カラダから、はじまる。

「…………はぁ」

本宮がカウンターに両肘を突いて頭を抱えるように俯き、深いため息を吐いた。

「ねぇ、どうしたのよ?」

わたしは彼の顔を覗き込む。

「いや……なんでもない」

本宮は顔を上げた。その表情は一転して、うっすら微笑んでいる。

「……あの頃のおれがこの光景を見たら、腰抜かすほどびっくりするだろうなぁ」

「『あの頃』って?……いったい、何の話?」

突然話題が変わって、わたしは怪訝な顔になる。

「上京して、大学に入った頃のことだよ」

……あぁ、田中に出逢った頃だ。

「『T大のマドンナ』と男どもから騒がれていた七瀬と、まさか十数年後に、二人っきりで吉牛に入って昼メシ食ってるなんてな。
……あの頃のおれには、想像すらできねえよ」

「……なによ、それ?」

それって、実は言うほどの女じゃなかった、って言いたいんでしょ? 失礼しちゃうわ。

そんな「昔話」を聞いているほどヒマではないわたしは、左手首の時計を見た。
ネイビーブルーの(レザー)ベルトのカルティエ・サントス デュモンだ。三十歳になるときに、自分への「ご褒美」として買った、お気に入りのものだ。

「あら、いやだ……もうこんな時間だわ。戻らなくっちゃ。本宮も急いでよ」

わたしはトリーバーチを手にして、椅子(スツール)から立ち上がった。

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