海賊船「Triple Alley号」




それは、よく晴れた日のことでした。


懐かしい建物が大きくなってきました。
何だか変な木造の建築物がありますけど、それ以外は3年前と何ら変わりありません。胸がギュッと縮まったように感じましたが、それが懐かしさからなのか、それともこれから起こりうる紛争への恐怖からなのか分かりませんでした。「虎」が死んだ時のような、嫌な予感がします。
作戦は何日も前に伝えられていました。僕達は大海賊団の時と同じように隊列を組みました。その時とは違って、僕は「山猫」の側に近い位置に立ちました。横にいるのはルナです。
巨大なカタナ「ジロウタチ」を背負った「山猫」を先頭に、僕達は本部の真正面につけた船から降りました。
目の前に海兵がぎっしり整列していました。マルクル大佐の姿もあります。大佐は僕を見つけると僅かに体を揺らしましたが、すぐ何事もなかったかのように前を向きました。
変な木造建築物は、処刑台のようにも見えました。そこに立っている人影は――遠すぎてはっきりとは分かりませんが、ベンター中将のようです。
海軍と一定の距離を保って、僕達は足を止めました。
ベンター中将に向かって「山猫」が口を開きました。小さな声でしたが、何故か遠いところまで響いているような気になりました。海兵達も攻撃命令が出ていないらしく、黙って耳を傾けています。
「―――ご存知かとは思いますが、私は海賊『Triple Alley号』一味の副船長、山猫です。今日は我らが船長を返してもらいに来ました」
ふざけているのか、と何人かの海兵が顔をしかめました。
木造の処刑台の上から声が返ってきました。上に仁王立ちしているのはやはり中将でした。
「……それはご苦労。ところで、君達には彼の姿が見えているかね?高過ぎて見えないんじゃないのかね?」
冷笑を含んでとびきりねっとりしている声に、嫌な予感が更に膨れ上がりました。
中将は後ろに向かって何か合図しました。誰か控えているようですが、確かにここからでは見えません。
中将がこちらに向き直りました。表情さえよく見えないというのに、背筋が凍りました。
「汚ならしい、穢らわしい海賊共よ、見せてやろう……さあ!」
金属の擦れ合う音が微かに聞き取れました。目を瞑ろうとしましたが既に遅く、中将の横に金色の何かが光るのを見てしまいました。
「山猫」は身動き1つしませんでした。僕達は驚き、怒り、恐れ戦きました。
「豹」でした。両腕を後ろ手に縛られ、力なく這いつくばっていました。乱れた金髪がここからでも確認出来ます。相当衰弱しているようでした。
ベンター中将の嘲笑が更に深くなりました。
「どうした、シロネコ。早く取り返しに来ないか。今更怖じ気づいたのか?早くしないと、こいつが死んじまうぜ!」
中将は「豹」を蹴り飛ばし、「豹」の姿が見えなくなりました。隣でルナが小さく悲鳴を上げました。台から落ちたという訳ではないようですが、僕でさえ肝を潰しました。
ベンター中将の狂ったような笑いが辺り一面に谺しました。「虎」の狂気の笑みが蘇ったかのようでした。
「山猫」はまだ動きません。拳を握り締めてはいますが、それだけです。しかし、握った拳の先から血がポタポタと垂れています。静かな怒りの炎が燃え上がっているようでした。
ベンター中将はそんな「山猫」を楽しそうに眺めているようです。つくづく嫌な人だと、自らも海兵のくせに思ってしまいました。
その時、台に金色が再び現れました。太陽の光を反射してキラキラ輝いています。
「豹」はまだ美しい猛獣のままでした。
「………聞いてくれ、ヨシノ」
少々嗄れてはいましたが、遠距離でも通るようなはっきりした口調でした。ルナがピクリと動きましたが、それより大きく反応したのが「山猫」でした。
「ルークが死んだっていうのは―――本当か?」
後ろ姿なのでよく分かりませんが、「山猫」が息を呑んだように思いました。
「豹」はゆっくり顔を上げました。酷く窶れています。ケロイドの痕が、ここ半年間の苦悶を生々しく演出していました。
「山猫」は答えるのを躊躇していました。
「う、うん……はい。はい、『豹』兄さん」
殊更『豹』を強調して呼びましたが、「豹」は気にしていないようです。
2人が、いや3船長が今まで隠してきた素顔を目の当たりにした気分でした。
「ヨシノ、最後の船長命令だ……俺を殺して、逃げろ」
「い、いやだ!何言ってるんだよノ―――ひょ、『豹』兄さん!!!」
「最期ぐらい、名前で呼んでくれよ…なあ、ヨシノ」
「いやです、呼びません!!一緒に帰ろうよ!!!」
「お前に呼ばれると、何だか落ち着くんだ……頼むから、呼んでくれ…な?」
「呼んでやるもんか!!!いいか、僕はあんたを連れて帰る!!生きて!!!ルークの分生きて!!帰ろっ!!!!」
「山猫」の取り乱した姿は、「虎」が死んだ時と同じでした。まるで「豹」がもう死んでいるかのように……
「なあ、ヨシノ……俺、もう死にたいんだ……目の前にルークが見える…笑ってる……もういかなきゃ……」
「豹」の精神状態は殆ど限界に達しているようでした。不気味に笑い、見えない誰かを見つめています。正直言って怖いです。
「なあ、頼む……ルークの所へいきたいんだ……殺してくれ……」
「……っ!!!」
「山猫」は何も言えない様子でした。必死に引き留めようとして、言葉を探している風でした。
重い静寂をあっさり破ったのはベンター中将でした。
「……あれ、あれかな?つまり君はもう死にたいってことなのかな?おっほー!!聞いたかシロネコ!こいつは君に殺されたいんだとさ!マゾだな、マゾ!!なあ!!!」
こちらの精神状態も限界のようです。違う所から限界に達しているような……興奮し過ぎて気が触れたようです。
「どうするのかなシロネコちゃん?殺すの?殺しちゃうの?それとも逃げるか?やっぱりこわ―――あ?」
沈黙していた「山猫」が漸く動きました。
左手を背中に伸ばし、大きな柄を握りました。整列していた海兵がサッと動き、皆武器を構えて「山猫」を警戒しました。ゆっくりゆっくり抜かれていく大太刀を、誰もが固唾を呑んで見守っています。日光を受けてキラリと輝くそれは、まるで神の振りかざす聖剣のようでした。海兵はまだ攻撃しません。
「山猫」はジロウタチを右手に持ち替えました。切っ先を地面スレスレにかざし、キッと正面を見上げました。
ルナが僕の服の袖をギュッと掴みました。僕もその手を握り返しました。何が起こるのか、この先まで分かってしまいました。
「―――いくのなら、私も一緒ですよ。おいていかないで下さい……ノブ」
この場の状況には不釣り合いなほど落ち着いた声色でした。
「豹」と「山猫」の目が合いました。「豹」は先程よりしっかりした笑みで頷き、「山猫」も寂しそうに笑いました。
2人に何かが通じ合っているのを見て、ベンター中将は正気に戻ったようでした。
「ちょ、ちょっと待て……お前、この距離でこいつを殺すつもりか?冗談だろ…馬鹿言うなよ、おい…」
「山猫」はジロウタチを両手で握り締め、大きく薙ぎ払いました。
ものすごい音と共に衝撃波が生まれましたが、この距離を飛べるのでしょうか。
しかし、一瞬後にベンター中将と「豹」の体が真っ二つに割れました。衝撃波は木造の処刑台の柱にも当たり、重みを支えられなくなって処刑台が崩れ落ちました。メキメキという音に混じって僅かにベンター中将の悲鳴が聞こえたような気がしました。まっすぐに並んでいた海兵の列が乱れ、罵声が飛び交いました。何人かが急いで中将救出に走り出しました。
「山猫」はそれをずっと見ていました。最後の柱が倒れるまでじっと動かずにいました。

