を時間をつぶすために歩いた。
 六時と言う時間は、ショップを見ている間にすぐにやってきた。
 俺とサチはホテルに向かうと、チェックインを済ませた。もっと、面倒なやり取りがあるのかと思っていたが、予約の番号を告げると、すぐにチェックインは済んだ。それから、荷物のない俺たちは案内を断り、部屋の番号の渡された薄っぺらいカードキーなる物を受け取り、エレベーターに乗った。
 目的の階で降り、案内の指示に従って部屋番号のある方向に向かう。ここからはまるで宝探しの気分だ。
 サチがはしゃいで速足で進み、部屋の前で立ち止まった。
「コータ、ここだよ」
 はち切れそうな笑顔が嬉しくて、俺はいさんでカードキーを入れて引き抜いた。
 しかし、赤いランプが点滅するだけで鍵は開かない。
「どうなってんだ?」
 俺がいい加減苛立ってきたころ、サチが鍵の入っていた包みを見ながら『カードキーは、ゆっくり抜いてください』と注意書きを読み上げた。
 俺はその指示に従い、今度こそはとカードキーをゆっくりと引き抜いた。
 瞬間、緑のライトが点灯し、鍵の開く音がした。
「やった!」
 サチが俺に飛びついてくる。
 俺は再び鍵が閉まらないうちにと、片手でドアーを開け、半ば抱き合った姿勢のまま二人で部屋の中に入った。
 部屋は正直、広くはなかった。しかし、何もかもがキラキラと輝いて見えた。
 部屋の面積のほとんどを占める巨大と言う表現がぴったりなベッドにサチがダイブした。
「わーすごい、ふかふかだよコータ!」
 俺たちの部屋の古いスプリングのあまり効かないベッドと比べるのは申し訳ないくらい素晴らしいベッドだ。
「見てみて、枕が沢山あると思ったら、こっちはふかふかで、こっちは固いんだよ。好みで好きな方が使えるなんて、すっごい贅沢! あたしは、ふかふかにする」
 サチは子供のようにはしゃいで枕を抱きしめていた。
「コータはどっちにする?」
 俺は正直枕には全くこだわりはない。柔らかろうが、固かろうが、気にせず眠ることのできる便利な人間だ。
「あ、余った方でいいよ」
 俺が答えると、サチは頭を横に振った。
「大丈夫だよ。ちゃんと、二人分、柔らかいのもかたいのも用意されてるんだから」
 サチはマンゴーラッシーにアルコールでも入っていたのではないかと思うくらいにご機嫌だった。
「じゃあ、サチと同じのやわらかいのにするよ」
 俺は答えると、手に持っていた荷物を荷物置き用の台の上に置いた。
 形からいって、きっとここにはトランクを置くのが普通なんだろうと思いながら、俺は一度伸びをした。
「コータごめん、荷物重かったよね」
 サチが心配そうに俺を見つめた。
「軽い軽い。スーパーで持たされるドリンクものなんて、無茶苦茶重いんだぞ。それから比べたら軽いよ」
 俺は言うと、サチの隣に腰を下ろした。
「コータ、お風呂入れて来るね」
 サチは言うと、まくらを置いてバスルームに姿を消した。
 お風呂と言う言葉が、妙に生々しく感じられ、俺はベッドに横になった。
 俺とサチは、あの狭い部屋で暮らし、シングルベッドで寝ていたけれど、風呂は銭湯だから当然一緒に入ったことはないし、着替えの時はお互い背を向けているから、お互いの肌を見たこともない。寝るときは背中合わせが基本で、抱き合って寝ることはあっても、それ以上はなかった。
 でも、俺とサチは正式に結婚して、この部屋には二人で入れる風呂も隣の部屋や階下の部屋の住人の事を気にする心配もなく、ゆったりと二人で安らげるベッドもある。きっと、このタイミングを逃したら、サチとの初夜は迎えられない。
 そんなことを考えながら、俺はサチがそれを望んでいるのかどうかが不安になった。
 でも、結婚するってことは、サチも俺も愛し合っているわけだし、そうだとしたら、そういうことって、普通するもんじゃないのか?
 俺が悶々と悩んでいると、サチがバスルームから戻ってきた。
「すっごい沢山お湯が出るんだよ。びっくりしちゃった」
 無邪気に座って言うサチに、俺は自分が考えていたことが恥ずかしくなる。
「コータ、お風呂、一緒に入ろうか」
 サチの言葉に、俺は考えを読まれたのかとギョッとする。
「あ、嫌ならいいんだよ。でも、ほら、いつも銭湯だから、一緒に入る機会ないじゃない」
 交際をほぼすっ飛ばして結婚し、お互いの肌を見たこともない俺たちの最初が風呂だなんて、もう、隠す場所も隠せないじゃないか。
 焦り続ける俺に、サチは『嘘だよ。ゆっくり、交代で入ろうね』と言うと、荷物の中から着替えを出してバスルームに戻っていった。
 サチが風呂から出てくる間、俺はベッドに横になりコンビニで買ってきたお茶を飲んで、家にないから日頃は見ることのないテレビをつけてみた。
 お笑い物は、どこが面白いのかわからないし、ニュースは暗いニュースばかり。ドラマは途中からだから、何が何だか、誰が誰だかわからない。仕方ないから、旅行番組で手を打った。
 行ったことのない場所の見知らぬ風景や色々な店が映るのを見ながら、俺は本当に甲斐性がないなと思った。
 俺の事を想ってくれているサチをずっと待たせて、しかも俺が拉致られるなんて衝撃的な事件の後、どさくさに紛れるようにして結婚しておいて、せっかく大将も新婚旅行してこいなんて言ってくれたのに、無計画にその日の宿をとるだけだなんて。
 そこまで考えてから、俺はこれから先どこで暮らしたらいいのだろうかと不安になった。
 あの男の事だから、俺が居ないのを良いことに、あの部屋を解約してしまっているかもしれない。そうしたら、俺の少ない生活必需品も帰る部屋も俺は失ってしまうんだ。
 そう考えると、旅行なんてお金のかかること、今はできないという気になってくるし、一日も早く帰らなくちゃという気にもなる。
 でも、家に帰れば、あの男の部下が俺を待っていて、俺とサチは再び引き離されることになる。

