休みの日〜その夢と、さよならの向こう側には〜
27.アトリエ
 夏休みの間はアルバイトをしつつも、海へ行ったりプールに行ったり、浴衣を着て花火大会へ行ったりなどをして満喫した。ほぼ毎日梓と顔を合わせていて、夏休みが半ばほど過ぎた頃に、僕は夏休み明けの課題のことが心配になった。

 しかし、どうやらようやく課題制作を進めるらしく、共同アトリエまで見に来てほしいと梓に誘われた。一緒に作業をしている人もいるだろうから、迷惑にならないかと不安に思ったが、別にみんな気にしないとのことだった。というより、一緒に部屋を借りている人たちから、早く彼氏を紹介してと言われているそうだ。

 僕はそれなりに緊張しつつも、梓に案内をされて共同アトリエへとやってきた。外観はお世辞にも綺麗とは言えず、築年数がそれなりに経っている木造アパートだった。二階の部屋へと案内され、ドアを開けて中に入る。玄関にはすでに女性物の靴が三足置かれていて、それを見るだけで僕は萎縮してしまう。

 梓がスリッパを出してくれて、僕は中へと足を踏み入れた。どうやら中にはいくつか部屋があり、彼女は奥の方にある部屋へと入っていく。部屋の中は六畳ほどの大きさで、二人の女性がキャンバスに向き合い筆を滑らせていた。周りには作業途中のキャンバスが立てかけられていたり、絵の具が床に無造作に置かれていたりと散らかっている。一応床を汚さないようにという配慮なのか、畳の上にブルーシートが敷かれていた。

 僕らのことに気付いたのか、二人は筆を置いてこちらを見た。

「ほら、この人が悠くん。滝本悠くんだよ」
「あの、いつも梓がお世話になってます……」

 頭を下げると、彼女たちは値踏みをするようにこちらを凝視してくる。それから、おっとりした雰囲気を漂わせているメガネをかけた子が、遅れて驚いた表情を浮かべた。

「えっ?! 本当に梓ちゃんに彼氏さんがいたの?!」
「待って、由美ちゃんには何回も説明したよね?!」
「ずっと漫画の話してるのかと思ってた……」

 そんな会話をしている彼女たちを見て、もう一人のサバサバとした感じの女性がけらけらと笑った。

「あたしも信じてなかったけど、本当に梓に彼氏ができたんだね。おめでとう」
「美咲も信じてなかったの?!」
「だって、梓って男としゃべる時すごい萎縮するし。付き合うなんて夢のまた夢だと思ってた」
「ひどい!」

 そんな三人のやりとりに、僕は思わず笑みがこぼれる。バイト先以外でも、梓に親しい友人が何人もいるのだということが知れて、僕はなんだか嬉しかった。

「梓ちゃんのこと、よろしくお願いします。すごく、大変だと思いますけど」
「大変って何?!」
「そりゃあ、あれでしょ。わがままなところとか」
「うんうん。滝本さん、すごく振り回されると思うけど頑張ってね」
「わかりました」

 正直、梓がわがままなのはもう知っている。僕は、そんなところも含めて彼女のことが好きになったから、たぶんこれからも大丈夫だ。

「ゆっくりしていきなよ。梓と話してても私たちは気にしないし」
「ありがとうございます」

 とはいえ、うるさくするわけにはいかないから、特別何も話すことがなければ黙っているつもりだ。だから梓が絵を描く準備をしている時、僕は二人が絵を描いているのを隅っこで見学していた。

 どうやら二人とも人物画を描いているらしく、もう下書きを終わらせて、色を塗り始めている。詳しいことはわからないが、もう七割ほど進んでいるんじゃないだろうか。

 対する梓は、今から真っ白いキャンバスに下書きを描いていく。明らかに、周りの友人よりも遅れている。これはきっと、夏休みの前半を二人で遊んでいたからなのだろう。応援すると言ったのに遊んでしまってばかりで、梓のことを何も考えられていなかった。

 もしかすると、また締め切りギリギリになってしまうのかもしれない。そうなる前に、僕は梓に強い言葉をかけることができるのだろうか。遊ぶことよりも、今は絵に集中しなきゃと言えるのだろうか。

 その時の僕は、彼女に嫌われたくないと思って、何もいえなくなるのかもしれない。

 そんなことを考えていると、由美と呼ばれていた女の子に肩をちょんとたたかれる。顔を上げると、梓に聞こえないように声をひそめながら、僕に話しかけてきた。

「梓ちゃん、描き始めるのは遅いけど、いつも頑張ってちゃんと仕上げてますよ」
「そうなんですか……」
「でもメンタルはちょっと弱いので、そういう時は彼氏として支えてあげてください」

 あらためて、梓はいろんな人に愛されているのだということがわかった。どこへ行っても、彼女のことを悪く言う人はいない。

 僕は由美さんの言葉に頷いた。

 再び梓の方を見ると、この前ひまわり畑で撮影した写真と、スケッチブックをカバンから取り出していた。スケッチブックには、ひまわり畑の下書きが描かれている。おそらく自分の部屋であらかじめ描いてきたのだろう。

 それから木炭を指で持ちながら、キャンバスに下書きを始めた。どうやら、展望台から撮影した風景を書くことに決めたらしい。

 僕は梓の後ろで、静かに絵を描いているのを眺めていた。



 日が沈み始めた夕暮れの空は、オレンジ色に染まっている。住宅街の真ん中で、梓は気持ちよさそうに大きく伸びをした。

「すごい集中してたね」
「一回集中したら、疲れるまで集中力が切れないの」

 それは羨ましいなと思った。僕は勉強をしている時、いろいろなことが頭の中をぐるぐる回って集中できないことがしばしばある。

 帰り道のコンビニでソーダ味の棒アイスを買って、それを食べながらまた帰路を歩く。合鍵をもらってからも、今日は家に泊まって行かないかと誘われることが多かったが、断り続けていると、諦めてくれたのか最近は何も言われなくなった。

「明日、この前書店で宣伝してた映画を見にいかない? 調べてみたら公開日だったの」
「大丈夫だけど。絵はいいの?」
「今日頑張ったから大丈夫!」

 本当に大丈夫なのだろうかと思ったが、そこまで言い切れるのなら大丈夫なのかもしれない。

「それじゃあ明日は映画を見に行こうか」

 そう言うと、梓は両手でガッツポーズをして嬉しさを表現した 僕はやっぱり、甘いのだろう。そんなことを、ふと思った。
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