休みの日〜その夢と、さよならの向こう側には〜
28.大切な人と向き合う
映画の内容は、一匹の子猫と少女に出会う、小説家を目指す大学生の男のお話だった。子猫の首にカメラを取り付けて、外の世界を見ていた少女。ある日子猫と男は出会い、子猫に連れられて少女の住んでいる家へ向かう。そこで男は、足の障害を抱えて外へ出られない少女と出会った。
男は少女に恋をして、その家に通い続け介護の手伝いをする。そして外へ出られない彼女のために物語を書いて、読み聞かせる。男は小説家を目指し、うまく行かない時は少女が励ましながら夢を追い、そして最後には二人で目標を叶えるというもの。
映画を鑑賞している時に、ふと隣を見てみると、梓は涙を流していた。優しい彼女にとって、こういうストレートな物語は心に響くのだろう。僕も物語の節々で鼻の奥がツンとして、思わず泣いてしまいそうになっていた。
梓の夢を、二人三脚で叶えてあげたいと思った。いつでも彼女のそばに寄り添って、辛い時は精一杯励ましてあげる。そういう関係に、なれたらいいなと思った。先の見えない未来だけれど、梓との未来が大学卒業後も続くのだとすれば、やっぱりちゃんとした場所へ就職をして、しっかりと稼ぎながら彼女のことを支えたい。親に半ば強制的に決められた進路だけれど、今になってやりたいことが明確になり、僕はホッとする。そういう意味では、勉強をしなさいとしつこく言ってきた親に、感謝をしなければいけないのかもしれない。
おそらく映画内でカットされた部分もあるだろうから、帰りは書店へ寄って、ちゃんと映画の原作本を購入した。梓は特に映画の内容に感銘を受けたのか、ちょうど著者のサイン本が置かれていたため、観賞用と称して二冊購入していた。
帰りの道を歩いている時、小説の入っている袋を大事そうに抱えながら、梓は嬉しそうに言う。
「どっちが早く読めるか、競争しようね」
「早く読んだら、あんまり物語を楽しめないよ?」
「早く読んで楽しむの! 私、多分三回は読み直す! 他の作品もちゃんと読む!」
やけに興奮している彼女を見ながら、僕は苦笑する。小説を読むのもいいと思うが、提出する課題も進めないといけないんじゃないか。今日は休んだから、明日はまたアトリエに行って、絵を描く作業を進めるべきだ。
そういうことを思ったけれど、僕はまた、強く言うことができなかった。彼女に嫌われたくない。そんな保守的な気持ちが、僕の心を変に萎縮させた。
そして僕は気付く。梓に対して絵を描いた方がいいと言えないのは、自分が昔、同じことをされて嫌だったからだと。まだ実家に住んでいた頃に親から、『そんなことより勉強をしなさい』としつこく言われていた。今になって思えばそれは正論だったけれど、その度に僕は心にモヤモヤを抱えて生きていた。
僕といることを楽しんでくれている梓に、水を差すようなことはしたくない。
だけどこのままじゃ、彼女にとってよくないことになる。それはダメだと理解できていたから、僕は深呼吸をして、薄く微笑みかけた。
「僕、梓が絵を描いてるところ、見てたいな。昨日真剣に絵を描いてるのを後ろで見てて、かっこいいなって思ったから」
その言葉に梓はほんのり顔を赤くさせて、目を泳がせる。
「明日は絵を描こうよ。すごく下書きを丁寧に描けてたし、きっといいものになるから。一緒に行ったひまわり畑、また梓の絵で見てみたいな」
僕がずっと言われたかった言葉を、梓に投げかける。僕は励ますことしかできない。
今は少しでも、絵に向き合う時間を増やしてほしい。
僕のそんな思いが伝わったのか、梓は恥ずかしげな表情を浮かべながら、コクリと小さくうなずいてくれた。
「そ、それじゃあ明日は、ちゃんと絵描くね」
「うん。楽しみにしてる。それと、ギター弾いてるところもまた見たいな。明日絵を描き終わったら聞かせてよ」
「う、うん……」
その言葉に安堵していると、梓は僕の方に近寄ってきて、さりげなく手を繋いできた。僕が優しくその手を握り返してあげると、彼女は安心したような笑みを浮かべてくれた。
翌日は昨夜約束した通り、またアトリエに行って絵の制作を進めた。けれど一昨日と違うのは、近くにいる僕に頻繁に話しかけてきたこと。昨日の映画の感想をもう一度話したり、夜にやっていたバラエティ番組の話をしたり。梓が集中できていないのは、さすがに僕にもわかったが、それを注意することまではできなかった。
傍目から見ても作業スピードが落ちているのはわかったし、由美さんや美咲さんとも差が開き続けている。再びこのままじゃダメだと思い始めたが、たまには息抜きも必要だと思って、どこかに遊びに行こうと誘われればそれ以上首を振ることはできなかった。
そんな生活が続いた頃、夜にこの前購入した小説を読んでいると、水無月から着信が来た。こんな時間にどうしたのだろうと思い、僕は通話に出る。
