海賊船「Triple Alley号」
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全てが惨めだった。
1日中暗い牢獄に閉じ込められて、もう何日経ったのかも分からない。カビと雨水と血と腐った肉の臭いがごちゃ混ぜになってるせいで、鼻が麻痺していた。
散々辱しめを受けた。痛い思いも恥ずかしいことも沢山させられた。それでも涙は流さなかった。やつらはそんな俺が面白いのか面白くないのか、益々拷問を強くしていく。
俺が名家の出だからだろうか。庶民が餓えで苦しんでいる間に、食べもしない動物を殺していた、金持ちの子供として生まれたからだろうか。それともあの旗を掲げたからだろうか。
何が良くて何が悪いのかも教えてくれないのなら、せめてあいつらに会わせてほしい。一度だけでいいから。
遠くで鈍い音がした。ああ、また来た。
物好きな誰かが俺の牢の前で足を止めた。鍵を外すのが聞こえて、手錠を掛けられた。こいつはひっきりなしに俺を連れ出したがる。
牢の外は風が吹いていて寒かった。ここがどこか分からないよう目隠しをされて建物の中に入る。どこかなんて分かってる。あいつらが追ってこられないよう、遠い遠い外国の牢獄まで連れてこられたんだ。
俺を連れ出した海軍のおエラいさんは決まって俺を痛め付けたがる。自尊心を抉るようなことばっかりして、俺が泣くように仕向ける。だから泣かない。泣いてやるもんか。
おエラいさんの部屋に入った。目が見えなくてもかなり広いことが分かる。声が僅かに反響して帰ってくる。その時間差からして、「懐かしい我が家」の応接間ぐらいはありそうだ。
ベッドに叩き付けられた。肺から空気が上がってきたが、なんとかして飲み込む。これもいつものことだから準備していた。
経験上こいつは俺に目隠しをさせたままコトを運ぶのが好きだったが、今日初めて目隠しが外された。急に明るくなった視界に瞬きをすると、焦点の合わない位置に顔があった。こいつ、こんな顔だったんだ。ボヤけてるけど醜いのは分かった。
意地汚く笑い、おエラいさんは俺の右肩に短剣を突き刺した。鋭い痛みと共に傷口が焼けるように熱くなった。せっかく塞がりかけてた傷口がまた開いて血が溢れ出た。もう利き腕で銃を握ることは出来ないだろう。
歯を食い縛り、痛みに耐える。呻き声も上げてやるつもりはない。
おエラいさんの目が更に怪しく光った。剣を突き立てたまま辛うじて着ていた服を剥ぎ取った。外気に曝されて鳥肌が立った。またこの時間が始まる。
やつが俺に覆い被さろうとした瞬間、耳をつんざくようなベル音が鳴り響いた。驚いて体を揺すると肩から血が噴き上がった。貧血でぼんやりしてきた。
やつは邪魔をされたのが気に入らないらしく、舌打ちをして部屋を出ていった。
このまま拷問が中止になればいいと思っていたが、やつはすぐに戻ってきた。唇が気味悪い程に捲れ上がっていた。
いつもはいやらしいことしか言わない口が、聞くことは叶わないと思っていた名前を吐き出した。
「緊急事態だ。金髪ネコとシロネコが侵入した。よかったな、これで3人仲良く牢の中だ」
「……!」
驚きを隠しきれないでいる俺を嘲笑い、やつはニタニタしている。醜いその顔がまた迫ってきた。
「手配書を見りゃあ、あいつらも楽しみ甲斐ありそうな顔をしてなさるな。3人いっぺんにってのもいいかもしれん――」
肩がどうなろうと構わない。俺は腹筋で起き上がり、やつの首に噛み付いた。穢れた血が口腔を満たした。不味い。
やつは悲鳴を上げて身を引こうとしたが、俺の馬力が上回った。どこにそんな力を残していたのかは自分でも分からないが、更に歯を食い込ませる。何か硬いものを砕いた。
空腹も相まって、俺はやつの肉を噛んで飲み込んだ。苦い、不味い。どす黒い血で視界が染まったが、気配を頼りに再び噛み付く。
やつはショックで気を失い、俺の胸元に倒れていた。そう言えば、牢に入れられてからまともな食事なんて摂ってない。腹減ったな。
感覚のなくなってきた右腕を庇いながらおエラいさんを貪り食った。味なんか気にならない程餓えていた。自分が何をしているのかも分からなかった。
ドアが突然蹴破られた。外の空気と共に、額から筋を作って流れてくる赤黒い液体の隙間に懐かしい姿が2つ見えた。俺のせいで、それぞれ顔に深い古傷を残していた。ずっと昔に謝って許されているのに、罪悪感がふっと沸き上がった。
「……やっと見つけた。牢にいないもんだから、もう焦ったのなんのって」
「さあ、虎兄さん。帰りましょう」
俺はまだおエラいさんを食べていた。あいつらはそんな俺を見ても顔をしかめたりせず、笑って手錠を断ち切ってくれた。肩から短剣が抜かれ、代わりに布が宛がわれた。
俺はまた自由になった。
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