海賊船「Triple Alley号」
2ヶ月と言っていたのに、いつの間にかもう3ヶ月も経ってしまいました。「虎」の絆創膏に気を取られている場合ではありません。「豹」が日課を変えてしまう前に、そろそろ「豹」を欺く為の計画を立てなくては。
3ヶ月も経過した割には依然として勇気が出てきません。それどころか、誰からも疑われずに任務を遂行できるような素晴らしいアイデアさえ浮かびません。どんなに考えても結局同じ結論「絶対無理」に辿り着き、どん詰まり状態です。
そもそも、僕と2人きりの時に事件が起きればどうしたって疑われてしまいます。いっそ僕も捕まえてもらいましょうか。もう、そっちの方が素晴らしいアイデアのように思えます。
しかし、マルクル大佐はこの案にダメ出ししてきました。書き方はまだ従兄弟口調のままですが、僕は頭の中で大佐風に言い換えて読んでいます。
「できればお前にはスパイを続けてほしい。引き続きやつらの動向を探ってほしいんだ」
「これは俺の推察だが、恐らく豹を捕らえればこの海賊団は雰囲気が変わる。今までのように穏やかな海賊では――穏やかな海賊ってのも変な話だが――いられなくなるはずだ」
不思議に思い返事で理由を尋ねると、
「言っとくが、豹を舐めちゃいかんぞ。あいつ実はすげーやつだからな。虎や山猫がいつも人間らしく振る舞っていられるのも、ズバリ豹がいるからだ。ちょっとグロい話になるが……虎を捕まえた時のことだ。こいつ、逃げ出す時に何したと思う?(ゲイ)中将の首に噛み付いてその肉を食ったんだ。人肉だぞ、人肉。こいつは狂人だ。狂ってやがる。もう1匹の野良猫だって何するか分かったもんじゃねぇ。少なくとも豹はその点でまだマシだな」
脱獄時の場面をリアルに思い浮かべてしまい、吐き気がしました。背中に氷を当てられたように寒気を感じ、改めて海賊の恐ろしさを実感しました。あの陽気で快活な「虎」が、まさか本当にトラのようなことをしていたとは……あれ、読者の皆さんはもうご存知なんですか?
マルクル大佐から衝撃の事実を聞かされたせいで、「虎」との特訓に行くのも怖くなりました。しかし急に怖がって行かなくなるのも変です。
今日はシゲは自主練でいませんでした。2人きりなのが更に嫌で、ビクビクしっぱなしの僕に「虎」はまた首を傾げました。鼻の絆創膏が新しくなっています。
「どうした?背後霊でも見えるのか?」
不思議そうに後ろを振り返っていますが、それはそれで怖いですよ。
構えていたピストルを下ろし、間近で顔を覗き込まれました。近距離で見るとますますハンサムです。こんな距離では、誤魔化すのは難しそうです。覚悟を決め、おずおずと口を開きました。
「実は……虎船長が海軍に捕まったことがあるって、聞きまして……本当かなーと思いまして……あの、ごめんなさい!!」
急にそんな話が出て驚いたのか、「虎」は僕から一瞬身を引きました。しかし、すぐにそんな自分を恥じるように頭を掻きました。怒られるかと体を固くしましたが、返ってきたのは苦笑でした。
「わ、悪い……つい癖でな……」
「虎」は急に僕と目を合わせなくなりました。目線が泳いでいます。先程までは明るい灰色に見えていた瞳が、全体的に黒っぽくなっているような気がします。
重苦しい沈黙が暫く続いた後、「虎」が漸く僕を見つめました。どこまでも深く暗い目でした。
「俺のしたことも聞いたのか?そうか、だからそんなに怯えてたんだな」
「す、すみません!」
「俺がいつお前を食うんじゃねぇかって思ってたか?」
「……は、はい……」
「そんなことない……って、言い切れたら良かったんだけどな。残念ながらそれは出来ねぇ」
「えぇっ!?」
「いや待て、何も今襲うなんて言ってねぇよ!?…ただ………腹が減ってたら、極限まで減ったら、何するか分かんねぇかも……」
そう言う「虎」の顔は、明らかに何かを恐れていました。
「……俺な、自分が怖ぇんだ。時々意識がぶっ飛んで、とんでもねぇことやっちまう……例えば、脱獄した時のやつがそれだ。どうも俺、空腹になると性格変わっちまうらしくてな」
「あ……だからですか、海軍と戦う時にいつもの倍ぐらい食べてるのって」
「お前は聡いやつだな、コルーシ。そんなとこまで見てたのか」
「い、いえ!ただ気になっただけですから……」
「そういうところ、まるで豹兄だよな」
「え、豹なんですか?寧ろ山猫の方が……せっ船長!!」
「虎」がポカンとこちらを見ていました。慌てて取り繕いましたが、もう遅いですよね。
「す、すみません!!!あの、僕……っ」
「ああ……まあ、言いにくいよな。豹とか虎とか。何でこんな呼び方してんのか俺も分かんねぇし」
僕をフォローしてくれるなんて、「虎」は寛大な人です。とても怖がるような相手ではありません。しかし、本人も分かっていないような渾名って意味があるのでしょうか。
思い切って本名を訊いてみたくなりました。
「あの……嫌じゃなければ、本名をお聞かせ願えませんか?」
「え、ほんみょっ………わ、悪い、昔の名前とか忘れちまったわ。は、ははは」
乾いた笑みを浮かべていますが、顔に「誤魔化し中」と書いてあります。訊かれたくないようでした。
ふと思いましたが、この前ルナと話していた人物「ヨシノ」とは、もしかするとこの3船長のうちの1人なのでしょうか。そうだとすれば、ルナは3船長の本名を知っているのかもしれません。彼女はこの海賊団に初めて入った船員なのです。知っていても何ら不思議はありません。
ルナが知っているのか更に尋ねようとした途端「虎」がピストルを構え直し、強引に特訓を再開しました。