海賊船「Triple Alley号」
その晩、ルークがベッドを抜け出した。2人が眠っているのを確かめ、静かに部屋を出ていった。
ヨシノもその後を追いかけた。やはりノブを起こさないよう注意しながら追った。嫌な予感が現実のものになり始めていた。
ルークは一軒の豪邸に入っていった。見覚えある屋敷だったが、何だったかは思い出せなかった。
下手に刺激しないようそっと様子を窺っていると、ふと空気中に焦げ臭いような臭気が漂っているのに気づいた。突撃して止めさせるべきか悩んでいると、豪邸の1階から煙が上がり始めた。窓の隙間からもくもくと流れ出るそれは、暗闇でもよく見えた。
ルークが出てきた。ハンカチを口に当て、軽く咳き込みながら堂々と歩いている。その背後で突如火柱が噴き上がった。家が燃えている。
堪らずヨシノは飛び出した。ルークがビクッと身を引いた。
「―――い、今すぐ消すんだ。今ならまだ間に合うから」
「もう遅いよ。油まいたから」
ルークはヨシノの登場に驚いたようだったが、自分のしたことを悪びれているという訳ではなかった。太陽のような笑みを浮かべた。
「だって、ヨシノは親にいなくなってほしくないんだろ?」
家の窓ガラスが割れた。火は2階に達していた。中から悲鳴や叫び声が聞こえてきた。
後ろから足音が聞こえ、ヨシノはゆっくり振り返った。もしそれが警察なら、自分がやったと言ってやるつもりだった。
ノブが立っていた。コートも羽織らず寝間着のまま、息を切らして立っていた。目の前の光景が理解出来ないとばかりに目をしばたいた。
ノブが脇目も振らずに走り出した。ルークに飛びかかるかと思いきや通り過ぎ、まっすぐ燃え盛る家の中に飛び込んだ。その瞬間、ヨシノはここが誰の家だったかを思い出した。
2人もノブを追って家の中に入った。暫くして出てきた時には、3人とも煤だらけだった。服もあちこち焼け焦げていた。
ノブは左顔面に酷い火傷を負っていたが弱音1つ漏らさなかった。ただ歯を食い縛り、崩れ落ちる家を見ていた。ヨシノが自らの服を破り取ってノブの顔に巻き付ける間中、ずっと見ていた。
別荘に戻る間、3人は一言も喋らなかった。居間に着いても無言で座り、重い静寂を耐え忍んでノブの火傷を治療した。幸いにも大事には至らず済んだが、酷い痕が残ってしまった。
何か言わなければならないと思い、ヨシノは覚悟を決めて声を絞り出した。
「………僕のせいだ」
ルークがパッと顔を上げた。そちらを見ないように、ヨシノはノブを見つめた。ノブは俯いて反応しなかった。
「僕があんなこと言ったからだ。言わなきゃよかった。僕はルークをお尋ね者にしてしまった」
ルークが心底怖かった。平気で人を殺してしまう少年が怖かった。
ヨシノは決心していた。そういう汚い仕事は今後二度とさせやしない。自分が殺る、と。
「だから、罪滅ぼしに僕も両親を殺す。それでいいかな?」
ノブが漸く自分を見た。また何を言っているのか分かっていない様子だった。ルークからも痛い程視線を感じたが、敢えて目を合わせようとはしなかった。
ノブ一家の火事は事故で片付けられたが、ヨシノ一家のは事件として扱われた。当時1人で家にいた未亡人の遺体から斬り傷が多数発見されたからだった。火災は証拠隠滅の為と見なされた。
ノブはまだ2人と一緒にいた。気まずい関係ではあったが、親族まで焼かれて行く宛もなくなった彼は、2人と一緒にいるしか道がなかった。無理に笑顔を作って明るく振る舞う姿に、ヨシノは何度も心を痛めた。自らの母親の死はさほど気にならなかった。
別荘の外で昼食を食べていると、水平線を海賊船が横切った。3人とも食べるのを止め、船の姿が霞むまで眺めていた。
沈黙を破ってルークが声を上げた。久しぶりに聞いた、彼の声だった。
「―――海に出ようよ。3人で」
ヨシノはノブをちらりと見た。ノブは一瞬ルークに目をやったがすぐに料理に視線を戻した。
「色々あったし、一緒にいたくないかもしれないけど……もうここにはいられないと思うんだ」
ノブが再びルークを見た。ヨシノもつられてルークに顔を向けた。
陽の光を浴びてキラキラ輝く水面を背に、ルークは笑った。その姿が印象に強く残った。
「なあ、海へ出ようぜ!」
反応に困ってノブを窺い、ヨシノは驚いてフォークを落としかけた。
ノブは笑っていた。ぎこちない笑みではあったが確かに笑っていた。
「―――そうだね。行こうか、海へ」
2人が急に大人びて見えた。そう言えば、この2人はヨシノより歳上だった。とは言え、ルークが1つ、ノブが2つ上なだけだが。
2人に見つめられた。返事を期待されていた。
聞かなくとも分かっているだろうに。思いながらヨシノも笑っていた。
「………うん、行こう」
***