『夜分遅くにすみません。水無月です』
「うん。どうしたの?」
『その後、梓さんとはどんな感じですか?』
僕は梓との最近の出来事を、包み隠さず水無月に話した。ひまわり畑へ写真を撮りに行き、映画を見たりしてそれなりにデートの回数を重ねている。そんな僕たちの進展を水無月は喜んでくれたけれど、同時にあらたまった声音で、僕に忠告をしてきた。
『今日、梓さんの作品を見せてもらったんですけど、ちょっと進捗状況がしくなかったです。このままのスピードで進めると、期限に間に合わないかもしれません』
絵の経験者である水無月にそう言われ、僕はようやく明確な危機感を持ち始めた。もしかすると間に合わないんじゃないかと、僕自身も薄っすらと感じ始めていた。由美さんはもう八割作業が終了したのか、最近はアトリエに来る回数が少なくなっていたし、美咲さんにいたっては、もう五日もアトリエに来ていない。おそらく、満足のいく仕上がりに達したのだろう。
「……ちなみに、水無月は?」
『私は計画的に進めていたので、もう終わりました』
「そっか……」
もっと早くに、危機感を持つべきだったのかもしれない。嫌われるとか、嫌われたくないとか、そんな悠長なことを考えている暇じゃなかった。僕は夢を見つけるのを応援すると、梓と約束したんだから。
そのために、まず何よりも梓に絵を描いてもらわなきゃいけなかった。僕との時間を大切にしてくれていたのは、素直に嬉しいけれど、ずっとこのままというのはダメだ。
「明日、ちゃんと梓と話をするよ」
『そうしてあげてください。夏休みもあと二週間ほどなので。今の梓さんを励ますことができるのは、悠さんだけですよ』
水無月はそう言うが、今となっては梓を励ましたことが本当に正解だったのか、僕には分からなくなっていた。もう、梓に強く言うしかないのだろう。
大切な人と向き合うということは、そういうことだ。全てを容認するのではなく、間違っていることは間違っていると言えなければ、それは向き合っているとは言えない。
僕は密かに、覚悟を決めた。もしそれでも間に合わなかったならば、梓は一度痛い目を見るべきだ。非道かもしれないが、失敗をせずに夢を叶えた人なんて、おそらく一人もいないのだから。
それからわずかばかり話をした後、水無月との通話を切った。僕はスマホを机の上に置いて、一度深呼吸する。もしかすると、嫌われてしまうかもしれない。けれど梓の今までの頑張りを、こんなところで無為にさせたくはないから仕方がない。
大切な人と向き合うというのはそういうことだと、僕はもう一度自分に言い聞かせた。
男は少女に恋をして、その家に通い続け介護の手伝いをする。そして外へ出られない彼女のために物語を書いて、読み聞かせる。男は小説家を目指し、うまく行かない時は少女が励ましながら夢を追い、そして最後には二人で目標を叶えるというもの。
映画を鑑賞している時に、ふと隣を見てみると、梓は涙を流していた。優しい彼女にとって、こういうストレートな物語は心に響くのだろう。僕も物語の節々で鼻の奥がツンとして、思わず泣いてしまいそうになっていた。
梓の夢を、二人三脚で叶えてあげたいと思った。いつでも彼女のそばに寄り添って、辛い時は精一杯励ましてあげる。そういう関係に、なれたらいいなと思った。先の見えない未来だけれど、梓との未来が大学卒業後も続くのだとすれば、やっぱりちゃんとした場所へ就職をして、しっかりと稼ぎながら彼女のことを支えたい。親に半ば強制的に決められた進路だけれど、今になってやりたいことが明確になり、僕はホッとする。そういう意味では、勉強をしなさいとしつこく言ってきた親に、感謝をしなければいけないのかもしれない。
おそらく映画内でカットされた部分もあるだろうから、帰りは書店へ寄って、ちゃんと映画の原作本を購入した。梓は特に映画の内容に感銘を受けたのか、ちょうど著者のサイン本が置かれていたため、観賞用と称して二冊購入していた。
帰りの道を歩いている時、小説の入っている袋を大事そうに抱えながら、梓は嬉しそうに言う。
「どっちが早く読めるか、競争しようね」
「早く読んだら、あんまり物語を楽しめないよ?」
「早く読んで楽しむの! 私、多分三回は読み直す! 他の作品もちゃんと読む!」
やけに興奮している彼女を見ながら、僕は苦笑する。小説を読むのもいいと思うが、提出する課題も進めないといけないんじゃないか。今日は休んだから、明日はまたアトリエに行って、絵を描く作業を進めるべきだ。
そういうことを思ったけれど、僕はまた、強く言うことができなかった。彼女に嫌われたくない。そんな保守的な気持ちが、僕の心を変に萎縮させた。
