海賊船「Triple Alley号」
その日の夜、僕はまた寝室を抜け出しました。「豹」に会う為です。上手くいけば「ヨシノ」という人物のことを聞き出せるかもしれないと思ったのです。
梯子を登って最上甲板へ行くと、見慣れないシルエットがありました。「豹」ではありません。少し小さい背丈で、長いマントを羽織っています。腰に長い物を何本か差しています。
近づいてみると、人影が誰だか分かりました。「山猫」です。
足音に気づいた「山猫」がこちらを振り向きました。鋭い眼光に刺され、訊かれてもいないのに訳を口走ってしまいました。
「え、えっと………豹に、豹船長に会いに来たんですが……」
「豹兄さんは先程戻りました」
射抜くような視線に、足がすくみました。闇夜に光る赤い目は、肉食獣にも見えます。有り得ないとは思いますが、狼男にでも変身しそうです。まさか、この人も人肉を食べるのでしょうか。
固まって何も言わない僕を気にしたのか、「山猫」は急に表情を和らげました。笑いはしませんが、何と言うか、張り詰めていた空気がフワッと弛んだような……威圧感がなくなったように感じました。
「私達の前でいちいち緊張していては、身が持ちませんよ」
「あ、はい…」
「虎兄さんに聞きましたよ。どこであんな情報を得たのかは知りませんが、兄さんの前では脱獄の話はタブーです」
「そ、そうですよね!すみませんでした!!」
「夜です、大声を出さないで下さい。あまり煩いと……食べますよ」
まさかそれが冗談だとは思いませんでした。怖すぎて土下座をした僕を見て、「山猫」はフッと笑みを漏らしました。笑ったのです。
「冗談です。私は人肉など食べたくありません。それに、貴方は肉があまりなさそうですし」
「……あ、ありがとうございます…」
「何ですか、私が冗談を言ってはいけないのですか?」
「い、いえ!!あの、ビックリしただけで」
「今のは面白くありませんでしたか……虎兄さんはよく笑ってくれるんですけどね……ま、あの人だから笑うというだけですかね」
「お、面白かったと思いますよ」
立ち上がりながらそう言うと、「山猫」はハッとしたようにこちらを見つめました。それからニッコリ笑いました。一体彼はどうしてしまったんでしょう。毒キノコでも食べたんでしょうか。
無意識の内に目が点になっていたようで、「山猫」は急に不機嫌な顔つきに戻りました。
「何ですかその目は。私が笑ってはいけませんか?」
「そ、そう言うんじゃ……その、初めて見ましたから……」
「……それもそうですね。私だって笑う時は笑いますよ」
「は、はい、そうですよね。はは…」
そこで僕は突然任務のことを思い出しました。武装した「山猫」と一緒では捕らえることなど到底出来ないでしょう。
不安になったので素直に尋ねました。
「あの、山猫船長はよくここに来るんですか?」
「いえ、今日が初めてですしこれで最後です。貴方に虎兄さんの件で忠告しておこうと思っただけですから」
「あ、そうなんですか……本当に、すみませんでした」
「まあ、あんな話を聞けば誰だって怯えるでしょうから、そこまで咎めはしませんが」
「あ、ありがとうございます」
心から感謝して言ったのですが、「山猫」は不思議そうな表情になりました。
「貴方はすぐに謝ったり感謝したりしますね」
「あっす、すみません!……あ」
「謝るようなことでもないと思いますが」
「山猫」は再び微笑みました。その姿が一瞬「豹」に重なりました。長い間一緒に過ごすと、癖や表情が似通ってくるのでしょう。「山猫」がこんな風に笑うなんてまだ信じられません。しかし、この顔立ちに1番似合うのはこんな笑顔なんじゃないかとも思いました。形容しがたい感覚でしたが、確かにそう思いました。
無表情に戻った「山猫」は月を見上げ、呟くように言いました。
「……もうこんな時間です。早く寝なさい。風邪を引きますよ」
「あ、はい。お話しできて良かったです。じゃあ……お休みなさい」
「お休みなさい」
月を背に振り向いた「山猫」の顔が深く印象に残りました。「豹」の時とはまた違う、母性的な何かに溢れた表情でした。