休みの日〜その夢と、さよならの向こう側には〜
「滝本さん、最近何かあったんですか?」
「うん、まあ……」
「これもお礼の一環ですので、思う存分私に話しちゃってください」
正直、僕と水無月の話をいろんな人に話すのは気が引けるし、水無月自身もあんまりよくは思わないだろう。だから彼女とのことを話すのは、今回までにしておこうと思った。
「高校生の頃から片思いしてた相手に、昨日フラれちゃったんだよ」
そう話を切り出すと、なぜか多岐川さんは急に頬を赤らめてしまった。これはたぶん、酔いではない。
「あの、ごめんなさい。私、恋愛したことなくて……全然相談乗れないかもしれません……」
「いや、気にしないで。聞いてくれるだけでも、嬉しいから」
実際誰かに話をすることで、心の整理が出来ているような気がする。フラれた時は何も考えられなかったけれど、岡村さんと多岐川さんが話を聞いてくれて、だいぶ心に余裕が出来てきた。
「もしよろしければなんですけど、私に詳しく話してくれませんか? 何か、アドバイス出来るかもしれないので……」
僕は頷いて、彼女の好意に甘えることにした。多岐川さんは水無月のことを知っているから、片思いをしていた相手の名前は一切出さずに、これまでの経緯を説明する。
話終わるまで、多岐川さんは相槌を打ちながら真剣に聞いてくれて、僕はただ純粋に嬉しかった。そして話が終わった時、多岐川さんはすんと小さく鼻をすすった。少し、彼女の瞳には涙がたまっている。
「その人のこと、滝本さんはすごい大好きだったんですね……」
そして、たまっていた涙はほろりと頬を伝って流れていく。突然泣き出した彼女に動揺したけれど、僕はすぐにハンカチを差し出した。お礼を言うと、多岐川さんはそっと涙を拭う。
「大丈夫?」
彼女はうなずいて「すみません。なんだか、悲しくなっちゃって……」と呟いた。
多岐川さんは、何も関係がないはずなのに。男としてそんな感情を表に出せない自分のために泣いてくれた気がして、胸が熱くなる。誰かが悲しんでいると、自分のことのように悲しくなる。多岐川さんは、水無月に似ているのかもしれない。
僕はただ一言、「ありがとう……」と言った。僕のために、悲しんでくれて。悲しみを共有したことで、少しだけ失恋の傷が癒された気がする。それだけで、多岐川さんに相談してよかったと、心の底から思うことができた。
そして僕は、ぽつりと呟く。
「もう、諦めたほうがいいのかな……」
そんな弱気な言葉を呟いたのは、きっと多岐川さんに聞いてほしかったから。聞いて、彼女に意見を仰ぎたかった。
多岐川さんは僕の質問に、すぐに答えてくれる。
「それは、滝本さんが決めることです。私が決めて、滝本さんが納得しちゃったら、きっと後で後悔しますから」
彼女の言う通りだ。ずっと忘れられなくて、今まで悩み続けてきたのだから。今更誰かの意見で納得したとしても、それは僕自身が決めた答えじゃないし、いつか絶対に後悔する。
「でも滝本さんなら、いずれ納得できる答えが出せると思います。だって滝本さんが好きになった方は、とっても素敵な人ですから」
多岐川さんは、僕のことを励ましてくれる。心に重くのしかかっていたものが、軽くなったような気がした。僕は「ありがとう……」と言って、ぼんじりに手を伸ばして口に運ぶ。それからふと気になって、彼女へ質問を投げた。
「多岐川さんは、好きな人とかいないの?」
ちょうどカシスオレンジを飲んでいた多岐川さんは、むせてしまったのか思い切り咳をする。
「あ、ごめん……聞かないほうがよかった?」
「いえ。ちょっと、びっくりしちゃいまして……」
一度深呼吸をしてから、改めて教えてくれた。
「気になる人はいますけど、今のところ好きな人はいませんよ。女子校で、そういう経験はあまりありませんでしたから」
「そうなんだ」
きっと多岐川さんが共学に通っていたら、何人かに告白されていただろう。それぐらい彼女は美人で、おまけに愛想もいい。
「でも、何も伝えられないまま、失恋しちゃいそうです」
「どうして? 多岐川さん、すごく魅力的だと思うけど」
「……そういうこと、真顔で言うのやめてください。返事に困ります」
感じていたことをそのまま話してしまって、多岐川さんは困ったように口をとがらせる。
グラスに少しだけ残ったカシスオレンジを飲み干して、何やらタブレットを操作し始めた多岐川さんは、それが終わるとほんのり顔を赤くさせながら僕に質問をする。
「滝本くんは、結構モテそうですよね」