ジロウタチを鞘に収め、「山猫」はサーベルと共に左腰に差していた剣を抜きました。
フランベルクでした。海軍が目の前にいるのも忘れて、僕は一瞬彼を止めようとしました。
「山猫」がこちらに向き直りました。穏やかな表情で、僕が読み違えたかと思うほどでした。
「―――皆さん、よく聞いてください。これが最後の船長命令です」
船員は皆泣いていました。
「皆さんはすぐにここから離れてください。間違っても、私と一緒に来ようなどとは思わないように」
「山猫」がふっと笑いました。あの夜に見た笑顔と同じです。
「私は、皆さんに会えて幸せでしたよ。出会ってくれて、ありがとう―――」
クルリと再び海軍に向き合い、その背中からフランベルクが真っ赤になって突き出しました。そしてサーベルが喉を掻き斬りました。

最後の船長命令を守れない人が殆どでした。
ハルタが後ろの方で叫ぶのが聞こえました。
「シゲ!!!今逝くよ!!」
銃声が続きました。
皆が死んだ仲間の名前を叫んでは自らを殺していきました。ルナもカットラスで自殺しようとしたので、慌てて押さえました。もがくルナを抱き締め、「船長命令を思い出せ!!」と言い聞かせました。ルナはカットラスを取り落とし、僕に泣き付きました。
船の傍では坂兄弟が互いに向き合っています。短剣を全く同じタイミングで刺し合い、折り重なって倒れました。その向こうにジョジーさんの姿を見つけました。剣と共に1枚の写真を取り出しました。
「貴方、待っててね……あの世で結ばれましょう」
神崎さんはウカミさんを呼びながら海に飛び込みました。丸さんは吊っていない方の手で銃を持ち、両手を広げて待ち構えるタニさんに向けました。タニさんが叫びました。「船長らに続けっ!!!」丸さんは次に自らに照準を合わせました。
仲間が次々に死んでいく中、僕はルナを抱いて逃げ出しました。ルナを死なせる訳にはいかないという信念だけで動いていました――

< 53 / 56 >

この作品をシェア

pagetop