「コータ!」
 少し怒ったようなサチの声に、俺は慌てて声のした方を振り向く。
 そこには、バスタオルを巻いただけと言う、超刺激的な姿のサチが立っていた。
「もう、新婚旅行なのに、テレビに熱中するなんてひどいよ!」
 サチは言いながら、ポムとベッドに飛び乗った。
「ちがうよ、考え事してたんだ」
「前の彼女の事?」
「えっ?」
「あたしなんかと結婚しちゃってよかったのかなって、そう思ってたんでしょ」
 俺はサチが愛しくて思わず抱きしめた。
「何バカなこと言ってんだよ。俺にはサチだけだよ」
「やだ、コータ。まだお風呂入ってないじゃない」
 サチが照れ隠しに俺を押し返す。
「じゃあ、入ってくる」
 俺はサチを離すと、着替えを手に風呂に入った。

 今晩、サチとの初めての夜を迎えるかもしれないと思うと、頭のてっぺんからつま先まで、ゴシゴシと俺は徹底的に洗った。
 備え付けのドライヤーで髪を乾かし、サチにならってバスタオルだけを巻いて風呂の外に出た。

 サチは、テレビを消してベッドの上で自分の手帳に何かを書いていた。
「お待たせ」
 俺が声をかけると、サチは手帳を閉じて俺の方を向いた。
「コータ・・・・・・」
 さすがに、バスタオル一枚の俺の姿は衝撃的だったのか、サチは威勢の良さをなくして、静かになってしまった。
「サチ」
 俺はサチに声をかけながら、サチの隣に腰を下ろした。
「サチ、抱きしめてもいいか?」
 俺の問いにサチがコクリと頷く。
 俺はバスタオルを巻いただけのサチを抱き寄せた。
 少し冷えた体を温めるように、しっかりとサチの体を抱きしめた。
 少し湿っぽいタオルが気になり、俺はサチのタオルに手をかけた。
「外していい?」
 再びサチがコクリと頷き、俺はサチのバスタオルの折り返している部分を外すとパサリとサチのタオルが落ち、サチの素肌が俺の体に密着した。俺も自分のバスタオルを外すと、横倒しになるようにベッドの上に倒れこむのに任せ、俺とサチはベッドに横になった。
「サチ、愛してる」
「あたしもだよ、コータ。世界で一番、誰よりもコータの事を愛してる」
 そこから先、言葉はいらなかった。
 俺は宝箱のようにキラキラと輝く部屋の中で、初めてサチと愛し合った。

☆☆☆

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