突然呼び方が滝本くんに変わって、僕は一瞬どきりとした。距離が縮まったような気がして、ちょっとだけ嬉しい。
「全然だよ。告白されたのも、高校の時に一回だけだから」
「えぇ、そんなことないと思いますよ」
「大学じゃ女性の知り合いすらいないよ」
言ってて悲しくなるが、事実だから仕方がない。
程なくして店員さんがやってくると、とをテーブルの上に置いていった。先ほど多岐川さんが頼んだものなのだろう。
「日本酒、飲んでみますか?」
興味があって見つめていたのがバレてしまったらしい。僕が頷くと、彼女はお猪口に日本酒を注いでくれた。
それを受け取って、少しだけ口に含んでみる。そしてその独特な味を舌が認識した瞬間、慌てて器から口を離した。
「あ、やばいこれ……」
「お口に会いませんでしたか?」
注いでくれた手前申し訳なかったが、正直一杯も飲めそうになかったため、苦笑しながら頷く。多岐川さんはそんな僕に微笑むと、お猪口に残った日本酒を一気に飲み干してくれた。
「多岐川さんって、結構お酒飲むんだね」
「はい、好きなんです」
未成年でお酒が好きと主張するのはどうかと思ったが、最近はそういう人が多いのかもしれない。美味しそうに日本酒を飲む多岐川さんのために、僕は徳利を持つ。その意図を理解してくれたのか、嬉しそうにお猪口をこちらへ近付けてくれた。
注いであげたものはまたしても一瞬でなくなり、多岐川さんの顔は更に紅潮する。僕はさすがに心配になって、一旦注ぐのをやめた。
「もうやめたほうがいいんじゃない?」
「いえ、らいじょーぶです!」
呂律が回っていないように聞こえたが、僕は戸惑いながらも多岐川さんに従った。注いであげると、美味しそうに日本酒を飲んでくれるから、ついつい調子に乗ってしまったのだ。
結局それからも彼女は、梅酒やハイボールを次々と頼んで行き、「そろそろ本当にやめといたほうがいいんじゃない……?」と制止の言葉を投げかけた頃、畳の上へ横になった。お酒の飲み過ぎで潰れてしまったのだろう。もっと早くに止めておけばよかったと思った頃にはもう遅かった。
酔い潰れた多岐川さんの隣へ移動して肩を揺すり、「大丈夫?」と声をかけてみると、「気持ち悪い……」と言いながら眉を寄せる。
「トイレ、連れてったほうがいい……?」
「ううん……大丈夫……」
おそらく敬語を使う余裕すらなくなってしまったのだろう。僕は通りがかった店員さんにお冷やを頼んでから、少しだけ残った焼き鳥を腹の中へおさめた。
そしてなんとか多岐川さんを起き上がらせて、店員さんが持ってきてくれたお冷やを彼女の口元に近付ける。
「お水、飲めそう?」
コクリと小さく頷いたのを見て、ゆっくりと彼女に水を飲ませてあげた。それから僕の肩を貸して、一緒に立ち上がる。密着して少しドキドキしたが、緊急時だから仕方がない。
そのまま伝票を持って会計に行き、多岐川さんがバッグから財布を取り出そうとしたが、それより先にお金を出して精算を済ませた。
焼き鳥屋を出て、僕らは夜風に当たる。もう零時に近かったため、辺りの車通りは少なかった。
「あの、ごめんなさい……あとでちゃんとお金払います……」
「別にいいよ。それより、大丈夫?」
「大丈夫じゃないかもです……」
「おぶるよ」
おぶられるのは恥ずかしいかもしれないが、そのまま歩いて帰ると時間がかかりすぎてしまう。多岐川さんは遠慮をしたが、半ば強引に話を進めたことにより、最後には渋々了承してくれた。初めて妹以外の女性をおぶったけれど、こんなにも軽いのだということに僕は驚いた。
僕の住んでいるアパートへ連れて行くより、自分の家の方が落ち着けるだろうと思い、多岐川さんに道を聞きながら歩き出す。
その間、彼女は僕の背中に向かって何度も「ごめんね……」と呟き、その度に僕は「気にしないで」と返していた。多岐川さんのおかげで心の整理ができたから、こんなことで怒るわけがない。それに、酔って暴れ回らないだけマシだとも思う。
ただ、お酒を飲んだ多岐川さんは、いつもよりちょっとだけ、口元が緩むようだ。
「悲しかったよね……」
そう言って、彼女は鼻をすする。
「無理、しなくてもいいんだよ……」
その言葉が耳に届いた瞬間、僕の抑えていた気持ちが、一気に溢れ出してきた。瞳から涙がこぼれ落ちる。多岐川さんをおぶっていてよかった。隣を歩いていたら、きっと泣き顔を見られていたから。
けれど、両手は彼女をおぶるために使われていて、落ちる涙を拭うことは出来なかった。