そして僕は気付く。梓に対して絵を描いた方がいいと言えないのは、自分が昔、同じことをされて嫌だったからだと。まだ実家に住んでいた頃に親から、『そんなことより勉強をしなさい』としつこく言われていた。今になって思えばそれは正論だったけれど、その度に僕は心にモヤモヤを抱えて生きていた。
僕といることを楽しんでくれている梓に、水を差すようなことはしたくない。
だけどこのままじゃ、彼女にとってよくないことになる。それはダメだと理解できていたから、僕は深呼吸をして、薄く微笑みかけた。
「僕、梓が絵を描いてるところ、見てたいな。昨日真剣に絵を描いてるのを後ろで見てて、かっこいいなって思ったから」
その言葉に梓はほんのり顔を赤くさせて、目を泳がせる。
「明日は絵を描こうよ。すごく下書きを丁寧に描けてたし、きっといいものになるから。一緒に行ったひまわり畑、また梓の絵で見てみたいな」
僕がずっと言われたかった言葉を、梓に投げかける。僕は励ますことしかできない。
今は少しでも、絵に向き合う時間を増やしてほしい。
僕のそんな思いが伝わったのか、梓は恥ずかしげな表情を浮かべながら、コクリと小さくうなずいてくれた。
「そ、それじゃあ明日は、ちゃんと絵描くね」
「うん。楽しみにしてる。それと、ギター弾いてるところもまた見たいな。明日絵を描き終わったら聞かせてよ」
「う、うん……」
その言葉に安堵していると、梓は僕の方に近寄ってきて、さりげなく手を繋いできた。僕が優しくその手を握り返してあげると、彼女は安心したような笑みを浮かべてくれた。
翌日は昨夜約束した通り、またアトリエに行って絵の制作を進めた。けれど一昨日と違うのは、近くにいる僕に頻繁に話しかけてきたこと。昨日の映画の感想をもう一度話したり、夜にやっていたバラエティ番組の話をしたり。梓が集中できていないのは、さすがに僕にもわかったが、それを注意することまではできなかった。
傍目から見ても作業スピードが落ちているのはわかったし、由美さんや美咲さんとも差が開き続けている。再びこのままじゃダメだと思い始めたが、たまには息抜きも必要だと思って、どこかに遊びに行こうと誘われればそれ以上首を振ることはできなかった。
そんな生活が続いた頃、夜にこの前購入した小説を読んでいると、水無月から着信が来た。こんな時間にどうしたのだろうと思い、僕は通話に出る。
『夜分遅くにすみません。水無月です』
「うん。どうしたの?」
『その後、梓さんとはどんな感じですか?』
僕は梓との最近の出来事を、包み隠さず水無月に話した。ひまわり畑へ写真を撮りに行き、映画を見たりしてそれなりにデートの回数を重ねている。そんな僕たちの進展を水無月は喜んでくれたけれど、同時にあらたまった声音で、僕に忠告をしてきた。
『今日、梓さんの作品を見せてもらったんですけど、ちょっと進捗状況がしくなかったです。このままのスピードで進めると、期限に間に合わないかもしれません』
絵の経験者である水無月にそう言われ、僕はようやく明確な危機感を持ち始めた。もしかすると間に合わないんじゃないかと、僕自身も薄っすらと感じ始めていた。由美さんはもう八割作業が終了したのか、最近はアトリエに来る回数が少なくなっていたし、美咲さんにいたっては、もう五日もアトリエに来ていない。おそらく、満足のいく仕上がりに達したのだろう。
「……ちなみに、水無月は?」
『私は計画的に進めていたので、もう終わりました』
「そっか……」
もっと早くに、危機感を持つべきだったのかもしれない。嫌われるとか、嫌われたくないとか、そんな悠長なことを考えている暇じゃなかった。僕は夢を見つけるのを応援すると、梓と約束したんだから。
そのために、まず何よりも梓に絵を描いてもらわなきゃいけなかった。僕との時間を大切にしてくれていたのは、素直に嬉しいけれど、ずっとこのままというのはダメだ。
「明日、ちゃんと梓と話をするよ」
『そうしてあげてください。夏休みもあと二週間ほどなので。今の梓さんを励ますことができるのは、悠さんだけですよ』
水無月はそう言うが、今となっては梓を励ましたことが本当に正解だったのか、僕には分からなくなっていた。もう、梓に強く言うしかないのだろう。
大切な人と向き合うということは、そういうことだ。全てを容認するのではなく、間違っていることは間違っていると言えなければ、それは向き合っているとは言えない。
僕は密かに、覚悟を決めた。もしそれでも間に合わなかったならば、梓は一度痛い目を見るべきだ。非道かもしれないが、失敗をせずに夢を叶えた人なんて、おそらく一人もいないのだから。
それからわずかばかり話をした後、水無月との通話を切った。僕はスマホを机の上に置いて、一度深呼吸する。もしかすると、嫌われてしまうかもしれない。けれど梓の今までの頑張りを、こんなところで無為にさせたくはないから仕方がない。
大切な人と向き合うというのはそういうことだと、僕はもう一度自分に言い聞かせた。